09/12/27

先月受験したTOEICの結果をネットで確認した。ドキドキしながらクリックしたのだが、スコアを見た瞬間に激しいショックに襲われた。まさかこんなに低いスコアだとは予想していなかった。きっと何かの間違いだ。これから郵送される正式なスコアシートには、もっと高いスコアが印刷されているはずだ。

などと無意味な前振りはこれくらいにしておいて結果を発表すると、リスニングが465、リーディングが450で合計915点という結果だった。7年前に受験したときのスコアが920点だったので、あれから何も進歩していないことになる。さすがにこのスコアはどうかと思う。

本当は軽く960点くらいを取って、「やっぱりTOEICなんて大したことないな」などと思い切り高飛車に自慢するつもりだったのに、大したことがないのは自分のほうだったというオチがついてしまった。それにしても、この7年間何をやってきたのだろう。まあ、よく考えてみると何もやってこなかったから、妥当な結果なのかもしれない。

そうは言っても、実はほんの少しだけ自信はあった。リスニングはともかく、リーディングはそこそこ自慢できるくらいのスコアは取れるだろうと思っていたのだ。なぜなら、以前のTOEICにあった「間違い探し」の問題が、リニューアルされたTOEICではなくなったからだ。

自分はこのパートが大の苦手で、勘に頼ってマークする問題が必ず数問はあった。今回はこのパートがそっくりなくなっているのだから、自分にとってはかなり有利になったと思っていた。「TOEIC試験スーパー模試600問」のリーディングパートの予想スコアが3回とも495点だったことも自信の裏付けになっていた。

本番の試験でも、充分に手応えはあった。勘に頼ってマークした問題は1問もなく、すべての問題を自分なりの確信を持ってマークできた。それなのにこの結果だ。何問か自信がない問題があってこのスコアならまだいいが、すべて自信満々で解答しておきながらスコアが低いというのは、そもそも根本的な英語力に問題があるということだ。

単純に計算すると、リーディングパートでは10問前後間違ったことになるが、あんなに簡単な問題で10問も間違ったなんて、自分でも信じられない。去年受けた英検1級の語彙問題と読解問題では41問中2問しか間違えなかったのに、それよりもずっと簡単な問題をどうすれば10問も間違えられるのだろう。

などと言ってもしかたがない。スコアが低いのは紛れもない事実なわけだから、この結果を真摯に受け止めて今後に活かしていかなければならない。とは思うのだが、TOEICの場合は解答を一切公表しないから、どの問題を間違ったのかわからず、今後に活かしようがない。これはちょっと困る。

自分なりに今回の敗因を分析してみると、時間に追われていくつかケアレスミスをしたのか、あるいは引っかけ問題にまんまと引っかかったのだと思う。結局はリーディング速度が遅いことが原因で、余裕を持って解答さえすれば、こうしたミスの多くは防げるはずだ。

そのための対策としては、「質問の先読み」というテクニックを試してみようと思っている。自分はいつもバカ正直に頭から問題文を読んでから質問を読んでいるのだが、質問を先に読んでおけば少しは解答時間を短縮できるかもしれない。リーディングパートは時間との戦いだから、こういうテクニックも有効だろう。

それから、あまりにも簡単な問題は一度疑うというクセをつけてみようと考えている。あまりにも簡単に思える問題には引っかけが潜んでいる可能性が高い。なんだか本来の英語力とはかけ離れた部分の努力のように思えてしかたないが、このままでは自分の気が収まらないのでとにかくやってみよう。

たかがTOEICのスコアに一喜一憂するのもどうかと思うが、たかがTOEICだからこそ、満足なスコアが取れないというのはやっぱり悔しい。なので、来年もう一回TOEICを受験することにした。リスニングのスコアはこのままでもまったくかまわないが、リーディングはせめて470点くらいは取りたい。

ということで、今年もお世話になりました。今年最後の覚書なのに、なんだかグチばかりになってごめんなさい。どうぞよいお年を。



09/12/20

このところ小沢幹事長が熱い。最近は西松建設の政治献金問題で少しはおとなしくなったのかと思いきや、やっぱりこの人の傲慢さは直っていなかったようだ。なにしろ、天皇陛下でさえ自分の言うことを聞いていればいいんだという傲慢さだ。いったい自分のことを何様だと思っているんだろうか。

西松建設問題のときにも感じたことだが、小沢さんは相手を突っ込むときには強いが、自分が突っ込まれる立場になるといきなり弱くなる。だから、あんな感じでつい相手を恫喝するような態度になってしまうのだろう。これは、政治家としてあまり頭のいい対応ではない。

今回の天皇陛下の問題にしても、「この会見は、これからの日中関係の重要性を考えてのものですが、陛下にはご無理をお願いして大変申し訳なく思っています」くらいのことを神妙な顔で言っておけばいいものを、「陛下もきっとそう思っているはずだ」などと、天皇陛下の気持ちまで代弁するのだから救いようがない。

思い切り一般ピープルの自分が言うのも気が引けるが、きっと天皇陛下だって怒っていると思う。陛下だって人間だから、小沢さんの思惑通りに使われて気分がいいはずがない。もし自分が天皇陛下だったら、養老の滝あたりで冷奴をつまみに飲みながらグチのひとつでもこぼしたいことろだ。

この問題よりもっとひどいのが、民主党の議員を大勢引き連れて中国を訪問したことだ。民主党議員が嬉々として中国の国家主席とツーショット写真を撮っている姿がニュースで流れたが、日本人としては屈辱的な姿だと思う。まるで、中国の王様にかしずく朝献団だ。

この中国訪問がどういう意味を持つのか、真剣に考える議員はいなかったのだろうか。だとしたら、民主党議員は何も考えていない人間の集まりなのか、それでなければ本当に中国が大好きな人間ばかりなのだろう。そんなに中国がお好きなら、ずっと中国で暮らしてください。もう日本には帰ってこなくて結構です。

さらに、小沢さんは外国人参政権もゴリ押ししようとしているらしい。そんなに在日の人たちのご機嫌をとってどうしたいのだろう。選挙権が欲しければ日本人に帰化すればいいだけで、日本には永住するけれど日本人には帰化したくないという人たちに、無理に選挙権を与える必要はないだろう。

ここまで暴走する小沢さんを止められない鳩山さんも情けない。民主党は鳩山さんがまとめているのではなくて小沢さんの傀儡政権だと言われてもしかたがないだろう。友愛だとか訳のわからない理想論をかざすヒマがあったら、自分の党くらいはしっかりとまとめてほしい。

総選挙前から、おそらくすぐに民主党はグダグダになるだろうと予想していたが、予想通りになってきた。あとは、民主党の右派と自民党がまとまることを期待しているのだが、これは難しいかもしれない。結論としては、幹事長の小沢さんには、おとなしく忘年会の幹事でもやっていただきたいということだ。



09/12/13

今年も流されるままに生きてきたなと反省しつつ、今回は「青春の大学生活」の続きを書いてみたい。前回は、中野のフリー雀荘にデビューして奇跡的に勝ちを収めたことを書いたので、今回はその続きを書いてみたい。もう麻雀ネタはやめると前回書いたような気もするが、そんなことは忘れたフリをしてサクサク行こう。

中野のフリー雀荘には、月に1〜2度のペースで通っていた。本当はもっと頻繁に通って腕を磨きたかったのだが、なにしろ貧乏学生だったから先立つものがない。なので、仕送りや奨学金が振り込まれたときくらいしか行くことができなかった。仕送りや奨学金をギャンブルに使うのもどうかと思うが、もう昔のことなので許してください。

その日も、前回登場した強面のパンチパーマが対面に座っていた。この男は周囲から「社長」と呼ばれていて、どうやら土建会社の社長をやっているらしい。その豪快な外見とは裏腹に、麻雀の打ち筋はかなり繊細で、運に任せてどんな危険牌でも切るのではなく、ちゃんと頭を使って打っていることがわかるようなタイプだった。

そのときはオーラスで、自分がトップを走っていた。親は対面のパンチパーマで、早い巡目にいきなりドラのをポンした後、続けてもポンして一気に場が緊張した。捨て牌を見ると、ピンズの混一が匂ってくる。もしかしたら、対々も絡んでいるかもしれない。そうだとすれば、一気に親倍の可能性まである。

しかし、アガリトップの局面で手をこまねいているわけにもいかない。とりあえず、自分もタンヤオを目指してをポンする。どうやらトイツ場らしく、自分の手にも妙にトイツが集まってくる。二つ鳴いたときの手はとなっていて、がどうしても切れなかった。

しばらくは膠着状態が続いたのだが、上家が切ったを対面がポンしたときに一気に場が動いた。をポンした対面が切った牌は、なんとだったのだ。この牌を見て、自分は対面の待ちが見えたような気がした。対面の手の中は、おそらくだろう。

実は、この数巡前に上家が切った牌を下家がポンしたのだが、そのときに自分がつい先ヅモをしてしまったのだ。一瞬盲牌をしただけだが、その牌は間違いなくだった。この牌はそのまま対面の手の中に入ったきり、捨てられていない。つまり、対面の手の中には間違いなくがある。

また、ピンズの混一に見せかけながら、この巡目で手の内からが出てくるということは、に絡んだメンツが手の中にあると見て間違いない。最低でも東ドラ3の聴牌を確保するため、を鳴く前の手牌はまたはという形だったのだろう。そうでなければ、ここまでを引っ張る理由がない。

とにかく、の周辺さえ切らなければ問題はない。絶対にピンズの面子は手の内にはないはずだ。素人みたいな打ち方しやがって、そんなミエミエの待ちに誰が振るか。そんなことを考えながらツモってきた牌はだった。これでを切れば、という形の聴牌に取れる。

ここはを切る一手だ。普通なら一番の危険牌で切れる牌ではないが、対面の手牌を読みきったいまとなっては怖くない。自信を持ってを切った。しかし、その瞬間対面が大きな声で「ロン!」と言って手牌を開けた。何が起きたのか一瞬わからなかった自分は、「え?」みたいな間抜けな声を出したと思う。

対面の手はだった。この手を見た瞬間、対面に見事にはめられたことに気付いた。あのは、手の中にソーズ面子があると思わせてピンズを引き出すための撒き餌だったのだ。おそらく、が手の内にあるのがこちらにバレていることを見越した上での作戦だろう。

素人みたいな待ちだとバカにした自分が、実は一番素人だったということだ。結局、東混一対々ドラ3の親倍を打ち込んだ自分はトップから一気にラスまで落ちて、この日はまったくいいところなく終わった。おかげで、麻雀の厳しさを知ることができた。しかし、これに懲りずにフリー雀荘通いは続くことになるのだが、それはまた次回のお話。



09/12/06

早いもので、、今年も残り1ヶ月になった。早いとばかり言ってもしかたないのだが、年齢を重ねるにつれて本当に時間の経過が早く感じられる。ということで、ちょっと早いが今年を振り返っておくことにしよう。年頭の目標として「リスニングを頑張る」などと殊勝なことを書いたが、リスニングの勉強なんてこれっぽっちもやらなかった。

その代わりに、単語カードによるボキャブラリー学習は今年も順調に続けることができた。去年から作り始めた単語カードは、これまでに40個近くになっただろうか。ボキャブラリー増強による効果もまずまずで、ペーパーバックを読むのが以前と比べて確実に楽になった。

英語の独習を始めたばかりの頃を第一次成長期とすると、ボキャブラ増強に励んでいる現在は第二次成長期といった感じで、英語マスターに向けて確実に英語力が伸びている実感がある。なんつって、そんなに大げさなものではないが、とりあえず少しずつでも成長していることは間違いないと思う。

この覚書でも何回も書いているとおり、自分は語呂合わせで単語を暗記しているわけだが、ここで今年の新作語呂をいくつか紹介してみたいと思う。本当にくだらなくて大したことのない語呂だが、一回読めば確実に記憶に残る語呂なので、是非利用してください。

単語: coagulate 意味: 凝固させる 語呂: 「小アジは冷凍して凝固させる」
イマイチ料理の苦手な若奥さんが、スーパーの安売りでたくさん小アジを買った場面を思い浮かべてほしい。買ったのはいいが、いざさばくとなるとどうにも面倒くさい。とりあえず、まとめて冷凍庫に入れて凝固させて、後から料理すればいいわよね、と言い訳をしながら小アジを冷凍庫に入れる若奥さんであった。

単語: enamor 意味: 魅惑する 語呂: 「旦那がいねえ間に魅惑する」
結婚詐欺師のイケメンの男子が、小金持ちの若奥さんに狙いを定めて誘惑する場面を思い浮かべてほしい。あと一押しで落ちそうなのだが、なかなかガードが固くて難しい。しかし、旦那が泊りがけの出張に出かけたところを抜け目なく誘い出し、ちゃっかりと若奥さんを魅惑するイケメン詐欺師であった。

単語: tectonic 意味: 建築の、地殻変動の 語呂: 「適当にこしらえた建築物は地殻変動に弱い」
手抜き工事を指示して儲けている悪徳建築士を思い浮かべてほしい。新築マンションの設計を依頼された悪徳建築士は、いつものように適当に手抜きをして図面を書いたのだが、完成した直後に地殻変動による大地震が発生してマンションは倒壊してしまう。刑事責任を問われて激しく後悔する悪徳建築士であった。

キリがないので、とりあえずこれくらいにしておきます。ここに書かれた情景を思い浮かべながらこのくだらない語呂を読むだけで、あら不思議、その瞬間から単語が脳裏に焼き付けられることを保証します。語呂による単語の暗記は慣れてくると意外に楽しい作業なので、ぜひとも試してみてください。お勧めです。



09/11/29

こそっとTOEICなどを受けてみることにした。別にこそこそする必要はないのだが、いまさら若い衆に混じってTOEICを受けるというのもなんだか恥ずかしい。恥ずかしいけど、42歳のおじさんが受けても悪いということはないだろう。ということで、TOEICを受けることにした。

最後にTOEICを受験したのはいつのことだろうと考えてみると、2002年の11月に受けたのが最後だということがわかった。なんと、あれからもう7年も経っているのか。歳を取るはずだ。このときの受験では初めて900点の大台を超えて満足していたが、現在はどのくらいの英語力になっているのだろうか。

何年か前にテスト形式が新しくなったという情報だけは知っていたので、今回受験するにあたって「TOEIC試験スーパー模試600問」という問題集を買ってみた。実際に問題を解いてみて驚いたのだが、なんだかものすごく難しくなったように感じる。本番の試験も同じように激しく難しくなっているのだろうか。

リスニングパートに関しては、パート3がいきなり難しくなったように感じた。1つの設問につき3つの質問に答えるという形式は、自分のようにリスニングが苦手な人間にとってはものすごく大変だ。だいたい、普段の会話だって一問一答形式が基本なのに、いきなり3つも質問するんじゃない。そんなせっかちなヤツは嫌われるぞ。

パート4についても、1つの設問につき3つの質問に答えるという形式は同じだ。この問題集を解いてみて、本番の試験を受けるのがいきなりイヤになってきた。以前の試験でもパート4が自分にとっての鬼門だったのに、今度はパート3まで同じような形式になったわけだから、ものすごくやる気が削がれる。

リーディングパートに関しては、パート7のボリュームが激しく増えた。パート6の「間違い探し」の問題がなくなったのは嬉しいが、その分パート7のボリュームが増えたのでプラスマイナスゼロというところだろうか。実際に問題集を解いてみると、ボリュームが多いだけでなく、かなりトリッキーな問題も含まれている。

時間的にもギリギリだ。すべての問題を解き終わって時計を見ると、残り3分くらいしか余っていない。とても見直しをしている余裕などなく、とりあえずすべての問題を時間内に解き終えたというだけのことだ。本当に、本番の試験もこの問題集と同じくらいに難しいのだろうか。なんだかどんどん不安になってくる。

この問題集には3回分の模擬試験が収録されていて、それぞれの試験について予想スコアが出せるようになっている。実際にスコアを出してみたところ、リスニングは450〜460点、リーディングは3回とも495点という結果になった。本番の予想スコアとしては950点前後になるのだろうが、本当にこの予想スコアは信頼できるのだろうか。

新しい形式に慣れておくために軽い気持ちでこの問題集を買ったのだが、なんだかまったく自信がなくなってきたというのが正直な感想だ。本番の試験もこれと同じくらいのレベルだとしたら、スコアアップする自信なんてまったくない。そんな情けない状態で、これから受験会場に向かいます。



09/11/22

日暮れの早さに寂しさを感じつつ、今回は「青春の大学生活」の続きを書いてみたい。前回は、高田馬場のフリー雀荘に初めて足を踏み入れて、ドキをムネムネさせながら打ったところまで書いたので、今回はその続編を書くことにしよう。名付けて、「麻雀放浪記: 青春編」だ。いや、そんなに大層なもんじゃないけど。

高田馬場でフリー雀荘デビューを果たした自分は、今度は本物のフリー雀荘で打ってみたいと思うようになった。高田馬場のフリー雀荘は相手が自分と同じ学生なので、やっぱりどこか雰囲気がぬるい。高校時代に阿佐田哲也の「麻雀放浪記」を愛読していた人間としては、あの鉄火場の雰囲気を少しでいいから味わってみたい。

そう考えて自分が向かったのは、中野の雀荘だった。いきなり歌舞伎町の雀荘に行くのは怖いので、ちょっとだけ土地勘のある中野を選んだのだ。しかし実際に店に入ってみると、パンチパーマの人や、黒いシャツの胸元に金のネックレスを光らせているハイセンスな人もいて、なかなかの雰囲気だ。

この雀荘は、ピンのワンツーというごく標準的なレートだった。麻雀に詳しくないよい子のために説明すると、トップを取った場合は約5,000円の収入になるレートで、貧乏学生にとってはかなり高額なレートだ。そのせいか、フリー雀荘にデビューしたときよりもさらにドキがムネムネしていた。

そんな感じで脇の下から嫌な汗を流しながら打っていると、対面のパンチパーマが親のリーチをかけてきた。牌捌きが鮮やかで、かなり打てるヤツだという印象を最初から持っていた。そのときの捨て牌はこんな感じだったと思う。

典型的なタンピン系の捨て牌だ。しかし、何で待っているかはさっぱりわからない。萬子、筒子、索子、どれも危険そうに見える。だいたい、捨て牌から相手の待ち牌を読むなんて器用なマネが自分なんかにできるわけがない。そんな頭を持っていたら、いまごろ薄給のサラリーマンなんてやってない。

しかし、何巡か後に対面がツモったときの盲牌の仕草にピンときた。麻雀に詳しくないよい子のために説明すると、盲牌というのは親指の腹で牌の表面を触って、その牌が何であるかを当てる技術のことだ。目で見ずに指の感覚だけで牌を当てるというとなんだか凄そうに感じるかもしれないが、ちょっと練習すれば誰にでもできる。

話を戻すと、このときの対面はほんの一瞬だけ牌の表面を目で確認したのだ。それまでは牌を目で確認するなんてことはなく、盲牌だけでツモ切っていたのに、このときだけはほんの一瞬とはいえ自分の目で牌を確認したのだ。結局、その牌もそのまま河に切られたのだが、それはだった。

このを見た瞬間、「ははあ、対面のヤツ、で待ってやがんな」とピンときた。盲牌で一番間違いやすいのは、実はなのだ。自分もこの2つはよく間違えるからわかる。だから対面は、を盲牌したときに、もしかしたらではないかと思って一瞬だけ確認したのだ。絶対にそうに違いない。

