03/12/20

はやいもので、もう今年も終わりだ。

それにしても一年が経つのは速い。本当に速くて嫌になる。年々加速度を増している気がする。そんな貴重な一年なのに、また今年もダラダラと過ごしてしまった。いかんな、反省。

年頭に立てた今年の目標は、「できるだけたくさんの本を読む」だったのだが、今日現在で131冊(洋書38冊、邦書93冊)という結果だ。うーん、あまり読めないもんだな。200冊は読めると思っていたが、遠く及ばない。意外と読めないもんだ。

で、今年読んだ本で一番良かったのが「赤毛のアン」である。子供向けの作品だと思って油断して読んだら、いきなりやられた。とにかくアンが可愛いのだ。オジさん、もうアンにメロメロっす。この先もしも間違って子供ができるようなことがあったら、女子であれ男子であれ、迷わず「アン」と名付けたい。いや、男子で「永橋アン」というのはちょっとまずいか。だったら、「永橋庵」でどうだろう。いかにも老舗っぽくて素敵だ。生まれながらに老舗なんて、我が息子ながら憎いぞ、永橋庵。

真面目な話、最近の日本人の急激な活字離れはちょっとだけ悲しい。大手の出版社ですら、台所事情はかなり厳しいものがあるそうだ。今の世の中、マンガやゲームなど、気軽に楽しめるものが溢れているから、わざわざちまちまとした活字を読む気にならないというのは理解できる。理解はできるが、やっぱり活字好きの自分としては悲しい。

読書の楽しさは、無味乾燥な活字を読んで、頭の中で自分の好きなように風景や情景を思い浮かべることができるところにあると思う。映画やドラマは、想像力がその映像の範囲に限定されてしまうが、これが活字だったら、想像力の及ぶ範囲は無限に広がる。なんでも簡単に手に入る今の時代だからこそ、逆に活字は貴重なメディアだと思うのだが。まだまだ捨てたもんじゃないぞ、活字メディアも。

なんて偉そうなことを言いながら、もっぱら図書館で本を借りる自分は、出版業界に直接には貢献していない。ハードカバーで1500円、文庫本でも最低500円はするから、貧乏サラリーマンの自分としてはちょっと考えてしまうのだ。やだね、貧乏って。

この前買ったジャンボ宝くじが当たったら、この不義理は何十倍、いや何百倍にもして返すつもりだ。それまで、しばしのお待ちを。



03/12/14

今年もまたジャンボ宝くじを買った。

今年こそは3億円が当たるという確信がある。いや、確信と言うよりは予感か。いや、予感と言うよりは希望的観測か。いや、希望的観測と言うよりは叶わぬ願いか。

で、もしも3億円が当たったら何を買おうかと考えてみた。
そうだな、まずはスーツを新調したい。ここはひとつ、思い切り奮発して10万円くらいのスーツを買うとしよう。それから、折り畳み式の自転車も欲しい。本格的なヤツが欲しいから、必要な小道具を一通り揃えるとなると、20万円くらいはかかるだろう。これで残金2億9970万円だ。うーん、後は何に使おうか。特に思い浮かばないなあ。クルマも必要ないし、無駄に広い部屋に住む必要もないし。恵まれない子供たちに寄付でもしようか。

どうやらこの歳になると、若い頃に抱いていた色んな欲望とともに、物欲も衰えるものらしい。立って半畳寝て一畳、特別に贅沢な暮らしを望まなければ、そこそこの生活を送るのはそんなに難しいことじゃない。わずかな富を求めて日々神経をすり減らせて生きるより、たとえ収入が少なくても、自分の好きな仕事をして気楽に生きる方が、心豊かな人生を送ることができるのではないか。少なくとも自分はそう思う。だからと言って、金や出世や社会的地位のためにがむしゃらに頑張る人たちのことを否定する気はもちろんない。むしろ偉いとさえ思う。自分みたいな考え方の人間ばかりだったら、日本の経済力は一気に落ちてしまうだろう。

などと悟ったようなことを言いながら、宝くじを買ってしまう自分ってどうなのよ?

なんだかんだ言っても、やっぱり金はないよりはあった方がいい。悲しいけれどそれが真実だ。でも、できるなら楽して稼ぎたい。恥ずかしいけれど、それが本音だ。



03/12/06

ここのところ、天気予報がさっぱり当たらない。
昨日は「降水確率0%」なんて言っておきながら、いきなり雨に降られたし、今日は今日で「一日中降ったり止んだり」との予報を裏切って、薄日のさす穏やかな天候だった。

生水を飲むときにあたらないように、「測候所、測候所」なんて呪文を唱えながら飲んでいた昔とは違い、今は何十億だか何百億もする気象衛星を打ち上げる時代だというのに、わずか数時間後の天候さえ当てることができないとは何事か。「今日は傘の必要はありません」と自信満々でのたまう気象予報士にも、思わず文句のひとつも言いたくなる。

しかし、気象予報士というのも因果な商売だ。あたって当たり前、外そうものなら、自分のような心の狭い人間からは恨みを買ってしまう。その点、政治家はこういった商売にはうってつけだ。
「明日の東京地方は快晴でしょう。降水確率は限りなく0%に近いものと思われます。しかし、この世に絶対ということはあり得ません。冷静に現在置かれた状況を見極めつつ、いつ雨が降ってもいいように、雨具の準備だけは怠らないようにしてください」なんて、最初から外したときの言い訳を準備しながら予報しそうだ。

これが魚屋の主人だったら、もっと歯切れのいい予報をするだろう。しかし、あまり信用はできそうにない。
「明日の東京地方は雨だね。降水確率は100%だよ!」なんて言っておきながら、夕方5時を過ぎると、「あ、奥さん今日もきれいだね。えーい、大サービスだ、降水確率50%におまけするよ!」みたいな感じで、いきなり降水確率の叩き売りをしそうだ。

予報を外しても恨まれないキャラクター、ということを考えると、気象予報士に一番適しているのは、3歳未満の幼児ではないだろうか。愛らしい笑顔で、「あちたのとうきょうちほうはかいちぇいです。こうちゅいかくりつは、にひゃくぱーちぇんとでぷ♪」なんて言われたら、オジさん、何も文句は言えないっす。

ってことで、気象予報士のみなちゃん、気象のお勉強のかたわら、幼児語の勉強もちてくだちゃい。
「可愛さあまって、憎さ百倍」なんてことにならない程度にね。



03/11/30

本格的に寒くなってきた。通勤電車の中でも、コート姿の人たちが過半数を超えそうな勢いだ。

しかし、自分からすれば、今からコートなんて着込んでどうする、と言いたい。コートを着ること、これすなわち「冬」を意味する。今の時期からコートを着る人たちというのは、例外なくコートを脱ぐのも遅い。桜が咲き始める頃になっても、まだ未練がましくコートを脱げずにいたりする人たちだ。仮に11月の中旬から4月の初旬までコートを着るとすると、なんと5ヶ月近くもの間「冬」ということになってしまう。

1年は12ヶ月、季節は春夏秋冬の4つ。12を4で割ると、それぞれのシーズンはきっちり3ヶ月でなければならない。それなのに2ヶ月も超過しては、他の季節に迷惑がかかる。正直なところ、冬は短ければ短いほどいい。その分だけ、春や秋の出番が増える。

自分は冬を極力短くするべく、コートを着る時期と脱ぐ時期はきっちりと決めている。コートを着込むのはどんなに早くても冬至を過ぎてから、コートを脱ぐのはどんなに遅くても春分の日が来るまで、と決めている。たとえどんなに寒くなってドカ雪が降ろうとも、冬至が来るまでは絶対にコートは着ないし、一度コートを脱いだら、雪が降ろうが槍が降ろうがコートを着ることはない。自分の中では、どんなに寒くても、コートを着ないうちはまだまだ秋だし、たとえ寒の戻りがあったとしても、コートを脱いでしまえばもう春なのだ。つまり、自分の力で冬を短くすることは可能だということだ。

自分でもくだらないこだわりだとは思うが、くだらないからこそ、こだわっていきたい。ふにゃふにゃした人間にはなりたくない。

とは言いながら、年々寒さが身に沁みてくる気がする。こだわりと言うよりも、やせ我慢に近いものがある。こそっとラクダ色のモモヒキなんかを穿いてみたりしてもいいっすか?