そのときの自分の手牌はこんな感じだった。 何の変哲もないノミ手だが、対面の捨て牌にが切られているのを見てダマで構えていた。そこにツモってきたのが、なんとだった。心の中で舌打ちをするが、表情には出さずにを切った。

次の巡目、安全牌に窮したらしい上家が、「うーん、これは一応スジだけどなあ」とつぶやきながらを切った。その瞬間、対面が大きな声で「ロン!」と言いながら手牌を開けた。 ドラがだから、メンタン三色イーペーコードラ3の親倍満という強烈な手だ。

その手を確認してから、「すいません、頭ハネです」と言って、中ノミのこの手 を開けたときの対面の表情はいまでも忘れられない。たまたま単騎になったわけではなく、その直前に両面待ちのを切っているわけだから、待ちを読んだ上での単騎だということは誰が見てもわかる。

まるで麻雀劇画みたいだな、オレってもしかしてカッコいい? などと思いながら、こみ上げてくる笑みを必死でこらえていた。このプレーが効いたのか、この日は親の国士もアガったりして絶好調だった。半荘5回ほど打って2万円近く稼いだと思う。貧乏学生にとっての2万円はものすごい大金だ。

結局、フリー雀荘デビューは2連勝ということになり、もしかしてオレって才能あるんじゃないの? とさらに勘違いの度合いを深めていくことになるのだが、それはまた次回のお話。って、麻雀ネタはついてこられない人もたくさんいると思うので、次回は別のお話を書きます。



09/11/15

ついに市橋達也くんが捕まったらしい。逃走から2年7ヶ月を経ての逮捕劇はなかなか盛り上がった。それにしても、逃げるための手段であったはずの整形手術が逮捕のきっかけになるとは、なんとも皮肉なものだ。下手に整形手術さえしなければ、時効までの15年間をうまく逃げ切れたかもしれない。

達也くんらしき人物が名古屋の病院で整形手術を受けたらしいというニュースを最初に聞いたときには驚いた。自分としては、富士の樹海あたりの人目につかない場所でとっくに死んでいるとばかり思っていたからだ。なにしろ、当時はどのマスコミも大々的に報道していたし、それに加えてあの特徴的な顔立ちだ。見つからないわけがない。

それが2年以上も捕まらないということは、とうの昔に死んでいるに違いない。だから、交番に貼ってある達也くんの手配写真を見るたびに、「どうせもう死んでるのに」と思っていた。しかも、逃げたときには裸足で逃げたというのだから、余計にそう思い込んでいた。そんな状態で警察から逃げられるわけがない。

しかし、達也くんはそんな自分の思い込みを見事に裏切ってくれた。誤解を恐れずに正直な感想を言わせてもらえば、達也くんのこの生活力というか生命力はかなり凄いと思う。裸一貫ならぬ裸足一貫から曲がりなりにも自分の生活を築き上げたその逞しさは、少なくとも自分にはない強さだ。

もし自分が達也くんと同じ立場だったとしたら、いったいどうなっていただろうか。きっと、裸足で逃げ出した段階ですぐに挫けていただろう。だって、裸足なんて痛いじゃん。走っている途中でガラスの破片や古釘なんかを踏んだら、きっと泣くね。それで、道端で泣いているところをあえなく逮捕されるね。

そんなヘタレな自分のことはともかく、達也くんは警察から見事に逃げ切っただけでなく、保険のきかない高額な美容整形の料金を現金でポンと払えるだけの蓄えまでも作ったのだから凄い。事件を起こす前はどうしようもないニートだったらしいが、この事件が自立のきっかけになったというのも皮肉な話だ。

それにしても、都会の人間は驚くほど周囲の人間には無関心だということを、今回の事件で改めて感じた。整形手術を受けた後ならともかく、あれほど特徴的な顔立ちの逃亡犯が連日大々的に報道されていたのに、それに気付く人間は皆無だったというのだから驚く。

最初に整形手術を行った医者も、おかしいとは思わなかったのだろうか。整形手術というものはブサメンをイケメンにするために受けるはずなのに、達也くんの場合はわざわざブサメンにしているわけだから、何か事情があると考えるのが普通だろう。そこに思いが至れば、警察の手配写真を調べるくらいのことは簡単にできたはずだ。

それはともかく、今回の事件でもう一つ思ったことは、被害者がイギリス人女性ではなく、フィリピンや中国などのアジア人女性だったらここまで大きな騒ぎにはならなかっただろうということだ。このあたりは、いかにも欧米人に対するコンプレックスを抱えた日本人らしくて微笑ましい。



09/11/08

Thomas Hardy の名作 "Jude the Obscure" をようやく読んだ。この作品は、英語の独習を始めたばかりの頃にチャレンジしたペーパーバックで、そのあまりの難しさに、30ページくらい頑張って読んだところであえなく挫折した経験のある作品だ。いまから15年くらい前のことになるのだろうか。

最近、会社の近くにある図書館で面白そうなペーパーバックを物色していたときにこの作品に再会した。見覚えのある表紙を目にしたときには、挫折した当時の思い出が甦ってきた。それと同時に、いまなら読めるのではないかという思いも湧いてきたので、久しぶりに読んでみることにした。

どのくらいの難易度の作品なのかは、以下の文章を読んでもらえばわかると思う。これは、学校を辞めて隣町に引っ越す先生を、ジュードが悲しく見送る冒頭の場面だ。作品の最初から最後まで、こうしたレベルの文章がずらりと並んでいる。正直なところ、かなりタフな作品だ。

Tears rose into the boy's eyes for he was not among the regular day scholars who came unromantically close to the schoolmaster's life but one who had attended the night school only during the present teacher's term of office. The regular scholars if the truth must be told stood at the present moment afar off like certain historic disciples indisposed to any enthusiastic volunteering of aid.

どうですか、一度読んだだけですんなりと意味が理解できますか? 最初の文章はそれほど難しくないような気もするけど、次の文章は思い切り難しくないですか? こういう文章が最初から最後まで続くので、あのときに挫折したのも無理はないと思う。思い切り乱暴に訳すと、だいたい以下のような意味になる。

ジュードの目に涙が溢れてきた。これといった夢も持たずになんとなく学校に通って先生と接しているだけの昼間の生徒たちとは違い、先生が教える夜間の授業だけに通っているジュードにとっては、もうこれで先生に会うことはできなくなるからだ。実際に、昼間の生徒たちは遠くから眺めているだけで、自分たちから進んで先生を手伝おうとはしなかった。

最後の「historic disciples」の部分は、何を指しているのかよくわからない。もしかしたら、キリストとその弟子たちに関係した含みのある表現なのかもしれないが、残念ながらキリスト教の知識がない自分には正確なニュアンスを読み取ることはできない。まあ、こうした細かい部分は無視しても読むのに支障はない。

15年前と現在とでは、単語力が大きく異なっているのは当然だが、英文を読むということに対してアバウトになってきたというのも大きな変化だと思う。勉強を始めたばかりの頃は、ペーパーバックを読むのも勉強のひとつだと思い、やたらと肩に力を入れて読んでいた。

そんな感じだから、自分の理解できない文章に出会うと、なんとか理解しようとして必死に読むことになる。これが最後まで続けばいいが、当然そんな根性などないからすぐに本を放り投げてしまい、挫折感だけが残ってしまう。こんな読み方ではストレスが溜まる一方で、精神衛生上もよろしくない。

しかし、それなりの量を読んできたいまは、適当に読み流すという技術を覚えた。適当に読み流すと書くと、なんだか手抜きをしているように思えるかもしれないが、これは英文を読む際の立派な技術だと思う。ストレスを溜め込まずに英文の読書を習慣にしたければ、絶対にこの技術を体得する必要がある。

ということで、難しい文章にはあまりこだわらず、おおらかに読み流すことをお勧めしたい。どうしても気になる文章があるときだけ、辞書や文法書を駆使して英文解釈に挑戦すればいいと思う。リーディング力を伸ばすためには、どれだけ難しい文章を読むかではなく、どれだけの量を読むかの方がずっと重要だ。



09/11/01

なんだか結婚詐欺の女子がすごいことになっているらしい。だました男子を練炭自殺に見せかけて殺害したらしいだけでなく、彼女が接近した男子はことごとく不審な死を遂げているらしい。まだ捜査段階だから「らしい」としか書けないが、もしこれが本当だったら前代未聞の結婚詐欺連続殺人ということになる。

これだけ次々に男子を手玉にとるくらいだからさぞかし美人さんかと思いきや、実際はそうでもないらしい。女子の結婚詐欺というからには、その美貌を武器にして男子をだましているのかと思ったが、そうした部分がイマイチでも引っかかる男子は少なくないようだ。

実際に自分がそうした立場になったらと考えてみると、絶対にだまされないと言い切るだけの自信はない。自分はインチキ臭いことが大好きで、詐欺の手口などを紹介した本なども何冊か読んでいるが、そうした頭の中だけの知識と実際に経験するのとではまったく違う。

だいたい、自分が好きになった相手から「お金に困っているの」と言われれば、なんとかしてあげたいと思うのが人情だろう。少なくとも自分はそうだ。だって、人間だもの(by みつを)。そうした人間としての当たり前の感情を手玉にとってだますのだからタチが悪い。

最初からだますつもりで近づいたにしても、付き合っていくうちに情が移ったりはしないのだろうか。どんなに冴えない人間でも、付き合っていくうちにいいところが見えてきて、次第にその人のことを好きになっていくのが人情だろう。少なくとも自分はそうだ。だって、人間だもの(by みつを)。

そうした当たり前の感情に一切捕われず、金をむしれるだけむしった後は殺害して口封じをするなんて、同じ人間としては考えられないくらいの残酷さだ。この女子が関わったとみられる事件は何件もあるらしいが、これらのすべてについて立件されれば死刑は間違いない。

すべてを立件するのは難しいとしても、2件だけでも立件できれば死刑の可能性は高いだろう。裁判員制度の対象となれば、死刑判決の可能性はさらに高まると思う。まだ確定情報ではなく、あくまでも推測でしかないのだが、とにかく前代未聞の事件に発展する可能性は充分にあると思う。

それにしても、これだけの凶悪犯罪の犯人らしい人物が女子というのも驚きだ。女子の犯罪で一番多いのが覚醒剤などの薬物事件で、強盗や殺人などの暴力犯罪を犯す女子は極めて少ない。それなのに今回は、結婚詐欺に加えて連続殺人だ(あくまでも推測です)。

女子による連続殺人事件というのは、これまでの日本であっただろうか。自分はちょっと記憶にない。そういう意味で、とにかく前代未聞の事件だと思う。おそらくこの犯人には、普通の人間としての感情が完全に欠落しているのだろう。こういう根っからの悪人というのはやっぱりいるんだなと、今回の事件で改めて感じた。



09/10/25

前回は森田健作がらみのネタを書いたので、今回も森田知事がらみのネタで攻めてみたい。成田空港の一件に隠れてあまり大きな話題にはならなかったが、森田知事が北総線の運賃値下げを求めて政治的な行動に出たらしい。わかりやすく言うと、運賃値下げのために税金を投入してくれということだ。

たしかに、北総線の運賃はバカみたいに高い。北総線には5年くらい前に1回しか乗ったことはないのだが、たしか初乗りで300円くらいしたと思う。グリコは1粒300メートルらしいが、千葉が誇る北総線は1駅300円だ。どうだ、まいったか。グリコなんかにゃ負けないぜ。

なぜこんなに高いのかといえば、北総線沿線の千葉ニュータウンの開発がうまく進んでいないからだ。開発当初の計画では、千葉ニュータウン全体で34万人規模の都市を計画していたらしいが、開発開始から40年以上が経ったいまでも、ニュータウンの人口は10万人にすら達していない状況だ。

開発に至った経緯などはよく知らないが、おそらく成田空港と都心を結ぶ線路を引きたかったというのも理由の一つだったのだろう。成田空港の開港が1978年で、千葉ニュータウンの開発開始が1970年前後だから、成田空港と千葉ニュータウンには密接な関係があると考えるのが自然だと思う。

線路を引くからには乗客を乗せて走らなければ鉄道会社としての経営は成り立たないわけで、そのために強引に千葉の山奥を切り開いてニュータウンを造ることになるのだが、これが見事に失敗して現在に至るというわけだ。結果として残ったのはバカ高い運賃だけというオチでは笑えない。

高くて不便な路線の沿線にはだれも住みたがらないから、千葉ニュータウンにはなかなか人が集まらず、その結果として北総線の運賃も下げることができないという、まさに負のスパイラルに陥っているのが現在の北総線と千葉ニュータウンの実態だろうと思う。

自分も興味本位で5年くらい前に北総線に乗って千葉ニュータウン中央駅で降りてみたことがあるが、駅前の風景を見てまず思ったのが、なんて空が広い街なんだろうということだ。背の高いビルやマンションもあることはあるのだが、視界を遮るほどには密集していないため、空がやたらと広く感じるのだ。

実際に駅の周辺を歩いてみても、広大な空き地があちこちに広がっていて、なんだか妙に落ち着かない気分になる。開発されてから何十年も経っているのに、成熟した街という雰囲気はまったくない。だからといって、若い街に特有の活気に満ちた雰囲気というのも感じられない。とにかく妙な雰囲気なのだ。

こうした千葉ニュータウンの雰囲気を気に入って住んでいる人も少なからずいるだろうから、あまり悪く書きたくはないのだが、少なくとも自分の場合は積極的に住みたい街だとは思えなかった。これからも開発が進まなければ、おそらくこの中途半端な雰囲気のままで街全体が妙に成熟していくのだろう。

来年には、北総線からの延伸で成田空港までつながるらしい。これを機会に、千葉ニュータウンへの人口流入を期待する見方もあるようだが、おそらく大きな効果は期待できないだろうと思う。これからは日本の人口は減少する一方で、土地の価格もそれにつれて下がるだろうから、わざわざ不便な郊外に住む理由がなくなる。

結局のところ、成田空港の地理的な不便さがこういうところにも少なからず影響しているのだと思う。こんな不便な空港では人は集まらないし、そんな不便な空港まで無理して線路を引いたところで、これまた人は集まらない。成田空港とその周辺地域も、負のスパイラルに陥っているような気がする。



09/10/18

最近の世の中は、羽田空港を国際的なハブ空港として整備するという話題で持ちきりらしい。八ツ場ダムの建設中止を明言したかと思えば今度は羽田空港のハブ化をぶち上げるなど、前原大臣は就任早々大活躍だ。さすがに民主党の郷ひろみはやることが派手だ。

これに噛み付いたのが、我らが千葉県知事の森田健作だ。記者会見でものすごい勢いで怒ってみせたと思ったら、次の日にはもう満面の笑みで前原大臣と和解しているのだから驚く。なんのためにあれほど怒ったのか、わけがわからない。たった1〜2時間の会談で手打ちするくらいなら最初から怒らなければいいのに。

元俳優だけあって、この人は何をやっても芝居がかって見える。今回の件についても、地元のために本気で怒っているんだという態度を取ることで千葉県民の共感を得ておこうという下心が透けて見えて、こういう三文芝居を見せられる方としてはなんとも白ける。

森田知事には悪いが、千葉県民の自分としても羽田空港のハブ化には賛成だ。なんといっても、やっぱり成田空港は遠い。自分の住んでいる稲毛から出かけることを考えた場合、距離的には羽田よりも成田の方が近いし、乗り換えの必要もないのだが、成田の方が便利だとはどうしても思えない。

なぜかと言えば、空港周辺の交通網が羽田と比べてあまりにも貧弱だからだ。空港に行くには総武線か京成線しかないし、さらに本数も少ない。羽田ならば、ちょっとタクシーに乗ればすぐに地下鉄やJRの駅に出られるから便利だ。この差は想像以上に大きいと思う。

千葉県の場合、交通システムが発達しているのは総武線の千葉駅までで、そこを境に東方向は景色ががらりと変わる。千葉駅から東方向に向かう電車はいきなりローカル色の漂う車両に変身して、電車の本数も極端に少なくなる。その延長線上に成田空港があるわけだから、不便なのは当然だ。

マンションや戸建のチラシに、「最寄の○○駅から東京駅まで直通60分で便利です!」などという謳い文句が踊っているのを見ることがあるが、これが内房線や外房線あたりの最寄駅の場合は要注意だ。たしかに乗車時間は60分かもしれないが、本数が少なければあまり意味はない。

たとえば、5分おきに電車が来る路線と20分おきに来る路線では、いくら目的地までの所要時間が同じでも、どちらが便利かは言うまでもないだろう。5分おきに電車が来る路線なら、電車の時間は特に意識する必要はないが、20分おきにしか来ないとなると、常に電車の時間を意識しなければならない。

これでは、いくら目的地まで60分で行けるとしても、そのためには出発時間を計算する必要があるわけだから、実はその分の時間だけ常に損をしていることになる。つまり、交通システムが便利か不便かということは、目的地までの距離や時間ではなく、そのシステムがいかに発達しているかによって判断すべきだということだ。

この点から考えると、成田空港は発達した交通システムを備えているとはとても言えない。どちらがハブ空港としての資格を持っているかと訊かれれば、羽田に軍配が上がるだろう。これまでに、羽田と成田を1回ずつ利用したことが人生の唯一の自慢である自分が言うのもおこがましいが、とりあえずいまの成田は使えないと思う。



09/10/11

それにしても、今回の台風にはまいった。何日も前から天気予報では「非常に大型で勢力の強い台風です」などと騒いでいたが、実際のところは大したことないだろうとなめていた。そんな態度だったから罰が当たったのだろうか、当日はほんの少しだけ痛い目にあった。

台風上陸の朝は大事をとっていつもより20分くらい早めに家を出た。普段も定時の20〜30分くらい前には会社に着くようにしているから、この日は40〜50分くらいの余裕を持って出勤したことになる。さすがにこれだけ余裕があれば、多少電車が遅れたとしても定時には着けるだろうと思っていた。

そんな感じで安心して総武線に乗ったのだが、15分くらい走ったことろでいきなり停車した。車内放送によると、先行電車が強風のために荒川あたりで立ち往生しているらしい。心の中で舌打ちをしながら、それでも辛抱強く電車が再び走り出すのを待っていた。

しかし、待てど暮らせど一向に電車が走り出す気配はない。車内放送も、最初は「この強風はあと1時間は続くものと見られます」と言っていたものが、「この強風は午前中いっぱい続く見込みです」というアナウンスに変わってきた。停車してから1時間ほど車内で待ったところで、あきらめて電車を降りた。

おそらく、この電車が動き出すのは午後になってからだろう。JRは一度強風で事故を起こしているだけに、こうした状況ではかなり慎重になるだろうから、風がおさまってもしばらくは様子を見るに違いない。午前中いっぱいで風がおさまったとしても、運転再開は午後2時くらになるのではないか。

そう考えた自分は、今日は会社にたどり着くのは難しそうだと判断した。なにしろ、平行して走っている京葉線も東西線も京成線も止まっているのだ。この後、かろうじて京成線だけは運転を再開するのだが、大幅な間引き運転で、あぶれた乗客をさばききれるとは到底思えない。まさに手も足も出ない状態だ。

このときはすでに定時を過ぎていたので、会社に電話を入れなければならない。しかし、自分は携帯電話などという文明の利器は持っていないから、大勢の人がごったがえす駅構内を公衆電話めがけて人をかきわけながら進んだ。このときばかりは、携帯電話が欲しいと切実に思った。