そろそろ北風が辛いお年頃になってきたってことか。



03/11/23

マイコー・ジャクスンがやってくれた。

ついこの間ノーベル平和賞の候補に挙がったと思ったら、今度はいきなり少年に対する性的虐待の容疑で逮捕されてしまった。さすがはスーパースター、やることがいちいち派手だ。マイコーほどのスターになると、世界平和はベッドの上から願うものらしい。頑張れマイコー。世界平和実現は目の前だ。

それにしても、マイコーは「スリラー」の頃が一番カッコよかった。「ポー!」なんて甲高い声をあげながらムーンウオークをかますマイコーは最高に輝いていた。それに比べて、今のマイコーはあまりカッコよくない。大体、顔をいじりすぎである。顔色は不健康なくらいに青白いし、鼻は不自然なくらいに高いしで、はっきり言ってちょっと怖い。何事もやりすぎはよくないという良い見本だ。

しかし、マイコーの性癖ってのもちょっと理解しがたいものがある。自分の子供がいるってことは、ちゃんと女子も愛せるってことなのに、同じように少年も愛することができるってのはどういうことだろう? 少年を愛することができるのであれば、ちょっと頑張れば若い男子もオッケーなのか? さらにもう少し頑張れば、ちょっと腹の出たオヤジもオッケーってことなのか? さすがはマイコー、つまりは誰でもオッケーの博愛主義の人なんだな。

自分の心のノーベル平和賞は、色白の博愛主義の人、マイコー・ジャクスンに捧げたい。

関係ないが、散歩の途中でこの前掲示板に書き込みがあった「蒲焼さん太郎」を見つけたので、思わず買ってしまった。涙が出るほど安っぽい味だった。やっぱ駄菓子はタレだね。束の間、童心に返ることができた。

できることなら、マイコーにも蒲焼さん太郎を食べさせてあげたい。そして、ジャクソン・ファイブ時代の純粋だった心を取り戻してもらいたい。蒲焼さん太郎の海外進出を強く望む今日この頃である。



03/11/14

最初に断っておく。今回の覚書はちょっとばかり長いし、理屈っぽい。なぜかと言えば、ちょっとだけ自分は立腹しているからだ。

横浜の中華街を散歩したときに、「統一麺」なる即席麺を買った。税込み105円の代物だ。中国本土と台湾の統一を願いつつ、心を躍らせながら作ってみることにした。

まずは鍋でお湯を沸かしながら、袋の裏に書かれた「作り方」を読む。すべて中国語で書かれたパッケージの上から、日本語で書かれた説明書きがシールで貼られている。鍋にかけられたお湯がポコポコと音を立てるのを聞きながらシールの説明書きを読んだ自分は、思わず固まった。

「容器に麺を入れ、沸騰してお湯を注ぎ、ふたをして3分間程で他の容器にお湯を入れ、お湯にスープ調味料を加え、麺にソース調味料を加え、出来上がります」

一言一句忠実に書き写したので、おかしいと思う部分があっても、それは自分のタイプミスではない。どうですか? この文章であなたはちゃんと「統一麺」を作り上げる自信がありますか?