とりあえず、今日は会社にたどり着けそうにないことを告げて受話器を置いたところで、さてこれからどうしたものかと考えた。とにかく、電車という電車がことごとく走っていないのだ。会社にたどり着けないということは、逆に言えば家にもたどり着けないということだ。

駅周辺は途方に暮れた通勤客でごったがえしているし、近くのファストフード店や喫茶店は満員だし、外は街路樹が折れるほどの強風が吹いているしで、まさに身動きが取れない。しかし、いつまでも途方に暮れているわけにもいかないから、強風が吹き荒れる外に出て歩き出した。困ったらとにかく歩く、それが自分のモットーだ。

外はすでに雨は上がって、きれいな青空が広がり始めている。かなり気温も上がってきて、スーツを着込んだ身体からは汗が流れ落ちるが、なんだか悪くない気分だ。途中で見かけた雰囲気のいい神社やお寺などに立ち寄って散策をしてみる。うん、台風の中の散歩というのも意外に悪くない。

そんな感じで2駅くらい歩いて駅の様子を覗いてみると、まだ朝と同じ状態だ。この時点で12時を回っていたため、会社に行くことは完全にあきらめた。頑張って出社したところで誰もほめてくれないし、午後2時や3時に出勤したところでほとんど仕事なんてできない。

最近は天気予報の精度も上がっていることだし、今回のような場合は前もって運行停止を予告したらどうだろう。関東地方が暴風域に入ってから抜けるまでの時間帯を予測してその間は運行停止にするのだ。そうすれば、今回のような大混乱は防げるのではないだろうか。とにかく、途中の駅で放置されるのが一番困る。



09/10/04

気付いてみればいつの間にかすっかり秋だ。日が暮れるのも早くなってきて若干寂しいが、今回はそんなちょっとセンチな気分で「青春の大学生活」の続きを書くことにしよう。前回は夏休みの住み込みバイトについて書いたので、今回は夏休みが終わってからの生活について書いてみたい。

サークルの夏合宿や住み込みバイトといった大きなイベントが終わると、秋の気配とともに大学生活も少し落ち着いてくる。相変わらず雀荘のバイトは続けていたが、前期試験が終わると授業はサボりがちになってくる。そこで余った時間を何に使ったというと、麻雀だ。

大学の数少ない友人と授業が終わった後などに卓を囲むこともあったが、あまり麻雀の強い友人はいなかったため、いつも欲求不満を感じていた。自分もそれほど強いわけではないが、その自分が「こいつらは弱い」と感じるくらいに友人たちのレベルは低かった。

それなりに強い人間と打ちたいと思った自分は、秋も深まったある日のこと、高田馬場駅にほど近い学生向けのフリー雀荘に入った。麻雀に詳しくないよい子のために説明すると、雀荘にはセット雀荘とフリー雀荘の2種類があって、セット雀荘とは知り合い同士の4人がセットになって麻雀を打つ雀荘のことだ。

一方のフリー雀荘とは、一人で店に入り、同じように一人で来ている人たちと麻雀を打つ雀荘のことを指す。つまりは、仲間内で気軽に打つのがセット雀荘で、見知らぬ他人と緊張しながら打つのがフリー雀荘ということだ。フリー雀荘には麻雀の腕に自信のある人間が集まってくるわけだから、当然ながらレベルは高い。

レベルの高い勝負を期待してフリー雀荘に入ったわけだが、最初からバリバリのフリー雀荘に入るのはさすがに怖かったので、レートの安い学生向けの雀荘を選んだわけだ。レートはたしか0.5の5-10だったと思う。麻雀に詳しくないよい子のために説明すると、トップを取った場合は2000円ほどの収入になるレートだ。

いまから考えると子供の遊びみたいに安いレートだが、当時はこのレードでもかなりビビっていた。いや、レートがいくらであるかはあまり重要ではなく、見ず知らずの他人といきなり卓を囲むということにビビっていたのだろう。店に入って卓に座ると、こめかみあたりまで響くくらいにドキがムネムネしていた。

そんな状態だったから、山から牌を取ってくるときも手が震えた。緊張している様子を見せたら相手に舐められてしまうので必死に冷静な表情を作るのだが、やっぱりドキはムネムネするし、脇の下からは嫌な汗が流れてくるしで、こんな店に入ったことを最初から後悔する情けなさだった。

こんな感じで思い切り緊張しながら打っていたので、頭の中は真っ白だった。しかし、東二局に初めてリーチをかけたときの手牌だけはいまでも覚えている。もちろん、13牌の形をすべて正確に覚えているわけではないが、大体は以下のような形の聴牌だったと思う。



 のシャボ待ちという、なんとも芸のないリーチだ。点数状況によっても異なるが、いまの自分なら を落としてタンピンの形にしてからリーチをかけるだろう。筒子の一通だって見えている。それなのに、 のシャボというリーチではもったいない。こういう形でリーチをかけるなんて、ド下手もいいところだ。

もちろん、そんなことくらいは当時の自分もわかっていたのだが、極度の緊張で頭の中が真っ白だったため、「早くリーチをかけてあがらなきゃ」ということしか考えられなかったのだ。手牌が聴牌する前に自分自身がすでにテンパっているわけだからまったく話にならない。

それでも、この日のフリー雀荘デビューは半荘4回打ってプラス3,000円くらいという結果だったと思う。わずかながらも勝ったことにより、「もしかしたら、俺って才能があるんじゃないのか」などと勝手に勘違いをして、さらに麻雀にのめり込んでいくことになるのだが、それはまた次回のお話。



09/09/27

花王が販売している食用油の「エコナ」に、発がん性物質を生成する可能性のあるグリシドール脂肪酸エステルが含まれているということで、花王はエコナの販売を自粛すると発表したらしい。なんだか難しくて覚えにくいので、自分の中では「グリたん」と呼ぶことにした。

正直なところ、このニュースを最初に聞いたときにはほとんど関心がなかった。最近の健康ブームで消費者はこうした問題に敏感になっているから花王さんも大変だなあ、くらいにしか思っていなかったが、最近になって主婦などを中心とする消費者団体がクレームをつけたというニュースを聞いて、突然キナ臭いものを感じるようになった。

今回のようなことがあると、まるで鬼の首でも取ったような顔で抗議に出てくるこうした人たちを見るたびにうんざりする。こういう人たちの言うことはたしかに正論だが、世の中は正論だけではうまく回らない。偉そうな顔で自分たちの権利を訴えるからには、しっかりと義務を果たしているんだろうなと突っ込みたくなる。

そもそも、こういう人たちは純粋に自分たちの意志だけで抗議しているのだろうか。今回の騒動には何か裏があって、そうした裏で糸を引く団体や組織の傀儡として抗議しているのではないか。要は、最近流行りの「プロ市民」というやつだ。上で「キナ臭い」と書いたのはそういうことだ。

もし純粋に自分たちの意志だけで抗議しているのだとしても、かなり論点がずれている。今回の騒動については、グリシドール脂肪酸エステルが体内で分解されるときに発がん性物質が生成される可能性があるというだけで、はっきりしたことはまだ何もわかっていないという状態だ。

それを、いきなり命に関わる危険な食品だと言わんばかりの勢いで抗議をするのはどうかと思う。こんなことに抗議するヒマがあるなら、なぜタバコについて抗議しないのか。エコナの場合は「発がん性物質を生成する可能性があるかもしれない」というレベルの話だが、タバコについてはそんなレベルではない。

タバコにはさまざまな発がん性物質が含まれていることは間違いのない事実だし、何よりもタバコのパッケージに「タバコは有害です」という旨の注意書きが記されている。常に正論をふりかざす消費者団体さまには、エコナを弱いものいじめするのではなく、タバコというボスキャラを徹底的に追求してもらいたい。

エコナの場合は、発がん性物質が怖かったら買わなければいいだけの話だが、タバコはそういうわけにはいかない。そばでタバコを吸っている人がいれば、自分もその煙を吸ってしまうからだ。受動喫煙だって、エコナとは比較にならないくらい危険なことは間違いない。

今回の消費者団体がプロ市民であっても純粋な善意の市民であっても、自分としてはどちらでもかまわない。プロ市民であれば、もっと本質的な部分でプロ意識を発揮してもらいたいし、純粋な善意の市民であるなら、もっと大事なことがあるだろうと言いたい。



09/09/21

今週からトップページの一番下にテキストリンクをいくつか遠慮がちに貼っているのだが、気付いた人はいるだろうか。これはテキスト広告というもので、これを貼ればお金をあげるという親切な人がいたので、そのとおりにしてみた。世の中にはいい人がいるものだ。

よくある「1クリックにつき○円」みたいな歩合制ではなく、「1ヶ月につき○円」という定額制なので、気を使って無理にクリックする必要はありません。まったくクリックする人がいなくても、サーバーがダウンするくらいの勢いで怒涛のようにクリックが集中しても、自分の懐に入る金額は同じなので、そのあたりは気にしないでください。

などと、09/03/29の覚書に書いた文章をコピペしてみた。とりあえず、これで2件目のテキスト広告の依頼をもらったということになる。子供の小遣い程度の金額とはいえ、自分のサイトが金を生み出すことになるとは思わなかった。何事も長く続けてみるものだ。

いつも思うことなのだが、こうしたテキスト広告というのは本当に効果があるのだろうか。もちろん効果があるからこそ、お金を払ってまでリンクを置いてくれとお願いする業者がいるわけだが、本当にそうした投資に見合うだけの収入があるものなのか、自分としてはどうにも疑問だ。

このサイトは一応英語学習者を対象としているわけだが、そうした人たちが集まるサイトに「任意整理」とか「カードローン」といったリンクを貼ったところで、いったいどれくらいの人がそのリンク先に興味を持つだろうか。少なくとも自分だったら、そうしたテキスト広告はすべて無視すると思う。

これが一日に何千アクセスもあるような人気サイトなら話は別だろうが、このサイトのようにしょぼいアクセス数しかないサイトでは、その効果はたかが知れている。自分としては、こんなしょぼいサイトにリンクを貼ってお金をもらうのがなんだか心苦しいくらいだ。

そもそも、こうしたサイトの選択基準はどうなっているのだろう。業者としては、どういった基準でテキスト広告を置くサイトを選んでいるのだろう。サイトの運営者に支払う金額は一律だとすると、なるべくアクセス数が多いサイトを選んだほうが業者としては得であることは間違いない。

アクセス数の多寡によって金額が異なるとしても、アクセス数の多いサイトを選んだほうが得だろう。そもそもアクセス数が絶対的に少なければ、クリックしてもらえるチャンスなど皆無だ。少なくとも自分が業者だったら、高い金額を払ってもアクセス数の多いサイトを選ぶと思う。

というわけで、どうしてこのサイトが選ばれたのか自分でも激しく疑問だ。いくら小額とはいえ、業者としては投資をしていることには変わりないわけだから、まさかサイコロを転がすような感覚で適当に選んでいるわけでもないだろう。だとすると、このサイトが選ばれた理由がますますわからなくなってくる。

などといくら考えても適当な理由が思いつかないので、これ以上うだうだと考えるのはやめておこう。とりあえず、まったく効果がないのにお金だけもらうというのはさすがに心苦しいので、ほんの少しだけ宣伝しておきます。もし興味のあるリンクがあればクリックしてみてください。よろしくお願いします。



09/09/13

先週は遅めの夏休みを取って実家に帰省したのだが、実家にある大きな液晶テレビを見て改めて思ったことがある。それは、いくらきれいな女優さんが念入りに化粧をしても、デジタル放送の大きな画面に映されてしまっては、肌の衰えまではごまかせないということだ。

それはもう残酷なまでに、目尻のしわや目の下のたるみ、さらにはファンデーションで塗り込めたはずのシミやソバカスなどもテレビ画面にクリアに映ってしまう。ひどい人になると、無残に開いた毛穴まで見える始末だ。思春期に憧れたあの女優さんまで、デジタルの大画面に映された途端に一気にふけてしまう。

ものすごく具体的に言うと、たとえば浅野ゆう子とか。いや、さすがに実名を書くと問題があるかもしれないので、ここでは浅野ゆう子(仮)としておくが、とにかくこの浅野ゆう子(仮)の肌が汚い。いや、さすがにここまではっきり「汚い」と書くと問題があるかもしれないので、ここでは「汚い(ような気がします)」くらいにしておく。

また、肌が汚いというわけではないが、目尻のしわが増えて一気にふけたなと思ったのが古村比呂だ。古村比呂と言われても誰のことなのかわからない人も多いだろうが、布施博の元奥さんといえば「ああ、あの人ね」と思い出す人もいるだろう。離婚で疲れてしまったのか、久しぶりにテレビで見た比呂たんのふけっぷりに驚いた。

それはともかく、一番肌の汚い女子は社民党の福島瑞穂氏だと、実家の大きなデジタル画面をぼんやりと眺めながらはっきり思った。もちろん、彼女の年齢を考えればこのくらいの肌の衰えはしかたがないのかもしれないが、それにしてもシミやらソバカスやらが目立つ。

今回の総選挙における民主党の圧勝で入閣が内定している瑞穂たんのことだから、もっとお肌ツヤツヤで光り輝いているのかと思ったが、そうでもないらしい。というか、瑞穂たんが入閣というニュースを聞いてゲッソリしている国民は少なくないと思う。自分なんて、体重が30キロも減った。ゲッソリを通り越して餓死寸前だ。

いや、ここで瑞穂たんの悪口を書くのはやめておこう。なんと言っても次期内閣の大臣になるわけだから、自分のようなしがない安月給のサラリーマンとはレベルがちがう。本音を言うと、ものすごくバカな人だとは思うが、そこまではっきり「バカ」と書くと問題があるかもしれないので、ここでは「かなりバカっぽい」くらいにしておく。

もちろん、さすがは女優さんと思うような肌のきれいな人もいるわけだが、デジタルの大画面に負けないほどの美しい肌の持ち主はそれほどいない。照明などによっても違ってくるのだろうが、常にカメラを意識しているはずのタレントさんでさえ、これほど肌の汚い人が多いとは意外な発見だった。

さて、それほど偉そうに他人の肌を品評しているお前はどうなのかという意見もあるだろう。もちろん、自分の肌は汚い。そんなことは当たり前だ。だって、自分は芸能人や政治家みたいな有名人じゃないからね。顔や肌のことをあれこれ言われるのは有名税ということで、どうかご勘弁を。



09/08/30

前回は中途半端なところで終わったので、今回はその続きを書いてみたい。監視の目が絶えず光る食堂係から、仕事のできないバイトの墓場ともいうべき掃除係に左遷されて大喜びしたところまで書いたので、今回は自分のダメダメな仕事振りについて書いてみよう。

その前に、このホテルでの給与システムについて簡単に触れておく。正確なところは覚えていないが、10日くらいの間隔で給料日があったと思う。最初は日給4,000円からスタートするという条件はすべてのバイトに共通しているが、その後は働きに応じて昇給していくというシステムだった。

その昇給額が決まるのが、10日ごとの給料日というわけだ。元気よく挨拶をして真面目に仕事に取り組めば100円アップ、食堂係や客室係などのリーダー役に抜擢されれば200円アップといった具合に、仕事の内容や働きぶりに応じて昇給していく。大学1年の頃からこのホテルでバイトしているという4年生の日給は5,000円だった。

日給ベースで100円や200円のアップというのは、はっきり言って大した金額ではない。しかし、このわずか100円の差がバイト間のヒエラルキーをしっかりと構築していたのも事実で、給料の多寡によって自然にバイト間の力関係が決まっていたような部分がある。わかりやすく言うと、4,100円以上が管理職で、4,000円がヒラだ。

怠け者の自分だって、やはり給料が多いに越したことはないし、できれば管理職になって偉そうな顔をしてみたい。そんなことを考えてドキドキしながら初めての給料袋を破って確認したところ、無情にも昇給の通知は入っていなかった。適当に手を抜きながら仕事をしていたので当然なのだが、やっぱりちょっとだけ悔しかった。

普通の人間であればこれを発奮材料にして仕事に励むところだろうが、根っからネガティブな自分は違った。そんなことをしても疲れるだけで、いいことなんてない。どうせなら徹底的にサボってやろう。そうさ、オレはどうせダメな人間なのさ。友達も少ないし女子にももてないし、いいところなんて何もないのさ。

そんな後ろ向きなことを考えていた矢先の左遷だったから、自分としては大歓迎だった。よし、サボってサボってサボり倒してやるぜ!

そうは言っても思い切り小心者だから、それなりに掃除は真面目にやった。サボったおかげで掃除係を解任されたのでは意味がないからだ。サボるのは、あくまでも掃除が終わった後だ。この掃除係というのは、午後の3時くらいに仕事を終えて、その後は夕食の準備で忙しい食堂係に合流する流れになっていた。

自分がサボったのはこの部分だ。つまり、掃除が終わってもすぐには戻らず、適当に時間をつぶしてから、夕食の準備が落ち着いた頃を見計らって食堂に顔を出すというクレバーな作戦を実行したのだ。あまりのクレバーさに、これを書いている自分ですらめまいがする。

どこで時間をつぶしていたのかというと、リネン室だ。館内で拾った雑誌やマンガなどを持ち込み、暖かくて清潔なリネン室でウトウトしながら読むのは気持ちよかった。小中学生にとってのオアシスは保健室だが、ホテルバイトにとってのオアシスはリネン室だと思った。

しかし、リネン室にシーツやカバーなどを取りに来る客室係のバイトのおかげで、この楽園の存在はすぐにバレてしまった。それでも、みんな可哀想な動物を見るような目で哀れんでくれたおかげで、上の人間にはバレずにすんだ。みんな、こんなダメな自分を見逃してくれてありがとう。

そんな感じで、午後のひとときはリネン室でうたたねをしながら、食堂が忙しくなるとバイト仲間がリネン室まで呼びにくるというシステムができあがった。よく考えると、バイト仲間の中で一番コストパフォーマンスの高い働き方をしていたのではないかと思う。ということで、楽しかった18歳の夏を思い出しながら、今回はこれでおしまい。



09/08/23

そろそろ夏も終わりそうな気配を感じながら、今回は「青春の大学生活」の続きを書くことにしよう。前回は悲しいサークル活動のことについて書いたので、今回は夏休みのバイトについて書いてみたい。夏休みのバイトといえば、リゾート地での住み込みバイトが定番だ。

以前から住み込みのバイトはやってみたいと思っていた。なぜって、いかにも青春っぽい感じがするじゃないですか。男子と女子が住み込みでバイトするわけだから、なにか間違いが起きるかもしれないじゃないですか。ということで、長野県のホテルに1ヶ月間住み込んでバイトすることにした。日給は4,000円だったと思う。

ホテルからちょっと離れた場所に、バイト専用のプレハブの建物が2棟建っていた。男子用と女子用に別れていたというわけだ。メンバーは、男女を合わせて20〜30人くらいいたと思う。そのほとんどが、2〜3人の友達同士で来ていた。一人だけで来ていたのは、自分のほかに2〜3人くらいしかいなかった。

知らない土地に一人で来るというのは心細いから、できれば自分もだれかと一緒に来たかったのだが、なにしろ友達が極端に少ないから一人で来るしかなかった。しかし、後からわかったのだが、こういう大勢の人たちが集まるバイトには絶対に一人で来るほうがいい。