まず「沸騰してお湯を注ぎ」という部分がおかしい。これはどう考えても「沸騰したお湯を注ぎ」であるべきだろう。まあこれは単純なミスだとしても、次の「ふたをして3分間程で他の容器にお湯を入れ、お湯にスープ調味料を加え」という文章はどう解釈すべきか。「お湯にスープ調味料を」という「お湯」は、果たしてどのお湯を指しているのか。最初に麺を入れた容器のお湯のことを指しているのか、それとも後から他の容器に入れたお湯のことを指しているのか、判然としない。

最後の「麺にソース調味料を加え、出来上がります」という文章も明らかに矛盾している。「麺にソース調味料を加え」たという文章の主語は、当然その行為をなした自分であるのにも関わらず、「出来上がります」という自動詞で締めくくられると、いつの間にか「統一麺」が主語にすりかわってしまうことになる。あと、細かいことだが、「3分間程で」という部分は「3分間ほどで」と表記したい。

とにかく、この文章を何度読んでも、統一麺のでき上がりの姿がまったくと言っていいほど頭に浮かんでこないのだ。

あれこれ考えた結果、自分の脳が出した解答は「焼きソバ」だった。自分の思考回路は理解不能なことにでくわすと、突然あらぬ方向に飛んでしまう傾向がある。なぜに焼きソバなのか、今冷静に考えてみるとよくわからない。とにかくその焼きソバを食べたときに思ったのは、「間違いなく焼きソバは間違いだった」ということだ。

この文章を書いた翻訳者に問い正したい。あなたは一度でもこの統一麺を作ったことがあるのかと。おそらく適当に辞書を引きながら、縦のものを横にするくらいの感覚で訳したのに違いない。実際に作ったことがあれば、こんなにひどい文章にはならないはずだ。一応自分も翻訳者のはしくれとして、こういう適当な仕事をして平気で金をもらっている人間には激しく憤りを感じる。正しい文章を書くことがまずは最低条件で、さらに読み手の側に立って読みやすい文章を書くことこそが翻訳者の仕事であるべきだと思うのだが、どうだろうか。

で、結局のところ、どうすればこの統一麺を正しく作ることができるのだろう。統一麺の正しい作り方を知っている方がいたら、是非教えてください。



03/11/09

選挙に行ってきた。

お昼少し前に行ったのだが、投票所の前には行列ができていた。市議会選挙や県議会選挙などのときには間違っても列などできないのだが、さすがに国政選挙ともなると有権者の関心度が違う。ラーメン屋の行列には絶対に並ばない自分だが、今日はおとなしく並んで投票してきた。偉いぞ、自分。

しかし今回の選挙ほど、どの候補者に投票すべきか迷った選挙はない。とりあえず4人の候補者のうち「そのうら健太郎」氏か「田中甲」氏のふたりに絞っていたのだが、そのふたりのキャッチコピーが激しく素敵なのだ。

そのうら健太郎氏のキャッチコピーが「やったろー! ケンタロー!」で、田中甲氏のキャッチコピーが「こう! と決めたら田中甲」である。素敵すぎて思わず腰が砕ける。おふたりには悪いが、どちらにも投票したくない。もし自分が立候補するとしたら、もう少しましなコピーにしたい。「新吾でゴー!」とか、「新鮮新吾」とか。え? もっとダメ?

で、選挙のついでに最高裁裁判官の国民審査の用紙も渡されるのだが、自分はいつもこの用紙は断ることにしている。顔も名前も知らない裁判官をどうやって審査しろと言うのだ。審査してもらいたかったら、もっと有権者に裁判官たちの情報を提供すべきだろう。最高裁のサイトを覗いても、なんだかよくわからない。別に詳しい経歴とかは知りたくない。ご大層な経歴をつらつらと並べられたところで、一般庶民の自分なんかにはさっぱり理解できない。そんなご大層な経歴なんて要らない。顔写真の横に自作のキャッチコピーを一言添えるだけでいい。

濱田邦夫氏だったら、「邦夫が国を変えます!」とか、泉徳治氏だったら、「得だね♪徳治」とか、そんなレベルで充分だ。これなら、「頼もしいな、邦夫」とか、「お茶目な徳治♪」なんて感じで、有権者との距離がグッと近くなる。くだらないオヤジギャグは政治家だけの特権ではない。最高裁裁判官も、もっとはじけていいと思う。