寂しい思いをするのは最初の3日間くらいで、すぐに周りの人間と仲良くなれる。そうなると邪魔になってくるのが、一緒についてきた友達だ。本当は新しく知り合った仲間とつるんで行動したいのに、一緒についてきた友達を無視するわけにはいかない。なんとも辛い板ばさみの状況になるわけだ。

その友達もまとめて新しい仲間たちと仲良くなれれば何の問題もないのだが、実際にはそうならないこともよくある。2人組の一方が人気者になり、その相方が嫌われ者になるというパターンをいくつか見たことがある。あの2人はバイトが終わった後はどうなっただろうかと、そのたびに余計な心配をしたものだ。

一人で来ている自分の場合、その点は気楽でよかった。これ以降も何回か住み込みのバイトを経験したが、常に一人で出かけた。最初の心細さを犠牲にしても、その後の煩わしさを考えたら絶対に一人のほうが気楽でいいと考えたからだ。などと書くとカッコいいが、本当は一緒に来てくれる友達がいなかっただけのことだ。

仕事としては、おおまかには客室係と食堂係とに分けられていた。自分も、最初の頃は食堂係に振り分けられていたのだが、ここでは全体に指示を出す経営者の奥さんや調理場を仕切る社員などの目が光っているので、下手に手を抜くことができない。

仕事が大嫌いな自分にとって、この状況はちょっとばかり辛かった。一生懸命に仕事をしているフリをしながらなるべく手を抜いていたのだが、こういうやり方も精神的に疲れるという点では同じだ。どうにかしなければと思っていたところ、掃除係が今日で辞めるので、明日から掃除係になってくれと経営者の奥さんから言われた。

そのホテルは本館と別館に別れたかなり大きなホテルで、掃除係というのは客室と浴室を除いてそのすべてを掃除しなければならない。大きな掃除機で廊下を掃除しながら、自販機の横にあるゴミ袋なども回収していく。午後3時くらいに掃除を終えた後は、夕食の準備で忙しい食堂係に合流するという流れになっていた。

この掃除係というのは、はっきり言って使えないバイトに割り当てられる仕事だ。自分の前任者もイマイチ使えない人で、バイト仲間の間でもあまり評判はよくなかった。そうした事情のある仕事に抜擢されたわけだから、これは左遷というべき処遇だろう。自分の手抜きを見逃さずにこうした人事を決定するあたりはさすがだ。

しかし、この左遷は自分にとっては大歓迎だった。左遷で飛ばされることにより、監視の目から逃れて自由にサボれるわけだ。どうせ飛ばすなら北極あたりまで飛ばしてほしい、そんなことすら考えた18歳の夏だった。ということで、ダラダラ書いていたらまとまらなくなったので、続きはまた次回に書きます。



09/08/16

長いことサイトを運営していると、いろんな反響をいただく。なかでも一番多いのが、「永橋さんのネガティブな生き方に憧れます」とか、「そのネガティブさでぜひとも相談に乗ってください」というものだ。よせよ、照れるじゃないか。しかし、褒められて悪い気はしない。

ということで今回は、これまでに寄せられた数多くの相談メールから2通を厳選して紹介したい。今回紹介するメールはどちらもかなりヘビーな内容なので、自分も真剣かつネガティブに答えてみたい。そんな感じで今回は、「夏休み特別企画: オレ流ネガティブ相談室」と題して書いてみます。

読者からの相談:
恥ずかしい話ですが、覚醒剤容疑で逮捕されてしまいました。有罪判決だったのですが、執行猶予がついたため刑務所には入らずに済みました。しかし、いままでプロサーファーを自称してインチキ臭いことばかりしていたので、自分にできる仕事がありません。どうしたらいいでしょうか。(東京都 T相Y一 41歳 男子)

オレ流ネガティブ回答:
この年齢でまともな職歴もないのでは、条件のいい就職はできません。あなたに残された道は、薄給の肉体労働しかありません。しかし、クスリ漬けの身体で肉体労働は厳しいでしょう。ではどうすればいのか。安心してください。そんなダメ人間のあなたにピッタリな仕事があります。それはアムウェイです。

あなたにはいままでにクスリで築いてきた大きなネットワークがあるはずです。今度はそのネットワークに、無駄に高価なナベセットやら浄水器やら空気清浄機を流せばいいのです。この商売に元手は必要ありません。キャンペーン中のいまなら、登録料の8,400円がなんと3,500円と大変お得です。始めるならいましかありません。

この業界は、あなたのようなインチキ臭い遊び人が数多く成功しています。インチキ臭い外見とインチキ臭い話術さえあれば成功します。あなたの得意なクスリを決めて、ハイテンションでトークしてみてください。面白いようにぞろぞろと子ネズミが湧いてくるはずです。

読者からの相談:
恥ずかしい話ですが、数年前から始めた覚醒剤がやめられません。私には10歳の子供もいて、この子のためにもやめなければと思うのですが、気が付くとついクスリに手を伸ばしてしまいます。どうしたら覚醒剤をやめられますか。(東京都 S井N子 38歳 女子)

オレ流ネガティブ回答:
あなたにクスリはやめられません。本当にやめたいと思っているなら、こんなところに相談のメールを出したりせず、自分で病院や更正施設などを探しているはずです。本当はクスリをやめる気などなく、ほどほどに続けられたらいいと思っているのが見え見えです。

でも安心してください。そんな甘えたあなたでも一発で覚醒剤をやめられる方法があります。それはヘロインです。これは強烈なクスリなので、しばらく続ければすぐに身体依存と精神依存が出来上がるため、ほかのクスリには見向きもしなくなります。おめでとうございます。これであなたも覚醒剤からは卒業ですね。

ふう、全力でネガティブに回答したらなんだか疲れてしまった。しかし、どんな形であれ、人の役に立てるというのは嬉しいものだ。ということで、あなたからの相談をお待ちしています。こちらまでメールで送ってください。どんな相談にも全力でネガティブにお答えします。



09/08/09

すごいな、のりピー。出頭したのは残念だが、覚醒剤の容疑で一週間近くも逃亡するなんて前代未聞ではないだろうか。できることなら逃げ切ってほしかったが、お塩先生のニュースが一気にかすんでしまうほどのインパクトだったことは間違いない。ナイス、のりピー。

ということで、今回書きたいのはのりピーやお塩先生のことではなく、裁判員制度による初の裁判についてだ。かなり興味を持って成り行きを見守っていたのだが、いろいろと問題点があることにも気付いた。最初に気になったのは、裁判員の男女比率だ。

途中で裁判員の交代があって最終的には女性4人男性2人という構成になったが、最初は女性5人に対して男性が1人しかいないという極端に偏ったものだった。やはり、男女比率は必ず1対1になるような仕組みが必要だろう。女性ばかりだと、判決が感情に左右されるリスクが大きくなると思うからだ。

男性は理屈でものごとを考える傾向があるのに対して、女性は感情でものごとを考える傾向がある。たとえば、夫婦喧嘩を考えてみるとわかりやすい。夫は理論的に議論しようとするのに対して、妻は「嫌なものは嫌なの、キーッ!」みたいな展開になることが多い。

こうした傾向はあくまでも一般論で、理論的に考える女性もいれば感情的に考える男性も実際にはいるわけだが、判決が感情に流されるというリスクを少しでも減らすためには、男女比率の均等化は必要だと思う。今回の被告も、裁判員に女性が多いことに不安を漏らしたらしいが、やはりこうしたことを考えたのではないだろうか。

また、裁判の開始から判決までたったの4日間という短さも気になった。この短期間に膨大な情報を与えられては、完全に消化することは難しいだろう。やはり公判の間には、情報を整理するためのある程度の期間が必要だと思う。しかし、その間に世間の声を聞いて自分の判断が揺らぐというリスクもあるわけで、このあたりは難しい。

それにしても、今回の判決はある程度予想していたとはいえ、かなり厳しいものになった。求刑の16年に対して15年の判決というのは、ほぼ満額回答に近い判決だ。被告の年齢と刑務所での過酷な環境を考えると、実質的には終身刑に相当する厳しい判決だと思う。

そもそも、16年という求刑も異例の重さだ。今回の事件は、被告が高齢なこと、犯行には計画性がないこと、被害者にも落ち度がないとは言えないことなどを考慮すると、求刑が懲役12〜13年、判決は8〜10年あたりがこれまでの相場だったと思う。裁判員制度による初の裁判ということを計算して、検察はこうした重い求刑にしたのかもしれない。

こうした事情によって従来よりもはるかに重い判決が出てしまった被告としては、運が悪かったというところだろう。人を一人殺しておいて運が悪いというのも不謹慎だが、おそらくこの被告はそう感じていると思う。今回の裁判を見ていて、もし自分が被告になったとしても、絶対に裁判員には裁かれたくないと思った。

それと同時に、いままでは裁判員として裁判に参加してみたいと無責任に思っていたが、今回の裁判を追っていくうちにかなり心境が変化してきた。犯罪を犯したときの心境など、本人にとっても合理的に説明できるものではないだろう。それを、なんとか理屈をつけて具体的な形にしなければいけない。

そういう強引な作業を積み重ねて被告の心情を理解したつもりになり、これでいいはずだと自分を納得させながら判決を決めるわけだ。そう考えると、かなり気の滅入る作業だ。被告本人にも説明できない心情を判断するなんて、そんな神様みたいなことは自分には到底できない。



09/08/02

ミスユニバース日本代表の衣装が過激だということで、あちこちから非難の声が上がっているらしい。まるでポルノ女優のようだという意見が多いようだが、それではポルノ女優がかわいそうだ。こんなノーセンスな衣装では、男子の目から見ても擁護のしようがない。

かわいそうなことに、この日本代表の女子のブログは見事に炎上してしまったらしい。見ず知らずの他人に対して、「日本人として恥ずかしい」だとか「恥知らず」などと書き込むのも気持ち悪いが、あんな衣装ではそう書き込みたくなる気持ちもわからないでもない。

本人のブログだけでなく、この衣装をデザインした緒方義志氏のブログも炎上したらしい。この人の場合は、「世界一の美を競う大会で「奥ゆかしさ」を一番の武器にして勝とうとする戦略は、その理論構築が完全に矛盾していると言わざるを得ません」などと開き直ったものだから、火に油を注ぐ結果になってしまった。

しかし、一番に批判されるべきは、イネス・リグロンというフランス人女性だろう。今回の騒動で初めて知ったのだが、日本にはミスユニバース日本事務局という組織があって、この組織がミスユニバース日本代表の総合的なプロデュースを担当しているらしい。イネス氏は、その責任者ということになる。

自分は、脂ぎったオヤジ連中が適当に審査して日本代表を決め、選ばれた女子が適当に世界大会に参加しているものだとばかり思っていたから、日本事務局などという大げさな団体が存在していると知って少しばかり驚いた。ここまで大きな大会になると、組織としてのバックアップが必要になるということだろう。

それはともかく、このイネス氏が就任してから日本代表の成績はかなり上がっているらしい。2年前に日本代表が世界大会で優勝したときは大きなニュースになったが、このときもイネス氏のプロデュース力に依るところが大きかったのだろう。しかし、07/06/10の覚書にも書いたが、この人はあまりきれいではなかった。

このときは、欧米人の審査員の好みを考慮して日本代表を決めたのだろうと思っていたが、イネス氏というフランス人が裏にいると知って納得した。欧米人の好みそうな女子を欧米人がプロデュースするわけだから、こうした女子が日本人の考える美の基準から外れるのは当然だ。今回の日本代表もなんだかバタ臭い。

しかし、そこまでしてミスユニバースで優勝することにどれほどの意味があるのだろうか。日本人としては決して美人とはいえない女子が思い切り悪趣味な衣装を着て、欧米人の脂ぎったオヤジ連中に迎合しながら審査を受けるわけだ。はっきり言って、バカじゃないだろうか。まあ、勝手にやってくれと言うしかない。



09/07/26

ペーパーバックを読んでいると、複雑でわかりにくい文章に出くわすことがよくある。たいていの場合はある程度の意味だけを理解したつもりになってそのまま読み進めるのだが、それだけではなんだか気持ち悪いこともある。そんなときはじっくりと時間をかけて頭の中で翻訳してみることになる。

いま読んでいるのは、フランツ・カフカの名作「変身」だ。カフカはプラハ生まれの作家で、原典はドイツ語らしい。自分はドイツ語なんて当然読めないから、いま読んでいるのは英語に翻訳されたものだ。それほど難しい単語はないのだが、回りくどい表現が多くてあまり読みやすいとは言えない。

主人公のグレーゴルがある朝目覚めたら虫に変身していて、ベッドの上でもがくうちにどんどんと時間が過ぎてしまい、いつまで経っても出社してこないことを訝った上司がグレーゴルの家を訪ねて鍵のかかった部屋のドアを叩く。その様子を部屋の中で聞きながら、グレゴールが憤慨するのが以下の文章だ。

Would it not have been enough to send some apprentice to put things right - if, in any case, it was necessary to make enquiries at all - instead of the manager himself having to come, in order to let the whole innocent family know that the clearing-up of so suspicious an affair could only be trusted to a person of his importance?

どうですか、一度読んだだけですぐに意味がわかりますか? 難しい単語は1つもないが、やたらと持って回ったような文章でなんだか読みにくい。どうやら、自分のところを訪ねてくるのならわざわざ上司本人が訪ねてくることはないだろうと憤慨しているようだ。

しかし、文章全体の正確な意味となると、いまひとつよくわからない。普段ならば適当に読み飛ばすのだが、たまにはじっくりと解読することもある。そうしないと、難しい文章は適当に読み飛ばしてしまう悪い癖がついてしまうような気がするからだ。ということで、上の文章を翻訳してみよう。

いずれにしろ、家を訪ねて様子を確認する必要が本当にあるのなら、支配人本人ではなく、だれか新入りをよこせばそれで済む話じゃないか。こういう不審な状況に対応できるのは支配人という要職に就いている自分以外にはいないということを、何も知らない家族全員に対して見せびらかしたいだけじゃないのか。

なるほど、こういう意味だったのか。いや、自分で訳しておきながら「なるほど」もないものだが、頭の中だけで考えるのと、実際に書いてみるのとではやはり大きく違う。実際に文字として書いて読んでみると、もやもやとしていた頭の中がすっきりと整理される感じだ。

ということで、複雑でわかりにくい文章に出会ったら、頭の中で文章をあれこれとこね回すだけでなく、頭の中の文章を書き出してみることをお勧めする。自分でも驚くくらいに、なるほど、こういう意味だったのかという発見があるはずだ。困ったらとにかく書いてみる、英語に限らずすべてに共通する鉄則だと思う。



09/07/19

麻生さんがついに解散を決意したらしい。これまでにも何度か解散のタイミングはあったはずだが、考えられる限りでは最悪のタイミングだと思う。ここまできたら任期切れギリギリまで引っ張って、その間に体勢を立て直すか相手の敵失を待つのが最善の策だったと思う。

それをしなかったのは、このままでは自分が総理の座から降ろされてしまうという焦りが麻生さんにあったからだろう。つまり、麻生さんは自民党のことよりも自分のプライドを優先させたということだ。麻生さん自身も今回の選挙は大敗することは予想しているだろうから、どうせならここで解散してしまえというところだろう。

正直なところ、自分のことしか考えない政治家が集まったこんな自民党に投票しようとは思わない。だからと言って、具体的な政策を持たない民主党にも投票したくない。「消費税の引き上げは行わず、税金の無駄を徹底的に見直す」という民主党の主張も、聞こえはいいがまったく具体性がない。

消費税が5%のままでは、これからますます少子高齢化が進む日本の福祉システムを維持することはできないだろう。高福祉のためには高負担が必要で、そのためにはどこかから財源を引っ張ってくる必要がある。税金の無駄を排除する、という主張では無責任な野党の主張となんら変わらない。

そもそも、税金を一番無駄使いしている公務員を支持基盤に持つ民主党が、税金の無駄をなくすことができるとは思えない。この一点だけでも、民主党に政権政党としての能力があるのか疑ってしまう。とにかく、すべての主張がきれいごとの理想論にしか聞こえない。

自民党もダメ、民主党もダメとなると、残る選択肢は幸福実現党しかない。大川総裁には頑張ってもらいたい。というのはもちろん冗談だが、オウム真理教が選挙で惨敗したのをきっかけにテロに走ったように、幸福の科学もそうならないとは限らない。そうなったらまさに冗談ではなくなる。それだけが心配だ。

それはともかく、今度の総選挙で民主党政権が誕生すると考えると暗くなるのだが、その後の展開を考えると決して暗いことばかりでもない。民主党は右派と左派が同居する寄せ集め政党だから、実際に政権を運営するとなると、とたんに党内で混乱が発生するだろう。

このチャンスを逃さず、自民党が民主党内の右派にゆさぶりをかけると面白くなる。自民党と民主党の右派が協力して新しい政党を結成すれば、一気に最大勢力になれる。なにしろ、社会党の村山さんを総理に担いでまで政権に復帰したこともある自民党だ。こうした寝技はきっと得意なはずだ。

こういった展開になれば、正しい保守与党が誕生すると思う。そうなれば、有権者にとってもいまよりずっとわかりやすい政治の構図になるはずだ。自分としてはこうした筋書きが実現することを期待しているし、実現する可能性も決して低くないと勝手に思っている。



09/07/12

そろそろ梅雨明けも近そうなので、今回は「青春の大学生活」の続きを書くことにしよう。前回まではバイトのことやら貧しい家計のことなどについて書いてきたが、今回はサークル活動について書いてみたい。青春の大学生活というからには、サークル活動は外せない。

大学に合格したときから、サークルには絶対に入ろうと思っていた。やはり佐渡の山奥から出てきた田舎者としては、華やかなサークル活動というものを一度は経験してみたい。どうせなら、アニメ研究会とか鉄道研究会などのマニアックなサークルではなく、思い切りミーハーなサークルに入ってみたい。

そんな動機で選んだのが、夏はテニスで冬はスキーを中心に活動する典型的なミーハーサークルだった。いろんな女子大から勧誘した女子大生もわんさかいて、ものすごくイメージ通りのサークルだった。その当時は「オールナイトフジ」が流行っていて、東京の女子大生というものにものすごく憧れがあった。

これだけ女子大生がわんさかいるサークルに入れば、いくら田舎者の自分でも多少はいい思いができるに違いないと思ったのだが、それは大いなる勘違いだということにすぐに気付かされた。なにしろ、ちょっとでも可愛い女子はすぐに先輩男子が粉をかけてしまうのだ。

先輩の男子は遊びなれている人が多く、女子との会話もスマートだ。たった2〜3歳しか違わないはずなのに、なんだか先輩たちがものすごく大人に見えた。こんな状態では田舎者の新入生の出る幕などあるはずがなく、指をくわえてうらやましがっているだけだった。

そんなわけで、サークルに入っていきなりの挫折を味わったわけだが、本当の挫折はこの後に待っていた。それは「テニス」という高い壁だった。高校生のときは柔道部だったから、当然テニスなんてやったことがない。それどころか、テニスラケットさえ触ったことがない。

そんな状態で最初のテニス練習に参加したのだが、テニスラケットなど持っていないから、友達からラケットを借りた。周りはアルミ製だかカーボン製だかのカッコいいラケットを持っているのに、その借り物のラケットはずっしりと重い木製だった。なんだか早くも自分の貧乏振りを思い知らされた感じだった。

それよりも、ちゃんとしたテニスウェアを持っていなかったことが痛かった。買おうと思えば買えたのだが、なんだかあのピチピチした感じがどうにも嫌いで、自前のTシャツと短パンで代用した。考えてみれば、おかしな格好で借り物の木製ラケットを妙なフォームで振り回しているわけだから、相当に奇妙な生き物だったと思う。

こんな感じでとりあえずサークル活動を続けて、夏合宿に参加した。開放的な季節の合宿となれば、何か間違いが起きても不思議ではない。そんな妄想を抱きながら参加したのだが、結局は単なる妄想だった。ここでもやはりテニスという高い壁が立ちはだかったのだ。

夏合宿なので昼間は当然テニスをするのだが、使用する土のコートにはラインが引かれていない。しかたがないから何人かの男子がライン引きを命じられ、自分もその一人として懸命にラインを引いていたのだが、気が付くとみんな楽しそうにテニスをしていて、自分だけ取り残されていた。

いやいや、まだライン引きは終わっていないんだから、みんなちゃんと最後までやろうよ、などと思いながら一人悲しくラインを引き続けた。そのうち誰かが気付いて声をかけてくれるだろうと期待していたのだが、結局誰にも声をかけてもらえないまま、ライン引きにすべての情熱を注いで自分の夏合宿は終わった。

この夏合宿をきっかけに、サークルに顔を出すことは徐々に少なくなり、そのままフェードアウトした。冷静に考えると、冬の活動はスキーが中心になるわけだから、テニスでさえ経済的に無理だったのに、スキーなどできるわけがない。ここで辞めて正解だったのだろう。

いまから考えると、自分はサークルの中では浮いた存在だったから、周りからはきっと嫌われていたんだろうと思う。だから、一人で黙々とラインを引く自分を無視したのだろう。なるほど、いじめられる子供の気持ちが少しだけ理解できる気がする。それにしても、こうして冷静に分析してみると改めて悲しい。



09/07/05

東国原知事が最近やたらと元気だ。最初は自民党からの出馬要請を断るための冗談だろうと思っていたのだが、本人はどうやら本気で総理大臣を目指しているらしい。こういうくだらない話題をマスコミも本気で取り上げるものだから、なにやら東国原総理を期待する雰囲気まで出てくる始末だ。

本人が本気になるのは一向にかまわないが、その雰囲気に乗せられて有権者まで本気になっては困る。いまでこそ宮崎県知事として頑張っているようだが、元々は何の芸もなくて死ぬほどつまらないお笑い芸人だったことを皆さん忘れてはいないだろうか。

別にお笑い芸人のことを悪く言うつもりはまったくない。その人間性が信用できないと言いたいだけだ。フライデー襲撃事件で逮捕されたのはだいぶ昔の話だが、淫行事件で事情聴取を受けたり、後輩タレントに暴行して書類送検されたのはほんの10年ほど前のことだ。

たしかに、こうした事件の後に反省して一般入試で早稲田大学に合格したのはすごいことだと思う。しかし、いくら真面目な顔をして改心したことをアピールしても、その人間の根っこの部分というのはそう簡単に変わるものではない。こういう人騒がせな経歴を持つ人間は、政治家としても到底信用できない。

「宮崎をどげんばせんといかん」などと言って知事になったのに、国政に出馬できるチャンスが来ればすぐにそれに乗ろうとするのもいただけない。結局、彼にとっては宮崎県などどうでもよくて、自分が政治家としてのし上がっていくことが一番大事なわけだ。宮崎県はそのための踏み台でしかないのだろう。

とはいえ、政治家などという人種はほとんどの人がそういう考えを持っているのだろうから、それ自体は悪いことではないと思う。ただ、「宮崎県のことを考えるといまは出馬できません」くらいのポーズは必要だろう。いきなり「自分を総理にしろ」では、宮崎県民も頭に来るのではないだろうか。

それはともかく、自分が彼のことをさらに嫌いになったのは、「私を総裁候補としてお闘いになるお覚悟が自民党におありになるのか」というあの言葉だ。なんでもかんでも「お」をつければいいってもんじゃない。このベタベタとまとわりつくような気持ちの悪い言葉だけはどうにかしてほしい。どうして普通に「闘う覚悟があるのか」と言わないのか。

言葉遣いといえば、民主党の鳩山さんも気持ちの悪い話し方をする。やたらと「させていただく」を使ったり、麻生さんを批判するときでも、「早く解散をご決断なさっていただきたい」みたいなベタベタに気持ちの悪い話し方をする。どうして普通に「早く解散を決断してほしい」と言わないのか。

こういうバカ丁寧な言葉遣いは、慇懃無礼に聞こえてかえって印象が悪くなる。少なくとも自分は、こういう言葉遣いをする政治家のことは絶対に信用できない。言葉遣いが丁寧になればなるほど、言葉とは逆の感情が腹の中ではどす黒く渦巻いているだろうことは容易に想像できる。

今度の総選挙では民主党が勝利して鳩山総理が誕生するのは確実な情勢だが、そうなるとあの慇懃無礼な言葉をいま以上に頻繁に聞かされることになるのかと思うとうんざりする。かと言って、「お闘いになるお覚悟がおありになるのか」みたいな言葉を得意げに話す知事が総理になるも嫌だ。本当に困ったものだ。



09/06/28

マイケル・ジャクソンが亡くなったらしい。亡くなった人に対してこんなことを言うのは不謹慎かもしれないが、マイケル死亡のニュースを聞いて最初に思ったのは、いかにも彼らしい最期だということだ。正直なところ、これ以外の最期は考えられなかったのではないかとも思った。

彼の場合、「スリラー」の頃が一番カッコよかった。その当時も鼻のあたりを整形していたとは思うが、晩年のような気味の悪い不自然な顔ではなく、ナチュラルにカッコよかった。自分も高校生のときに「スリラー」を買ってよく聴いた。家のどこかを探せば、いまも「スリラー」のカセットテープはあると思う。

そのままで止めておけばよかったものを、それからも整形を続けたために、どんどんと気味の悪い顔になっていった。顔の色も不自然に白くなっていき、髪の毛もいつの間にかストレートになり、最後には思い切り引いてしまうような不気味な顔になってしまった。

きっと彼は、自分が老いるということに対してものすごい恐怖を抱いていたのだろうと思う。老いていく自分というものを許すことができず、常に顔のどこかをいじっていないと安心できなかったのではないだろうか。そう考えると、今回の死というのは彼にとってある意味では救いだったのかもしれない。

ファンとしても、普通に歳を取って元気なおじいさんとして幸せに暮らすマイケル・ジャクソンなど、想像できないのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。そういう意味で、今回の死はいかにも彼らしい最期だと思ったわけだ。おそらく、自分と同じように感じた人は少なくないだろう。

ただ、あまりにも突然だっただけに、これから死因についてはあることないこといろいろと出てくるだろう。こういう謎めいた死につきものなのが、薬物の過剰な摂取による死という憶測だ。たしかに、マイケル・ジャクソンと薬物というのは納得できる組み合わせだと思う。

彼が危ないクスリをやっていたのかどうかは知らないが、薬にはまったく頼っていなかったということはないだろうと思う。何を隠そう、自分も常習的に薬を摂取しているからだ。こういうところでこういうことを書いてもいいのかどうか激しく迷うが、思い切って告白したい。

自分は、仕事中に眠くなったりすると、眠気を覚ますために薬をキメることがある。そろそろ薬をくれという身体からのサインにそそくさと席を立ち、周囲を気にしながらコソコソと個室に入り、ポケットに忍ばせておいた注射器を腕の静脈に突き立ててクスリをキメるのだ。

というのはもちろん嘘です。しかし、注射器で注入することはないが、仕事中に眠くなると「エスタロン・モカ」という錠剤を飲んでいるのは本当だ。これはカフェインを錠剤として固めたもので、1錠で効かない場合は2錠をまとめて缶コーヒーで流し込むとてきめんに効く。

マツキヨなどのドラッグストアで簡単に買うことができる安全な薬で、値段も24錠で420円と安いので、仕事中の眠気覚ましとしてお勧めしたい。ただし、いくら安全な薬だとはいっても、大量に服用すると無駄にハイになったりするらしいので、1回の服用量は2錠までに留めるのが安全だと思う。

なんだか思い切り話が横道に逸れたが、結論としては「スリラー」の頃のマイケル・ジャクソンはカッコよかったということだ。なぜ、あの頃のカッコよさのまま満足できなかったのだろうか。ということで、今日はこれから「スリラー」のカセットテープを探し出して聴いてみよう。



09/06/21

前回は「長靴をはいた猫」の長靴の必然性について突っ込んだので、今回はこの問題について自分なりにまとめてみたい。いくら昔の民話をベースにしたお話とはいっても最低限の論理性は必要だし、何よりも悪知恵だけで世渡りできるというお話では子供の教育上もよろしくない。

ということで、「これといった深い意味もなく長靴をはいた猫」というタイトルで以下のような新しいお話を考えてみた。読んでたもれ。

昔々あるところに、父親と息子3人とロバと猫が暮らす水車小屋がありました。この父親が亡くなったので、長男は水車小屋を、次男はロバを、三男はネコをそれぞれ受け取りました。こんなネコ1匹もらったところでしようがないと嘆く三男に、「私に長靴を買ってください。そうすれば悪いようにはしません」とそのネコが話しかけました。

怠け者の三男は、自分が働かなくていいのならと思い、喜んで長靴をネコに買い与えました。ネコは特に具体的な考えがあって長靴をねだったのではなく、ただ単に人間がはいている長靴を自分もはいてみたかっただけなのです。早速その長靴をはいたネコは、喜び勇んで森に出かけて野ウサギを捕まえました。

その足で王様のお城を訪ねたネコは、「これは私の主人であるカラバ公爵からの贈り物です」と言って捕まえたウサギを王様に渡しました。長靴をはいたネコをいかにも胡散臭そうに眺めていた王様は、一応お礼を言ってそのウサギを受け取りましたが、ネコが帰るとすぐにそのウサギを捨ててしまいました。

こうしたことを繰り返して王様の信頼を得たと思い込んだネコは、王様をカラバ公爵のお城に招待することにしました。しかし、カラバ公爵というのはネコが勝手に考えた名前ですから、もちろんお城なんてありません。そこでネコは、近くに住む人食い鬼のお城を訪ねました。

鬼に向かってネコは、「あなたは何にでも化けられると聞きましたが、まさか小さなネズミに化けることなんてできないでしょうね」と言いました。その言葉を聞いた鬼はすぐにネコの企みに気付き、「さすがの俺様でも、小さなネズミに化けることは無理だな」と答えました。

予想していなかった答えに慌てたネコは、「いや、そこをなんとかお願いします」とか、「ネズミに化けてもらわないことには話が前に進みませんから」などとわけのわからない説得を続けましたが、どうしても鬼はネズミに化けようとしません。そうこうするうちに時間はどんどん過ぎて、王様との約束の時間が近づいてきました。

困り果てたネコは、「だったらカラバ公爵に化けてください。いまから王様がここを訪ねてきますから、一緒に王様をだましてお姫様をあなたのお嫁さんにしてもらいましょう」と鬼に持ちかけました。これを聞いた鬼は、もしうまくいかなかったらお前を食べてしまうぞと言ってカラバ公爵に化けました。

大勢の家臣を引き連れた王様は、用心深く鬼のお城に足を踏み入れました。ここに来る前に家臣を使って調べてさせていた王様は、自分の領地にカラバ公爵などという公爵はいないことはすでに知っていました。そして、カラバ公爵に化けた鬼を見るなりこう言いました。「あなたの頭から出ている角はどうしたのですか」

慌てて化けた鬼は、角を隠すことをすっかり忘れていたのです。自分たちの企みがばれたことに気付いたネコと鬼は急いで逃げ出しましたが、王様はすぐに家臣たちに命令してネコと鬼を追いかけました。腹を立てた鬼は、目の前を走るネコを捕まえてパクリと食べてしまいましたが、その間に自分も捕まってしまいました。

いつまで経ってもネコが自分を呼びにこないことを不思議に思いながら、三男はお姫様と結婚して王様一族になることを妄想しながらブドウ酒を飲んでいました。その頃、長男と次男は水車小屋で汗を流しながら働いていました。仕事の後のブドウ酒はきっと美味しいことでしょう。おしまい。

ということで、ちょっと長くなったが、新しい解釈の「長靴をはいた猫」を書いてみた。オリジナルのお話よりもずっとわかりやすくて、道徳的な要素も充分に盛り込まれている素敵なお話に仕上がったと思うのだが、どうだろうか。ぜひとも、自分のお子さんにこのお話を聞かせてあげてください。素直ないい子に育つことを保証します。



09/06/14

最近のお気に入りは、NHKラジオ第2で放送している「お話でてこい」という幼児向けのラジオ番組だ。平日の放送は時間的に聴くことができないのでいつも土曜日の朝10時からの放送を聴いているのだが、幼児向けとはいえ真面目に聴いてみるとそれなりに面白い。

この前は「長靴をはいた猫」というお話を聴いた。有名なお話なので子供の頃に読んだ人も多いと思うが、内容はすっかり忘れている人がほとんどだろうから、ここで簡単な粗筋を紹介しておこう。かくいう自分も、子供の頃に読んだ記憶はあるのだが、この放送を聴くまではすっかり忘れていた。

昔々あるところに、父親と息子3人とロバと猫が暮らす水車小屋がありました。この父親が亡くなったので、長男は水車小屋を、次男はロバを、三男はネコをそれぞれ受け取りました。こんなネコ1匹もらったところでしようがないと嘆く三男に、「私に長靴を買ってください。そうすれば悪いようにはしません」とそのネコが話しかけました。

三男は半信半疑ながら長靴をネコに買い与えました。早速その長靴をはいたネコは森の中で野うさぎを捕まえ、そのウサギを「これは私の主人であるカラバ公爵からの贈り物です」と言って王様のところに届けました。こうしたことを繰り返して王様と仲良くなったネコは、王様をカラバ公爵のお城に招待することにしました。

しかし、カラバ公爵というのはネコが勝手に作った名前ですから、もちろんお城なんてありません。ネコは、近くに住む人食い鬼のお城を訪ねてこう言いました。「あなたは何にでも化けられると聞きましたが、まさか小さなネズミに化けることなんてできないでしょうね」

この言葉を聞いた人食い鬼は、「そんなことわけないさ、見ていろよ」と言うなり小さなネズミに化けました。なんて頭の悪い鬼なんでしょう。それを見たネコはすかさずこのネズミをパクリと食べてしまいました。そして、人食い鬼が住んでいたお城をカラバ公爵のお城として王様を招待したのです。

お城に招待された王様は、その立派な様子にすっかり感心してしまい、私の娘をぜひともカラバ公爵にもらっていただきたいとお願いしました。なんて頭の悪い王様なんでしょう。カラバ公爵に扮した三男は労せずして王様の一族となり、ネコは立派な城を与えられて幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。

いくつかのエピソードは省略しているが、概略はこんな感じだ。このお話を聴いたときにまず思ったのが、長靴をはく必然性がどこにもないということだ。最初にネコが三男に話しかけるときに長靴のことに触れているだけで、それ以降は長靴の「な」の字も出てこない。

お話のタイトルになっているくらいだから重要な意味があるのだろうと考えてしまうが、どう考えても適当な理由が見つからない。長靴をはいたからパワーアップして野うさぎを捕まえられたということでもないだろうし、ネコのくせに長靴をはかないと森の中に入れないということもないはずだ。

おそらくこのネコは、ただ単純に長靴をはいてみたかっただけなのだろうと思う。つまりは、お手伝いをするからお小遣いをちょうだいと要求する子供と同じということだ。それならそれでかまわないから、意味ありげな紛らわしいタイトルをつけるのはやめてほしい。

子供の頃にこのお話を読んだときも、このタイトルに対してすっきりしないものを感じたような覚えがある。妙なところにこだわるのは、昔から変わっていないらしい。それはともかく、「賢いネコと馬鹿な王様」あたりのタイトルでどうだろう。どうしても「長靴」にこだわるのであれば、「これといった深い意味もなく長靴をはいた猫」なら許可する。

まったく関係ないが、三沢光晴が死んだのには驚いた。三沢の場合、相手の技をすべて受けきった上で勝つというスタイルだったから、自分でも気付かないうちにダメージが蓄積されていたのかもしれない。ご冥福をお祈りします(これは自分のための覚書なので、わけがわかならくても気にしないでください)。



09/06/07

今回は特に書きたいネタもないので、「青春の大学生活」の続きを書くことにしよう。前回の覚書では麻雀荘のバイトについて書いたので、今回は大学生当時の家計状況について書いてみたい。当時はやたらと貧乏だった記憶があるのだが、毎月の収入は12万円くらいはあった。

その内訳は、実家からの仕送りが4万円、日本育英会の奨学金が約4万円、バイトの収入が約4万円だ。いまから考えてみると、ことさらに貧乏だったと自慢するような金額でもない。周りにいた友人たちに聞いてみると、実家からの仕送り10万+バイト代で、約14〜15万円というのが当時の学生の平均的な収入だった。

ほかの学生に比べたら若干貧乏ではあるが、極端に貧乏というわけでもない。しかし、当時はとにかく金がなかったという記憶が強烈に残っている。いったい何に金を使っていたのだろうか。アパート代は25,000円で家電製品の類は何もなかったから、住居費にはそれほどかからなかった。

しかし、自炊するための道具がなかったため、食事はすべて外食だった。さぞかしエンゲル係数が高かったかと言うと、実はそれほどでもない。朝は面倒だから食べず、昼は学食の150円カレーかバイト先の賄い食で済ませ、夜はレバニラ定食の大盛りというのが定番だったから、食費もそれほどかからなかった。

食費があまりかからなかった分、遊興費としてはそれなりに散財していたように思う。なにしろ、佐渡の山奥から出てきたばかりの生粋の田舎者だから、見るもの聞くものがすべて珍しくて、場慣れしていそうな友人の後をくっついては遊んでいたような気がする。

遊興費以上に使っていたのが服飾費だ。なにしろ、佐渡の山奥から出てきたばかりの生粋の田舎者だから、街を歩いている人たちがオサレに見えてしかたがない。そこで、自分もなんとかして少しでもオサレになりたいと思ってファッションに凝ってみたというわけだ。

いまの若い衆のファッションはどうなっているのだろうとふと気になって調べてみたところ、こんなサイトが見つかった。なるほど、いまはこういう格好がオサレなのか。というか、女子はともかく、男子のファッションはものすごい。こんなことを言っては悪いが、妖怪人間の見本市みたいだ。

当時の自分のファッションも決してほめられたものではなかったが、ここまでひどくはなかったと思う。思い切り余計なお世話だとは思うが、こういう人たちは友達はいるのだろうか。自分だったら、こういうものすごいセンスの人たちと一緒に歩きたいとは思わない。

ものすごいサイトを見つけたおかげで話が逸れてしまったが、大学生当時の自分はオサレになりたいと必死に頑張っている純朴な青年だったということだ。恥ずかしい格好をして得意げに街を歩いていた当時の自分を思い出すたびに顔から火が出るくらいに恥ずかしいが、それも青春だという強引なまとめで次回に続く。



09/05/31

村上春樹氏の5年ぶりの長編小説である「1Q84」が、発売当日にいきなり68万部も店頭に並んだらしい。出版不況と言われているのが嘘みたいなものすごい数字だ。しかも、一番売れないと言われている純文学でこの数字だから、春樹たん恐るべしと言うほかない。

自分は、村上春樹氏の作品を読んだことは一度もない。正確に言うと、学生のときに友人に薦められて一度だけ読もうとしたことがある。あのスカした気持ちの悪い文体に何度も吐きそうになりながらなんとか3分の2くらいまで読んだのだが、あまりのつまらなさに結局は途中で投げ出してしまった。

それはともかく、小説がここまで売れるというのは例外中の例外だ。作家専業で食べていけるのはほんの一握りの売れっ子だけで、世の中のほとんどの作家は何かしらの仕事を持っている兼業作家だと思う。恥ずかしながら、自分も作家に憧れた時期があって、具体的な収入パターンを計算したことがある。

まず、1,500円のハードカバー作品を初版1万部で出版したとする。印税を10%と考えると、ハードカバーを1冊出版して得られる収入は150万円だ。重版がかかればいいが、こういう不確定要素を計算に入れるとキリがないので、ここでは純粋に初版部数だけで計算する。

一般的なサラリーマンの年収を600万円とすると、この金額を稼ぐには1年間に4冊のハードカバーを出版しなければならない。しかし、サラリーマンの場合は必要経費は一切かからないが、作家の場合は取材費や必要な資料の購入などにかかる経費はすべて自腹だ。

ということは、年間5〜6冊くらい出版してようやくサラリーマンと同じくらいの収入ということになる。2ヶ月に1冊ずつ新作を書くというのは、よほど筆の速い作家でもない限りかなり厳しい数字だと思う。つまり、初版1万部程度の力しかない作家は、専業としてやっていくのは無理だということだ。

そこで考えたのが、これまでになかったジャンルの小説を書いて手っ取り早く売れるということだ。村上春樹たんだって、あの気持ちの悪い文体が斬新だったからこそ売れたのだろう。何事も人まねではだめで、売れようと思ったらオリジナリティで勝負するしかない。

しかし、現在の小説は何でもありで、小説として書かれていない分野などどこを探してもないような状態だ。だったら、それらをすべて組み合わせた小説を書いたらどうだろうと思い当たった。SFとミステリーを融合させ、そこにハードボイルドと官能的な要素をミックスして、時代小説の味付けをする、といった感じだ。

たとえば、坂本竜馬の暗殺事件の真犯人を探すため、セクシーな女性探偵がタイムマシンに乗って幕末にタイムスリップし、その美貌によって男たちを虜にしながら捜査を進め、途中で勝海舟や徳川慶喜あたりとラブラブな感じになりながら、最後は見事に事件を解決する、みたいな小説だ。うーん、まったく読みたくないな。

ということで、こういうバカなことをかなり真剣に考えた結果、作家として食べていくのは無理だという結論に達した。村上春樹たんみたいなものすごい才能があれば別だが、そうでなければ他人が書いた小説をおとなしく楽しむのが正解だ。ただし、村上春樹たんの気持ち悪い小説だけは絶対に読まない。



09/05/24

ついこの前、国内初の感染者が出たばかりだと思っていたら、いつの間にかものすごい勢いで新型インフルエンザの感染が広がっているらしい。都内でもマスク姿の人が目立つようになってきたし、どこの薬局やコンビニでもマスクが売り切れ状態になっている。

テレビを点ければ、今日も新たに何名の感染者が出ました、冷静な対応をお願いします、みたいなニュースばかりだ。もういい加減に飽きた。そもそも、一般の人たちはそれほどパニックになっているわけではなく、一番冷静な対応が必要なのはマスコミだと思う。奴らは、たかがインフルエンザではしゃぎすぎ。

政府や自治体も、過剰に反応しすぎだ。たった1名の感染者が出たくらいで休校や修学旅行の中止を決定するというのは、どう考えてもやりすぎだと思う。修学旅行くらい行かせてあげたらどうか。大好きなあの娘に修学旅行で告白しようと思っているいたいけな青少年は多いはずだ。そんな彼らの夢を奪ってはかわいそうだ。

個人的な意見として、いま考えられる最善の策は「何もしない」ということだと思う。むしろ、「積極的に感染してみる」くらいの姿勢が必要かもしれない。当然マスクなどはしない。手洗いやうがいもあえてしない。人込みには積極的に出かけていく。具合の悪そうな人を見かけたらなるべく近づくようにする。

どうせ蔓延が防げないのであれば、できるだけ早いうちにかかっておくのが得策だ。よほど体力が落ちていない限り、インフルエンザで死ぬことはないだろう。きっと、2〜3日くらい寝ていれば治ると思う。一度感染しておけば、免疫ができるからかえって安心だ。

梅雨入りする頃になると、おそらくいったんは感染の勢いが衰えると思う。夏から秋にかけては落ち着くが、冬を迎える頃にまた流行する可能性がある。そうなると、受験シーズンに感染しないとも限らない。いかに弱毒性とはいえ、発熱したまま受験するのは辛いだろう。

しかし、いま感染しておけば、安心して受験シーズンを迎えることができる。どれだけ念入りに予防策に努めたとしても、感染するときは感染する。この時期にいくら頑張っても、せっかくの受験シーズンに感染したら何もならない。いまのうちに感染したらラッキー、くらいの考え方が正解だと思う。

自分はどうやらインフルエンザにかかりやすい体質のようで、よく39度くらいの高熱を出すことがある。今年も4月に39度の熱が出て寝込んだ。手足の関節が激しく痛んだので、おそらくインフルエンザだったと思う。普通の風邪と違って熱が一気に出るのが辛いが、その分回復するのも早いのが救いだ。

もし今回の新型インフルエンザにかかったとしても、2〜3日寝ていれば治ると思っているから、特に何の対策もしていない。などと書いていたら、少しだけ頭が痛いので熱を測ってみたところ、38度近くあるではないか。なんだか関節も痛いような気がする。こんなことを書いたから罰が当たったのだろうか。ちょっとだけ心配になってきた。



09/05/17

このところやたらに不景気だと騒がれているが、たしかにそんな気がする。自分は定期購読している情報誌が2つあって、それを読むと世の中が不景気だということがよくわかるのだ。その2誌とは、いずれもリクルート社から発行されている「住宅情報マンションズ」と「TOWNWORK 社員」だ。

いずれも駅のラックに置いてあるフリーペーパーなので、自分で定期的に取りにいって読んでいるという意味での定期購読だ。香川県あたりのうどん屋でよくあるようなセルフサービスのシステムだと考えてもらえればわかりやすい。いや、全然わかりやすくないか。

「住宅情報マンションズ」は、いまのマンションを購入する際の参考のために読み始めた情報誌で、購読歴はもう5年くらいになる。これだけ長く読んでいると、間取図をぱっと見ただけで、何平米くらいの物件かが瞬時にわかるようになった。ものすごく無駄な能力だ。

それはともかく、最近気付くことは、売れ残り物件がやたらに多いということだ。駅前の立地のいい物件などは、2〜3年前だったら完成前に完売になるのが当たり前だったのに、最近では完成後も売れ残っている物件が多い。これが駅から遠い物件になると、何十戸も売れ残っているのが当たり前というお寒い状況だ。

一方の「TOWNWORK 社員」だが、これは20代のフリーターをメインのターゲットにした求人誌で、不動産の営業、ラーメン屋の厨房、製造業のスタッフなどの求人情報が載っている。以前は結構厚みがあったこの求人誌も、最近ではすっかり薄くなってしまった。

薄くなるだけならまだしも、見かけることさえ少なくなった。以前はいつ行っても駅のラックに必ず数部は置いてあったのに、いまでは発行日の当日ですら置いていないことが多い。求人数はどんどん少なくなっているのに、その求人に群がる人の数はどんどん増えているということだ。これほどわかりやすい不景気の構造もないだろう。

この情報誌を読み始めたきっかけは、いまの仕事がだめになったときのことを考えてのことだった。いろんな求人情報を見るのは結構面白い。しかし、フリーターをターゲットにした求人誌だから、条件がイマイチな仕事ばかりで、これはと思うような求人はほとんどない。

たとえば、「電気工事士 日給: 1万3000円 休日: 日曜、祝日、夏季、年末年始 昇給: 年1回」といった求人が多い。日給月給制でボーナスもないという条件では、フリーターと大差ないような気がする。とにかく、週休2日でボーナスも年2回あるというごく普通の求人が圧倒的に少ない。

こういう求人情報を見ていると、給料が安いとはいいながら、いまの仕事はまだ恵まれているのだと思える。下を見て安心するのはいけないとは思うが、上を見てうらやましがるのもどうかと思うので、精神安定剤の代わりにこうした求人誌を見るのもたまにはいいだろう。

ということで、新築マンションは売れないし、求人数はどんどん減るしで、不景気は確実に日本全体を覆っているのだということが実感できる。新築マンションがどんどん売れて、求人誌がどんどん厚くなる日が一日も早く訪れることを願ってやまない今日この頃。



09/05/10

突然思い立って、メインのコンテンツを更新してみました。よかったら読んでみてください。ということで、今週は覚書にまで手が回りませんでした。来週からはちゃんと書きますので、今回は勘弁してください。よろしくお願いします。



09/05/03

愛車の流星号Ver. 5.0で230キロを走ってみた。朝の5時に家を出て、夕方の18時30分に無事に帰宅した。それなりに疲れたが、体力的にはまだまだ余裕で、時間さえあれば300キロくらいは楽勝でいけそうな感じだ。ただ、日が落ちてから走るのは危ないので、楽しく走るにはこのあたりの距離が妥当だろう。

細かいことだが、前回は流星号のバージョンを1.5と書いたが、5.0に訂正しておきたい。これほど劇的に進化した流星号のバージョンが1.5ではあまりにも申し訳ない。ビンディングペダルを穿いた時点で2.0に進化し、ホイールを交換したことで一気に4.0に進化した。4だと縁起が悪いので、5にしたというわけだ。

今回のコースを簡単に説明すると、最初に九十九里まで出てそこから銚子の突端をぐるりと周り、利根川沿いを印旛沼のあたりまで西に進んで、最後は印旛沼沿いのサイクリングコースを南下するという道順だ。利根川沿いの道は向かい風が強くて苦労したが、一日中爽やかな快晴で、最高のコンディションだった。

とりあえずこのくらい走れれば、一人前のロードバイク乗りとして胸を張っていいと思う。次の目標は1日で300キロといきたいところだが、自分の体力では日の出から日没までの間に300キロを走りきるのは無理だろう。今年の目標はこれで達成したので、いまのところはこれでよしとしておこう。

ということで今回のサイクリングには概ね満足しているのだが、かなり怖い思いもした。青信号で横断歩道を渡っているときに、いきなり左折車が突っ込んできたのだ。自分の右側に大きく迫ってくるクルマに気付いて「どわあああ!」みたいな大声をあげたときには、もうダメだと思った。

ああ、これで俺は死ぬんだなと、そのときにはっきりと思った。時間にすれば1秒にも満たないほんの一瞬だったはずだが、まるで時間が止まったみたいにスローモーションで流れていったのがすごく奇妙な感覚だった。事故の瞬間は時間が止まったように感じるとよく聞くが、あれは本当だと身をもって実感できた。

幸いなことに、あわやというところでクルマの運転手が右にハンドルを切ってかわしたので、無傷のままサイクリングを続けることができた。流星号に乗り始めて丸4年になるが、これほど肝を冷やしたことはいままでなかった。こんなに怖い思いはもう絶対にしたくない。

いまから考えれてみれば、それほどスピードを出していたわけではないので(18キロくらい?)、骨折くらいはしただろうが、よほど当たり所が悪くない限り死亡事故にはならなかったと思う。しかし、その瞬間は本当に死ぬと思った。それも、かなり冷静にはっきりと思った。

まるで、もう一人の自分が、事故に遭いそうになっている自分のことを客観的に眺めているような、そんな不思議な感覚だった。

それにしても、青信号を渡っているときに突っ込んでこられたら、どんなに注意していても防ぎきれるものではない。人間なんて、運が悪ければ簡単に死んでしまうものだということを実感した。現代社会の人間にとって一番の脅威は、極悪な犯罪者や新型ウィルスなどではなく、不注意なドライバーだと思う。



09/04/26

あまりにもベタな話題であまり書きたくないのだが、今回は草薙君の事件について書いてみたい。やっぱり、同じ酒飲みとして、この話題は避けて通れないだろう。酒を飲んで服を脱いだというのは、ちょっとだけはじけすぎた気はするが、正直なところ、ここまで大騒ぎするほどのことでもないと思う。

このニュースを最初に知ったのはネットのニュースをチェックしていたときで、「覚えていないが反省している」という見出しに笑った。覚えていないのに反省するとは、なんとも器用なことができるものだ。しかし、覚えていないから反省できないなどと本音をぶっちゃけるわけにもいかないだろう。

酒を飲む人間ならば、酔って記憶をなくすことなど当たり前のように経験しているはずだ。その状態で大声を出したり服を脱いだりするかどうかは人それぞれだと思うが、ハメを外して後悔するようなことも時には必要だと思う。そうやって人間は学習していくものだ。

それはともかく、この事件に激怒したのが鳩山大臣だ。あろうことか、つよぽんのことを「最低の人間だ」とまでこきおろしたのだ。たしかに、地デジのキャラクターとしてつよぽんを起用したスポンサーという立場ではあるが、同じ人間をそこまで非難できるものだろうか。

そもそも、2011年に地デジへ完全移行するという計画が無謀すぎる。地デジへの移行には問題が山積みで、移行後には多くの「地デジ難民」が出現することが予想されている。政府が規制しているためか、こういった問題が表立って報道されることはほとんどないが、移行後には大きな混乱が起こることは間違いないだろう。

そうした混乱を恐れてか、「地デジはきれい」だとか「地デジは簡単」といった聞こえのいいキャンペーンばかりだ。イメージキャラクターとしてつよぽんを起用した理由もそのあたりにあるのだろう。つよぽんのように嫌味のないキャラクターは、地デジの深刻な問題を覆い隠すのにピッタリだ。

政府の本音としては、イメージキャラクターに大沢親分と張本氏あたりを起用して、「地デジ移行に従わないヤツは喝だ!」みたいにやりたいところだろうが、それでは反感を買うだけなので、つよぽんを起用したということだと思う。そう考えると、なんだかうまく騙されているみたいで気分が悪い。

鳩山さんの「最低人間」発言には、そういう事情があるのだろう。せっかくいままでうまく騙してきたのに、この事件がきっかけで地デジのキャンペーンが失敗したらどうしてくれる、といった気持ちがあったのだと思う。そうでなければ、あれほどまで激しくは怒れない。

そんなこんなで、周囲から非難の嵐を受けているつよぽんはかわいそうだ。謝罪会見をテレビで見たが、記者たちの頭の悪い質問にも丁寧に答えるつよぽんの姿を見て、本当に真面目な人なんだと改めて思った。自分としては、この事件でつよぽんのイメージが逆にアップしたくらいだ。

周囲の注目を四六時中受け続ける芸能人のストレスとプレッシャーは、一般人には想像できないくらいに強烈なものがあるのだろう。たまには酒を飲んで大声をあげてもいいじゃないか。服を脱いでスッポンポンになってもいいじゃないか。芸能人だって普通の人間だもの。頑張れ、つよぽん!



09/04/19

物欲に負けて、ホイールを買ってしまった。冷静に考えると、これまでに結構な金額を流星号に使っていることになる。とは言っても、元々が安物のロードバイクだから、パーツだけ高価なものにしてもしょうがない。本体のグレードに見合ったそれなりのパーツを買って満足している。

しかし、今回買ったホイールの効果は予想以上だった。とにかく、走りが劇的に軽くなった。踏み出してからの加速も違うし、路面からの衝撃も柔らかくなったしで、いいことづくめだ。ホイールを交換しただけでこれほどの効果があるとは、正直なところ予想していなかった。

この前買ったビンディングペダルの効果も大きい。ペダリングのエネルギー効率が改善されたため、長距離乗っても疲れなくなった。今年の目標は200キロのロングライドを達成することなので、春先から140キロ、150キロ、160キロと徐々に距離を伸ばして練習しているのだが、フラットペダルで160キロを乗ったときはさすがに疲れた。

しかし、ビンディングペダルを穿いてホイールを交換して160キロを走ったところ、疲れがまったく違った。フラットペダルのときは疲労困憊だったのに、今回は余裕だった。平均時速も、フラットペダルのときは18キロだったものが、今回は22キロで走れた。この差は大きい。

ということで、ビンディングペダルを穿いてホイールを交換したことにより、流星号はバージョンアップした。とりあえず、流星号Ver. 1.5と名付けよう。この流星号Ver. 1.5ならば、200キロのロングライドなど楽勝だ。なので、この目標はもう少し上方修正することにしよう。

今回バージョンアップをして思ったことは、ピチピチのウェアを着てピカピカのロードバイクに颯爽と乗っている彼らが速いのは当然だということだ。流星号のような安物でもちょっとパーツを交換しただけで劇的に速くなるわけだから、彼らのように高価なバイクならばなおさらだ。ちょっとズルいとさえ思う。

なにしろ、自分が疲労困憊で走っているときに、ピチピチな彼らは元気いっぱいに追い抜いていくのだ。追い抜かれるとやっぱり少しだけ悔しいから、頑張って後をついていこうとするのだが、ピチピチな背中はあっという間に小さくなってしまう。そんな感じで、ピチピチな彼らにはいつも悔しい思いをしていたのだ。

しかし、これからはちょっとだけ違う。なにしろ流星号Ver. 1.5だ。安物のロードバイクにジーンズ姿で乗っている素人丸出しのオヤジだと思ってなめてかかると、ちょっとだけ痛い目にあうぜ。羊の皮をかぶった狼の恐ろしさを存分に味あわせてやるから、覚悟してかかってきなさい、ピチピチ君たちよ。

などと、自分の身の程も知らずに宣戦布告をしてしまったが、もちろん本気モードのピチピチ君たちに勝てるわけがない。やっぱり、ロードバイクの性能は正しくその価格に比例するものだと思う。ということは、自分も高価なバイクに乗れば、もっと速く走れるのだろうか。だとしたら買ってみたい。そんな誘惑に思いを乱す今日この頃。



09/04/12

今回は特に書きたいネタもないので、中途半端にシリーズ化の予告だけしてそのままになっていた「青春の大学生活」の続きを書くことにしよう。前回の覚書では、大学に合格して上京し、バイトを決めて生活の基盤らしきものを固めて、さあこれから、ということろまで書いたので、今回はそのバイトについて書いてみたい。

最初のアルバイトとして、アパートから徒歩2分、大学からも徒歩1分という絶好のロケーションに位置する学生向けの麻雀荘に時給600円でお世話になることにしたのだが、このアルバイトはいまだに忘れられない。なにせ、東京に出てきて初めてのバイトだ。

高校生のときにもホカ弁屋さんで3ヶ月ほどバイトをしたことがあるが、そのときは時給300円だった。そう、たったの300円。1時間懸命に働いて、100円玉がわずかに3枚だけ。しかし、今度のバイトはその倍の給料だ。さすが、死にたいくらいに憧れた花の都大東京だぜ。薄っぺらなボストンバッグは北へ北へと向かうぜ。

そんな長渕な気分で始めたバイトだったが、正直なところ、あまり面白くはなかった。4人セットで1人あたり1時間100円という学生向けの雀荘なので、仕事としては特に難しいことはない。アホ面して麻雀を打っている学生たちの御用聞きが主な仕事で、食事の注文を取ったり、麻雀卓をセットしたり、レジを打ったり。

ちょっとヒマができると、客の打ち筋を見るともなく見るのだが、やっぱり下手な人の方が圧倒的に多かった。好配牌でツモもいいときは、上手い人が打っても下手な人が打っても、最終形に大きな違いはない。腕の差が出るのは、クズ配牌をもらったときだ。牌の切り順ひとつで、最終形が大きく変わってしまうことはよくある。

たとえば、オーラスの西家、アガリトップでドラはという状況で以下のような配牌が来た場合、あなたなら何を切りますか?

  ツモ

萬子で1メンツできている以外は、これといって取り得のないクズ配牌だ。この手があがれるとすれば、役牌を重ねてポンするくらいしかないだろう。そういう意味で、3枚ある字牌はどれも切れない。ぱっと見て、またはに手が伸びる人が多いのではないだろうか。しかし、この2牌よりもっと使えない牌がある。それはだ。

をツモってきた場合、またはという両嵌形に取ることができる。一方、を切った場合に裏目となるのはをツモってきた場合だけで、それ以外はどの索子をツモってきてもでカバーできる。一刻も早く聴牌したいこの状況では、迷わずを切るのが正解だ。

などと、麻雀を知らない人にとっては面白くもなんともない覚書になってしまった。どうもごめんなさい。とりあえず、こんな感じで雀荘でのバイトをそれなりに楽しんでいたということだ。1日5時間で週3回このバイトをしていたから、毎月4万円ほどの収入になった。このお金を何に使っていたのかは、また次回のお話。



09/04/05

定額給付金もまだ支給されていないのに、ビンディングペダルとビンディングシューズを買った。その勢いで、サイクルコンピュータとグローグとライトを新調し、インナー用のサイクルパンツも買った。ついでに前後のブレーキワイヤを交換し、バーテープも巻き直した。春の訪れとともに、すっかり物欲の虜になってしまいますた。

なんだか勢いがついてきて、次はホイールを交換したいなどという考えが頭をもたげてきているのだが、さすがにホイールは高価なので躊躇しているところだ。このまま物欲にまかせて買い続けたら、最後にはロードバイクそのものを買ってしまいそうな勢いだ。

ということで、今回はビンディングペダルについて書いてみたい。ロードバイクに詳しくない良い子のみんなのために簡単に説明すると、自転車のペダルにはフラットペダルとビンディングペダルの2種類があって、ママチャリなどに付いているペダルはフラットペダルだ。

それに対して、シューズの裏側に専用の金具を装着してペダルとシューズを固定するのがビンディングペダルだ。ピチピチのサイクルウェアを着込んでいかにも高そうなピカピカのロードバイクに乗って疾走している人たちのほとんどが、このビンディングペダルを使っていると考えて間違いない。

自分はいままでずっとフラットペダルで流星号に乗っていたのだが、ずっと以前からビンディングペダルを使ってみたいと思っていた。ロードバイクに乗りながらフラットペダルを付けているというのは、実はちょっとだけ恥ずかしいことなのだ。ピチピチの人たちから見れば、鼻で笑われてしまうレベルだ。

ビンディングペダルとは関係ないが、このピチピチのウェアというのもいかがなものかと思う。ロードバイクに普通の服装で乗っている人はまず見ないが、あんなピチピチぶりでよく恥ずかしくないものだと感心する。自分としては、フラットペダルでロードバイクに乗るよりも何倍も恥ずかしい。もちろん自分は、いつも普通の服装で乗っている。

それはともかく、ビンディングペダルのメリットとして挙げられるのは、「引き足」が有効に使えるという点だ。フラットペダルの場合、下に向かって踏み込むときだけ自転車に推進力が伝わるが、ビンディングペダルの場合は足を引き上げるときも推進力が伝わる。つまり、エネルギー効率が格段に向上するというわけだ。

メリットがあれば当然デメリットがあるのが世の常で、足がペダルに固定されているために転倒してしまう危険性が常につきまとう。ビンディングペダルにチャンレンジする人が必ずといっていいほど経験するのが、立ったまま情けなく転倒する「立ちゴケ」という洗礼だ。

自分も、ピンディングペダルを装着した早々に立ちゴケの洗礼を受けた。広い国道を走っているときに、細い脇道からクルマが出てきて一旦止まったので、その前を横切ろうとしたところ、そのクルマが動き出したのであわててブレーキをかけたら、派手にコケた。膝をすりむいてかなり痛い思いをした。

コケて痛いのも困るが、一番困るのは思い切り恥ずかしいということだ。何もないところでいきなりパタリと転倒するわけだから、事情を知らない人からすればかなりマヌケな姿に見えるだろう。いやこれは、ビンディングペダルを付けているからであって、決してドン臭いからコケたわけではないのです、なんて見知らぬ人に説明するわけにもいかない。

コケたくなければ、とにかくビンディングペダルに慣れるしかない。頭で考えるよりも早く体が反応するようになれば、もうコケることはなくなるだろう。これからも何回か転倒することもあるだろうが、その先には一人前のビンディングペダラーという称号が待っている。ということで、今日もこれから走ってきます。



09/03/29

今週からトップページの一番下に「転職」というテキストリンクを控えめに貼っているのだが、気付いた人はいるだろうか。これはテキスト広告というもので、これを貼ればお金をあげるという親切な人がいたので、そのとおりにしてみた。世の中にはいい人がいるものだ。

よくある「1クリックにつき○円」みたいな歩合制ではなく、「1ヶ月につき○円」という定額制なので、気を使って無理にクリックする必要はありません。まったくクリックする人がいなくても、サーバーがダウンするくらいの勢いで怒涛のようにクリックが集中しても、自分の懐に入る金額は同じなので、そのあたりは気にしないでください。

リンク先はリクナビだが、自分も転職のときにリクルートさんには若干お世話になったことがある。あれは34歳のときだったから、もう8年ほど前になるが、それまでフリーのシステムエンジニアとして仕事をしてきた自分は、そろそろ正社員として落ち着こうと考えて就職活動を開始した。

個人で活動をするのは限界があるので、いくつかの人材紹介会社に登録をした。そのひとつがリクルートさんだったのだが、職務経歴書を提出した後に電話で言われた言葉はいまでも忘れられない。あろうことか、「この経歴ですと、ウチで紹介できる企業はありませんね」と言われたのだ。

たしかに、34歳で管理職経験がないとうのは不利だろう。フリーのSEというのも、世間ではフリーターと同じくらいの市場価値しかないのかもしれない。それにしても、業界最大手のリクルートでさえ紹介できる会社がないとすると、自分の転職は絶望ということだろうか。

そんな不安を抱えながら、別の某大手人材紹介会社の担当者と会ったのだが、そのときに「やっぱり自分の経歴では、転職は難しいんでしょうか」と控えめに訊いてみた。すると、物腰の柔らかそうな初老の担当者は、満面の笑みをたたえながらこう答えた。

「永橋さんの年齢ならばまったく問題ありませんよ。紹介できる会社はいくらでもあります。それどころか、いまが一番市場価値が高いくらいです。まったく心配する必要はありません。ただ、35歳くらいの年齢でこの経歴ですと、はっきり言ってかなり厳しいですけどね」

どうやら自分の年齢をほかの人と間違っているらしい。いや、自分はもう34歳なんですけど、と遠慮がちに訂正すると、その担当者はあわてて履歴書を確認し、バツの悪そうな表情で、「いまのは失言でした、忘れてください」と言った。その瞬間、二人の間の空気が凍りついたことは言うまでもない。

それにしても、ここまで鋭く人の心をえぐっておいて、忘れてくださいはないだろう。ギャグだとしたら、あまりにもナイスギャグすぐる。アルツハイマーじゃないんだから、そう簡単に都合よく忘れられるわけがない。その証拠に、いまでもはっきりと覚えている。おそらく、死ぬまで忘れることはないだろう。

それはともかく、結局はこの担当者さんの紹介でなんとか正社員として転職できたので、この人にはとりあえず感謝している。このときの活動のおかげで、転職市場における年齢の壁は思った以上に高くて厚いものだということを、まさに身をもって学習した。

これから転職を考えているあなたに、一言だけアドバイスしたい。あなたが35歳以下だったら、自分の可能性を試すためにも大いに転職しなさい。ただし、35歳を超えているのであれば、自分の能力によほどの自信がない限り、いまの職場で頑張りなさい。世間の風は、想像以上に厳しくて冷たいものだ。



09/03/22

前回は大学受験について書いたので、希望に燃えて上京した頃のことを久しぶりに思い出した。ということで、今回はその頃のことを思い出して書いてみたい。早いもので、あれからもう24年が経ったことになるが、人間的にはほとんど成長していないのが悲しい。

とりあえず2つの大学に合格はしたものの、本心ではどちらの大学にも行きたくなかった自分は浪人したいと親に告げたのだが、いまの家の経済状態では予備校に通わせることはできないと言われた。自宅での浪人では学力をアップさせる自信がなかったので、東京への憧れもあって早稲田を選んだ。

上京のときには、当座の生活費として親からもらった10万円をお腹に入れて新幹線に乗り込んだ。なにせ大都会東京だから、どんな悪人がいるかわかったもんじゃない。何があってもこのお金だけは守らねばならないと思っていた。いまから考えると笑ってしまうが、しかたがない。なにせ、田舎者ですから(高倉健の声で読んでください)。

ラジオで聴いた覚えがあるのだが、福山雅治も長崎から上京してきたときには、当座の生活費を靴下の中に入れていたらしい。そのお金を取り出したときには、体温でお札がしっとりと濡れていたとか。この話を聞いたときには、やっぱり田舎者は同じことを考えるものだと笑った覚えがある。

それはともかく、実家から送ったものは布団一組とわずかばかりの衣類だけだったから、当面の生活用品を早急にそろえる必要がある。家賃2万5千円のボロアパートには風呂なんて当然ないから、生活用品として最初に買ったのは入浴道具だったような気がする。

そのほかには、片手ナベとラーメン丼などの最低限の食器類を買ったくらいで、きわめて貧弱な品揃えのまま、東京での生活がスタートした。冷蔵庫や炊飯器などの電化製品はもちろんのこと、カーテンすらなかった。いくら貧乏だったとはいえ、よく生活できたものだ。

さて、せっかく東京に出てきたからにはどこか東京らしいところに行ってみたい。そう考えた自分が最初に出かけたのは、春休み中の若い衆で溢れかえる原宿だった。田舎で読んでいたファッション雑誌の世界が目に前に広がっているのを見て、ほんなこつ東京はすごかところばい、などと思ったものだ。なにせ、田舎者ですから(高倉健風にお願いします)。

どれだけ田舎者だったかというと、最初は快速電車に乗れなかったくらいに田舎者だった。快速電車に乗ると、快速料金を別に取られると思い込んでいたからだ。友人と一緒に快速電車に乗ったときにはじめて間違いに気付いたのだが、当たり前のように快速電車に乗り込む友人の姿を見て、ちょっとだけ惚れた。

さて、そんな感じで田舎者丸出しで東京での生活をスタートしたのだが、上京してから一週間くらいでいきなり手元の現金がピンチになってきた。最初に教科書をまとめてそろえたためだ。大学では自腹で教科書を購入しなければならないという事実をすっかり失念していたのだ。なにせ、田舎者ですから(高倉健で)。

そんなこともあり、早急にアルバイトを決める必要性に迫られた自分は、アパートから徒歩2分、大学からも徒歩1分という絶好のロケーションに位置する学生向けの麻雀荘に時給600円でお世話になることにした。時給600円というのは、当時の平均的な時給だった。

これでとりあえず生活の基盤らしきものを築いた自分は、東京での生活を田舎者丸出しで謳歌していくことになるのだが、これ以上書くと長くなるので、また改めて書くことにしよう。以後、シリーズ化の構えありということで、今回はひとまずこれにて終了。



09/03/15

そろそろ桜が咲きそうな勢いだ。温暖化の影響で次第に桜の開花が早くなっているとのことで、開花を待つ身としてもなんだかせわしない。そんなこともあってか、この時季になると桜の夢を見ることがよくある。開花はまだ先だと思っていたのに、外に出てみるとすでに満開になっているという夢だ。

フロイトの夢判断で分析するまでもなく、こういう夢を見るということは、きっと時間の経過の早さについていけなくて焦っている証拠なのだろうと思う。普段見る夢の多くは、よく意味のわからないものばかりなのだが、こういうわかりやすい夢もときどき見る。

もうひとつよく見る定番とでもいうべき夢があって、それは大学受験に再挑戦するという夢だ。この夢は、時季に関係なく見る。早稲田に通いながら、受験シーズンの2〜3ヶ月前くらいに他の大学を受験することを決意して日本史の教科書を開くのだが、すっかり忘れていることに気付いて愕然とするという夢だ。

なぜ苦手の数学ではなく日本史で愕然とするのかは自分でもよくわからないが、とにかく日本史なのだ。夢の中でとりあえず教科書を開いて読み始めるのだが、空海や親鸞などと同じ時代に戦国武将が出てくる教科書だから、なおさらわけがわからない。

自分の受験のことを書いておくと、受けた大学は新潟大学と早稲田大学の2校だけで、とりあえずどちらも合格した。しかし、どちらも第一志望の大学ではなく、本当は東北大学に行きたかった。東北大学が無理なら筑波大学、筑波が無理なら千葉大学という三段構えだったのだが、結局は新潟大学になってしまった。

受験前の作戦では、共通一次試験の結果によって受験する大学を決めるつもりだった。1000点満点で850点を超えれば東北、800点ならば筑波、750点ならば千葉を受ける計画だったが、200点満点の数学で16点というロースコアを叩き出してしまったために、この計画はすべて水泡に帰してしまった。

結局、共通一次の合計得点は660点くらいだったと思う。これほどのロースコアはさすがに予想していなかっただけに、どこの大学を受験すればいいのか、ちょっと迷った。当初の計画だった3校を受けても落ちることは明らかだから、地元の大学を受けたわけだ。

滑り止めのつもりで願書を出していた早稲田にも合格したので、地元で過ごすよりは東京で過ごしたほうが面白いだろうという理由で早稲田を選んだのだが、いつも心のどこかで納得できないものを抱えていた。学歴で人生が決まるわけではないが、どうせならいい大学に行きたいというのはすべての人の本音だろう。

当然ながら、早稲田大学よりも東北大学のほうがいいに決まっている。世間では、早稲田や慶応というと一流大学だと思われがちだが、所詮は私立大学だから大したことはない。偏差値が高いのは受験科目が少ないからであって、偏差値だけで単純に国立大学とは比較できない。

それでも強引に国立大学と比較するならば、早稲田や慶応といった私立の一流と呼ばれる大学は、地方の国立大学と同じくらいか、少しレベルが上くらいだろうと思う。少なくとも、旧帝大クラスとは比較にならないくらいのレベルだということだけは間違いない。

受験から四半世紀近くが経つのに、いまだに受験の夢を見るということは、それだけ受験に対するコンプレックスを抱えているということだろう。我ながらつまらないコンプレックスだとは思うが、こればかりはしかたがない。桜の開花を待ちわびながら、もっと心穏やかに生きていきたいと願う今日この頃。



09/03/08

なんだか政治の世界が盛り上がってきた。いい方向で盛り上がっているとは言いがたいが、話題がまったくないよりはいい。さすがに、麻生さんバッシングばかりの報道には飽きていたところだ。それにしても、小沢さんの献金問題の真相はどのあたりにあるのだろう。

とりあえず、国策捜査だの陰謀だのという小沢さんの開き直りには笑った。自分に都合の悪い部分を突っ込まれると、すぐに陰謀説を持ち出す北朝鮮みたいだ。ルール違反をしたことには間違いないわけだから、謝罪すべきところはキッチリと謝罪すべきだと思う。

これはまったくの個人的な意見だが、おそらく国策捜査ということはないだろう。このタイミングでの逮捕というのはあまりにも間がいいというか悪いというかだし、自民党にとってもリスクのある案件での逮捕だし、何よりも死に体同然の自民党の要請を受けるだけのメリットが検察側にない。

陰謀説はともかく、どうしてこんなことで秘書が逮捕されるのかという意見は、おそらく小沢さんの本音だろう。これまでだったら暗黙のうちに見逃されていたくらいの小さな事案なのに、どうしていまになって逮捕なのかというのが小沢さんの偽らざる心境だと思う。

たしかに、小沢さんにとっては金権腐敗の師匠筋ともいうべき金丸さんや角栄さんのスキャンダルに比べたら、今回の事件は圧倒的にしょぼいと思う。とりあえず違法献金というそれなりの名目ではあるが、これが小沢さんでなかったら、さほど話題にも上らないくらいのレベルの事件だ。

たとえて言うならば、よその大人からお菓子をもらったらちゃんとお母さんに言いなさい、という言いつけを守らずに黙ってお菓子を食べてしまった子供を叱るみたいな感じだ。かえってわかりにくいたとえになった気がしないでもないが、とりあえず事件として扱うにはイマイチしょぼいということだ。

ここから先は、まったくの個人的な推測でしかないが、特捜部としてはとにかく仕事がしたかったのではないだろうか。たまには派手に仕事をして、特捜部ここにありということを世間に対してアピールしたかったのではないか。そのためには、あまり名前が知られていないような小物ではなく、小沢さんクラスの大物をターゲットにする必要があったのだろう。

しかし、いかんせんタイミングがよすぎた、というか悪すぎた。このタイミングでの逮捕は、検察側がいかに政治的な意図はないと言っても、やはり何か裏があるのではないかと勘ぐりたくもなる。今回の逮捕については、検察さんはちょっと空気が読めてないんじゃないの、というのが素直な感想だ。

いずれにしろ、今回の事件で選挙の結果がどうなるのかちょっとだけわかならくなったことは事実だ。いままでは民主党の楽勝ムードが流れていたが、これで与党逆襲の芽もほんの少しだが見えてきた。ただ、今回の事件がこれ以上の広がりを見せなければ、大勢に影響はないだろう。

しかし、有権者としては自民党にしろ民主党にしろどちらもあてにならないというのが本音で、これが一番の問題だ。自分も正直なところ、自民党にも民主党にも投票したくない。ここまでグダグダな政治を見せられると、もういい加減にしてくれと言いたくなる。



09/02/22

何回見ても、中川さんの酩酊会見は笑える。あまりにも素敵なヘロヘロぶりに、実は演技なんじゃないだろうかと思うくらいだ。これほどヘロヘロになっては、風邪薬を飲みすぎたという言い訳はちょっとばかり苦しい。やはり、誰がどう見ても酒の飲みすぎだろう。

結局中川さんは辞任に追い込まれたわけだが、あれほどの醜態を全世界にさらしてしまっては辞任もしかたがないと思う。しかし、同じ酒飲みとしては、中川さんだけを一方的に責めるのはかわいそうな気がする。つまるところ、アルコールも強烈なドラッグだからだ。

アルコールの厄介なところは、精神依存と身体依存の両方が形成されてしまうところにある。精神依存とはアルコールが欲しくてたまらなくなる状態のことで、身体依存とはアルコールが切れると手が震えたり幻覚を見たりする状態のことだ。この身体依存が現れると、立派なアルコール依存症患者のできあがりだ。

アルコール以外のドラッグで精神依存と身体依存の両方が形成されるのは、実はモルヒネくらいしかない。コカインなどのアッパー系のドラッグの場合、精神的な依存度は強烈だが、身体的な依存は形成されない。つまり、アルコールはモルヒネと同じくらい危険なドラッグだという見方もできるわけだ。

そいう強烈なドラッグが世界中いたるところで売られているわけだから、よく考えると怖い。日常生活の中で何気なく飲んでいるアルコールだが、飲酒が習慣になってしまえば依存度もどんどんと上がっていく。それを止めるのは、自分の意志というなんとも頼りない手段しかない。

大酒飲みの人を、あの人は意志が弱いから酒がやめられない、自分でやめようと思えば酒なんてやめられるのに、などと非難する場合が多いが、依存症というのは立派な病気だから、いったんアルコールに対する依存が形成されてしまうと、自分の意志だけではどうにもならない。

アルコール依存症になるかならないかは、その人の体質によるところも大きいのだろうが、結局は運だと思う。嫌なことやストレスなどが引き金となってアルコールに走ってしまう場合など、そうしたストレスにさえ出会わなければアルコールに頼ることもなかったわけで、このあたりは自分の力だけではどうにもならない。

自分もアルコールは好きでよく飲む。飲む量も、人並み以上には飲むのだろうと思う。しかし、このところ休肝日は週に5日ほど作っているし、去年受けた健康診断でもγ-GTPはまったくの正常値だった。だから、自分ではそれほど問題はないと信じているのだが、このテストを受けたところ、「問題飲酒予備軍」と判定されてしまった。

おそらく、日常的にアルコールを飲む人間のほとんどが、多かれ少なかれアルコールに対する問題を抱えているのだろうと思う。「酒は百薬の長」という言葉があるが、嘘っぱちもいいところだ。酒なんて、飲まずにいられればそれが一番いい。酒を飲んで得することなど何もない。

だから今回の中川さんの件にしても、同じ酒飲みとしてはあまり責める気になれない。それどころか、気持ちはわかりますよと酒を酌み交わしたいくらいの気分だ。アルコールのCMをガンガン流しておきながら、そのせいでアルコールに苦しんでいる人を非難するのはなんともおかしな話だと思う。



09/02/15

今回は、いまなにかと話題になっている漢字検定について書いてみたい。漢字検定はいまや大人気で、受験者数において英検を超えたらしい。グレードについても、英検は1〜5級までしかないが、漢検はその倍の1〜10級まであるという充実ぶりだ。なんだか、メニューの豊富な定食屋みたいで素敵だ。

パソコン万能の現代においていまさら漢字でもないだろうと思うが、こういう時代だからこそ、漢字に詳しいというのはちょっとしたステータスになるのかもしれない。少なくとも、漢字を勉強しようという風潮は悪いことではないと思う。特に、漢字の苦手な若い衆には頑張ってもらいたい。

自分の場合、漢字はそれほど得意ではない。読むだけならそれなりに読めるが、いざ書くとなると、とたんに怪しくなる。ただ、これくらいのレベルでも日常生活にはまったく支障がない。とりあえず読めればオッケーで、書くほうはパソコンにまかせておけばいいからだ。

それはともかく、漢検の問題はどんなものかと過去問を見てみたのだが、2級くらいのレベルになるとかなり難しい問題もある。一般人であれば、2級に合格するだけの知識があれば充分だと思う。このくらいの知識があれば、日常生活ではまず問題ないだろう。

その上の準1級と1級については、完全に趣味の世界だ。実用性は皆無と言っていいと思う。こういう検定試験は、上の級になるほど実用性も専門性も上がっていくものだが、漢字検定ほど実用性と乖離した検定もないと思う。たとえば、1級の問題はこんな感じだ。

1. 万斛の熱涙をそそぐ。 2. 早起盥漱して本堂に寵もる。 3. その徳を聿修す。

どうですか、読めますか。自分はまったく読めない。バンカクのネツルイ?ソウキカンソウして?そのトクをリッシュウす? っていうか、そんなもん知るか。こんな漢字、これまでの42年間の人生において、ただの一度も見たことがない。そもそも、これって漢文だし。

こうした難しい漢字を知っていたところで、日常生活ではまったく使えない。いかにも得意げに「ここはひとつ、早起盥漱して本堂に寵もるべきですかなあ」なんて言われても、相手が理解できなければ何の意味もない。すごく物知りなのね、なんて尊敬してくれる人はまれで、それが何か?という冷めた反応をする人がほとんどだろう。

つまり、漢検1級ホルダーは、せっかくの知識を披露する場所が日常生活ではほとんどないということになる。これだけの漢字を覚えるのは並大抵の努力ではできないと思うが、その知識を披露する場所がないというのはなんとも悲しい。というか、ちょっとだけ笑える。

英検1級ホルダーは純粋に尊敬するが、漢検1級ホルダーは純粋にご苦労様と思うだけだ。おそらく、世間の反応もそんなものだろう。

とはいえ、純粋に趣味として漢字を楽しんでいる人がほとんどだろうから、それはそれでいいことだと思う。自分も、英単語の暗記は趣味として楽しんでいる部分もあるから、そういう気持ちは理解できる。しかし、どうせならもう少し有意義なことに時間を使えばいいのにという気がしないでもない。



09/02/08

スマイリーキクチのブログが炎上した件で、悪質な書き込みをした18人が書類送検されることになったらしい。概略を簡単に説明すると、足立区出身のスマイリー氏が女子高生コンクリート詰め殺人事件に関与していたという噂が2ちゃんねるで流れ、それを信じた人たちがスマイリー氏のブログを執拗に荒らしたという事件だ。

今回の事件は、匿名の書き込みにも責任が発生するということを示した意味で、今後に与える影響は大きいと思う。正直なところ、自分は匿名で安全なところに隠れながら、実名の相手を陰湿に攻撃するという行為には恐怖を覚える。というか、人間として卑劣だ。

それはともかく、芸能人のブログは読んでも面白いと思えるものが少ない。まず、あまり文章が上手くない人が多い。知的なイメージを売りにしている人のブログでさえ、がっかりするような文章を書いている場合が多い。これが最近流行りのおバカキャラを売りにする人のブログだったりすると、覗こうという気にすらならない。

文章の巧拙よりも大きいのは、書いている内容自体が面白くないということだ。どれもこれも個人的な日記の延長といった感じで、知的好奇心を刺激されるようなブログなどほとんどない。そういった日記感覚こそがブログなのだろうとは思うが、やっぱりつまらない。

しかし、こういった個人的な日記のようなブログでも、匿名の一般人が書くものは面白いものが多い。これは、実名か匿名かによるところが大きい。名前も顔も売れている芸能人はイメージを大事にする必要があるから、あまり踏み込んだことは書けない。これが匿名であれば、かなりきわどいことも書けるから、面白くなるのは当然だ。

実名でちょっと踏み込んだことを書こうものなら、たちまちブログ炎上という事態が待っているから、芸能人のブログはどうしてもあたりさわりのない内容になってしまう。しかし、そんなブログを書いて楽しいのだろうか。そんなブログで芸能人は満足しているのだろうか。

もし自分が芸能人だったら、そんな毒にも薬にもならないブログなど書かないだろう。おそらく、この覚書のようなブログを書いてたちまち炎上し、あまりのショックに膝を抱えて泣き明かし、すぐさま謝罪文をブログに書いて打たれ弱さをアピールすることになると思う。

自分も一応実名でサイトを運営しているわけだが、こんなしょぼいサイトでは誰にも注目されないから、それなりに書きたいことが書けるので結構気に入っている。アクセス数が少ないというのは、自分みたいに気が弱いくせに書きたいことはあるという人間にとって、実は好都合なのかもしれない。

結論としては、芸能人はブログなど書かないのが一番の得策だということだ。もし書くのであれば、毒にも薬にもならないような徹底的につまらないブログを書いて満足するしかない。とにかく、顔の見えない悪意ある匿名さんにスキを見せることほど怖いことはない。



09/02/01

ようやく定額給付金が支給されそうな感じになってきた。この案が与党から提案されたときには、すぐにでも支給するぞ、いますぐ振り込むぞ、みたいなものすごい勢いだったのに、結局はずいぶんと時間が経ってしまった。これではまるで「振り込む詐欺」だ。

支給が決まったということで、なにはともあれよかった。世間では定額給付金の支給に反対する声が大半を占めているようだが、自分も愚策だと思う。しかし、決まったからには前向きに考えないと、せっかくの2兆円という大金がまったくの無駄になってしまう。

マスコミも、愚策だなんだと批判ばかりするのではなく、定額給付金を有効に使ってもらうためのキャンペーンでもやったらいいと思う。日本のマスコミは野党の政治家連中と同じで、自分では何の方策も示さずに正義面をして批判するだけだから困る。批判だけして世の中がよくなるとは思えない。

ということで、定額給付金を何に使おうかと考えているのだが、有効な使い道が思い浮かばない。とにかく、12,000円という金額がなんとも中途半端だ。この金額では帯に短し襷にも短しで、結局のところあまりにもケチくさい。いまどきの小学生だって、もっとたくさんお年玉をもらっているだろう。

しかし、そんなことを言っていたら批判だけするマスコミと同じになってしまうので、自分が欲しいものをあれこれ考えてみた。まずは、ビンディングペダルとビンディングシューズが欲しい。これはロードバイクに乗るときのための道具で、前から欲しいと思っていたものだ。

あとは、ロードバイク用のグローブがだいぶへたってきたので、これも新調したい。それから、ロードバイク用のサイクルコンピュータも調子が悪くなってきたので、これも新調しなければならない。ついでに、ハンドルに巻いているバーテープもかなりくたびれてきたので、これも新しく巻き直したい。

さらに、今年は輪行(自転車を分解して専用の袋に入れ、電車などの公共交通機関に持ち込んで目的地まで行くこと)にも挑戦してみたいと思っているので、輪行袋もほしい。それから、夏でも快適にサイクリングできるように、ロードバイク用の七分丈のパンツも欲しい。

こうして自分の欲しいものを並べてみると、流星号に関するアイテムばかりだ。というか、それ以外に欲しいものがまったく浮かばない。特に欲しい家電製品もないし、新しい服が欲しいとも思わない。サイクリング以外の趣味といえば、散歩や読書や単語カードの暗記くらいだから、特に新しいアイテムが必要になることもない。

欲しいものがなくなったら人間は終わりだとどこかで聞いたことがあるが、そう考えると自分はかなり終わっている人間ということになるのかもしれない。とは言っても、あれが欲しいこれも欲しいと年中いっている物欲の塊のような人間よりはいくぶんマシだろう。

しかし、ここに挙げた流星号関連グッズをすべて揃えるとなると、定額給付金の12,000円だけではまったく足りない。せめて5万円は欲しいところだが、帯に短し襷にも短しの12,000円ではいかんともしがたい。などと馬鹿なマスコミみたいなことは言わずに、せいぜい有効に使うことを心がけることにしよう。



09/01/25

いわゆる「闇サイト殺人事件」で、3人の被告に対して死刑が求刑されたらしい。この事件の概略を簡単に説明すると、犯罪を実行する人間を募る闇サイトで知り合った3人の男性が、見ず知らずの女性を襲って現金とキャッシュカードを奪った上で殺害したという事件だ。

この求刑をニュースで知ったときには、正直なところ驚いた。いかに極悪非道な事件とはいえ、3人すべてに対して死刑が求刑されるとは考えていなかったからだ。被害者が1人だけの事件で、3人すべてに対して死刑の求刑というのは、あまり例がないのではないか。

殺人事件の場合、被害者が1人だけでも死刑を科すことができると刑法では定められているが、実際には量刑の相場というものがあり、被害者が1人だけの場合は死刑判決が回避されることが多い。犯行の計画性や残虐性、情状酌量などの要素によっても違ってくるが、大雑把には以下のような相場が存在する。

強盗を伴わない殺人の場合、被害者が3人以上ならば死刑、2人ならば無期懲役、1人だけならば有期刑。強盗殺人の場合、被害者が2人以上ならば死刑、1人だけならば無期懲役。身代金目的の誘拐殺人の場合は被害者が1人だけでも死刑。現在の量刑の相場は大体こんなところだ。

今回の事件の場合は被害者が1人だけの強盗殺人だから、上記の相場に照らして考えると無期懲役が妥当ということになる。もし死刑を求刑するにしても、主犯格の人間だけに対して死刑を求刑し、残りの2人には無期懲役を求刑するのが妥当なところだろう。少なくとも、それが従来の方法だったと思う。

このあたりにも、最近の厳罰化の傾向がはっきりと見てとれる。それがいいことなのか悪いことなのかはわからないが、この流れは当分は止まらないだろうと思う。それどころか、さらに加速していくだろうと予想している。なぜならば、裁判員制度が導入されたからだ。

一般の国民が死刑判決を出すのには抵抗があるため、厳罰化の流れは止まるだろうという見方もあるようだが、自分はその逆だと思う。人間というものは、自分一人で物事を決めるときには慎重になるが、大勢で集まって決める場合には大胆になる傾向があるからだ。

たとえば、会社経営を考えてみるとわかりやすい。バイタリティー溢れるワンマン社長の場合、大胆な判断を下すと思われがちだが、実は非常に慎重に判断を下すことが多い。逆に、大勢の経営陣が集まる場合、慎重な議論がなされると思われがちだが、意外にイケイケな判断になることが多い。

これは、大勢の人間で判断したのだから間違いはないだろう、間違っていたとしても自分の責任は大きくない、という心理が働くからだろう。複数の人間が集まって議論する裁判員制度でも、こうした心理が働くことは間違いない。その結果、死刑判決も増えていくだろうと予想している。

今回の事件では、死刑が求刑されたとはいえ、実際の判決では3人すべてに死刑判決が下されるとは考えにくい。3人すべて無期懲役になる可能性が高いと思う。自分としては、こういう極悪非道な人間たちに厳罰が下るのは当然だとは思うが、なんでもかんでも死刑というのは、少しばかり怖い気がする。



09/01/18

今年の目標はリスニング力の強化だと前回の覚書で高らかに宣言したばかりだが、1月も半分以上が終わったというのに、リスニングに関してはまだ何も始めていない状態だ。せっかく買った「聴覚セラピー」も、まだ開いてさえいない。せっかくの計画も、いきなり計画倒れになりそうな勢いだ。

どうしてこんなに腰が重いのかと考えてみると、結局はリスニングが嫌いだからだろうと思う。スピーキングはもちろん嫌いだが、リスニングもスピーキングと同じくらいに嫌いだ。なぜ嫌いなのかと考えてみると、つまりは聴き取れないから嫌いなのだろうと思う。

リスニングの勉強なんて、適当なリスニングの素材を選んで聴くだけでいいわけだから、それほど難しいことではないような気がするが、それがそうでもない。集中して聴いても聴き取れないとなると、次第にストレスがたまってきて、気付いたらいつのまにか勉強を止めていたということになる。

聴き取れないからこそ、聴き取れるようになるまで勉強しなければならないのだとは思うが、なかなかそこまで忍耐力が続かない。自分ではかなり根気強い人間だと思っているが、それは自分の好きなことに限っての話であって、嫌いなものはやっぱり嫌いだ。

それでも、英語の勉強を始めたばかりの頃に比べれば、苦手なリスニングも大きく進歩しているのは間違いない。あの頃は、NHKラジオの簡単な英会話番組でさえ、難しい呪文にしか聞こえなかった。いまでも完璧に聴き取れるわけではないが、何を言っているのかくらいはわかる。

ある程度リスニング力がついたのはなぜかと考えてみると、ペーパーバックや英語雑誌を地道に読んできたことが一番大きな理由だと思う。たしかに以前はリスニングの勉強もしたことがあるが、いまから考えると、あまり効果があったようには思えない。

地道に単語を暗記して、地道に英文を読んできたおかげで、リスニング力も少しずつ上がってきたと考えるのが自然だろう。読んで理解できない英文は、聴いても絶対に理解できない。読んで理解できる英文ならば、聴いても理解できる可能性はある。そう考えると、リーディングはすべての基礎ではないかと思うわけだ。

そういうわけで、いきなりつまづきつつあるリスニング力強化計画だが、嫌いなものは嫌いだし、嫌いなものを無理して続けても辛いだけで効果はないと、早くも自分自身に対して言い訳を用意している状態だ。こんな言い訳を用意している時点で、もうやる気はゼロなんだろうと感じる今日この頃。



09/01/11

気付いたら、いつの間にかまた新しい一年が始まっていた。いまさらながら、歳を重ねるごとに、1年という時間がどんどんと短く感じられる。ということで、この1年をダラダラと無意味に過ごすことがないように、とりあえずは今年の目標などを立てておくことにしよう。

今年の目標は、ぜいたくにも2本立てでいこうと思う。まず1つめの目標は、愛車の流星号で200キロのロングライドを達成することだ。これまでの最長記録は、120キロを何度か走ったことがあるが、それを一気に200キロまで伸ばそうと無謀なことを考えている。

週末に流星号に乗るときは、いつも100キロ前後を走るのだが、その倍の距離となると、かなりキツイだろう。正直なところ、無理かもしれないと思う。しかし、自分の人生の中で、今日という日が自分は一番若いのだ。いつまでもグズグズしていたら、何もできないままに終わってしまう。多少無理めの目標のほうが、達成感も大きいだろう。

もうひとつの目標は、英語力を上げるということだ。単語カードによるボキャブラリー力の増強は今年も続けていくからいいとして、それ以外にも英語力を上げていく努力を始めてみようと考えている。現状維持のままでは、結局のところ、英語力は年齢とともに衰えていくだけだろう。新しい努力を始めてこそ、現状維持が可能になるのだと思う。

ということで、現在の自分の英語力を客観的に分析してみたい。

まずはボキャブラリー力だが、日本人学習者としてはかなり上位のレベルに入るくらいの力はあると思う。TIMEやNEWSWEEKなどの英語雑誌を読むと、未知の単語は1ページあたり1〜2個くらいしかなくなった。とはいえ、ペーパーバックを読むと、まだまだ知らない単語が山ほどある。

リーディング力についても、それほど問題はないと自分では思っている。ある程度複雑な文章でも、時間をかけて解析すればなんとか理解はできる。しかし、リーディングのスピードとなると、まだまだ満足できるレベルではない。このあたりは、ボキャブラリー力を上げながら、地道に英文を読み込んでいくしかないのだろう。

リスニング力については、かなり低いと自覚している。背景知識のあるニュースならばある程度は理解できるが、ドラマや映画の英語はまったく理解できない。英語の勉強を始めた頃は、映画を字幕なしで理解できるようになることが目標だったが、いまでは絶対に無理だとあきらめている。

スピーキング力については、まったく問題外だ。流暢に話すどころか、外人さんに道を訊かれただけでも、心臓がバクバクして脇の下から嫌な汗が流れ落ちるくらいのレベルだ。他人が自分の英語を聞いたら、間違いなく英語の素人だと思うだろう。それくらいひどい。

ということで、今年はリスニング力を底上げしたいと考えている。スピーキングを除けば、リスニングが自分の一番の弱点だからだ。ドラマや映画を字幕なしで理解するのは無理だとしても、背景知識のあるニュースならほぼ完全に理解できるくらいの力はほしい。

手始めに、「聴覚セラピー」という本を買ってみた。いかにもインチキ臭い本だが、1,400円と安価なので、何の効果もなかったとしても、まずいラーメンを2杯食べたと思えばあきらめもつく。まずはこのインチキ臭い本を試してみて、それから勉強の方向性を決めていきたい。

こんな感じで今年もダラダラと書いていくつもりなので、今年もよろしくお願いします。


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