ってことで、「お得な徳治」に一票。



03/11/01

自分はコンビニで買い物をすることはほとんどない。
たまにおにぎりやベビースターラーメンを買うくらいだ。なぜベビースターラーメンなのかって? そりゃ好きだからさ。大人がベビースターラーメンを食べたっていいじゃないか。大人だってベビースターラーメンくらいは食べるし、ガリガリ君だって食べるさ。

その他にコンビニを利用するのは、マンガを立ち読みするときだ。少年マガジンの「はじめの一歩」と、少年サンデーの「MAJOR」は毎週欠かさず読んでいる。一歩はついに宮田一郎とのタイトルマッチが決まったし、吾郎はいよいよメジャーリーグに挑戦するしで、どちらも目が離せない。

しかし、良識ある大人として、立ち読みだけして店を出るというのもいささか気がひけるので、一応店内を一通り見て歩くことも忘れない。お弁当コーナーの前に立って、あれこれと弁当を選ぶふりをして、ちょっと首を傾げたりして店を出る。「買う意思はあるんだけど、自分の好みにあわないから今回は何も買わずに出るだけだからね。決して立ち読みするためだけに入ったわけじゃないからね」という無言のアピールをするわけだ。

ほとんどの場合、店員さんは無言で見送るだけなのだが、たまに明るい声で「どうもありがとうございました」と言われることがある。これは困る。すごく困る。本当に困る。小心者の自分としては、激しく罪悪感を覚えてしまうのだ。「もうこの店で立ち読みはできないな。この店にはもう絶対に入らないぞ」なんて思ってしまう。

とか言いながら、今日立ち読みをしに入った店で明るく「いらっしゃいませ」と声をかけられて、以前に「ありがとうございました」と声をかけられた店だったことを思い出した。

困ったな。このまま店を出たらまた明るく「ありがとうございました」って言われるんだろうな。何も買ってないのに「ありがとうございました」なんてお礼を言われるのはすごく困る。何か買わないといけないな。でも昼飯を食べたばかりで腹いっぱいだしな。

散々迷ったあげく、58円(税込60円)のベビースターラーメンを1袋買った。腹はいっぱいだったが、「ありがとうございました」という声を聞いたときには、なんとも言えない充実感があった。ちょっとだけ胸がいっぱいになった。

こんな小心者の自分がほんの少しだけ悲しい。



03/10/26

今度の衆議院選挙のテーマは「マニフェスト選挙」らしい。

なんだよ、マニフェストって。フェミニストみたいなものか? 女性に優しい選挙ってことか? 女性に優しくしてもかまわないが、自分みたいな横文字嫌いの人間にも優しくしてくれ。

自分の記憶が正しければ、「マニフェスト」という言葉を最初に使ったのは民主党である。「スカした横文字を使えば、無党派層の若者の支持を得られるはず」なんていう下心がみえみえだ。「ちょっとイカしたダイニングバーがあるんだけど、今度一緒にどう?」なんて言いながら若い女子を誘う脂ぎったオヤジみたいな感じで、なんともいやらしい。実際に「イカしたダイニングバー」に行ってみたら、思い切り「養老の滝」や「つぼ八」だったというオチがつきそうだ。

日本人でありながら、なぜわかりにくい英語をわざわざ使うのか。こんなもの「政権公約」で充分じゃないか。こっちの方が何倍も何十倍もわかりやすい。大体「マニフェスト」」と言われてピンとくる日本人なんてどれくらいいるのか、はなはだ疑問だ。それに対して「政権公約」と言われて、「なんですかそれ?食べられるんですか? ポン酢で食べたら美味いのかな?」なんていう日本人はまずいない。選挙権を持っていながらそんなことをのたまう輩がいたとしたら、そいつの選挙権なんて剥奪してやりたい。

日本人だったら、ちゃんとした日本語を使うべきだ。言葉の雰囲気だけで安易に横文字を使うべきではない。自分も一応日々英語に接する仕事をしているが、安易に横文字に流されるほど愚かなことはないと思っている。本当に日本語は美しい言語だと思う。日本人として、この美しい言語を持てたことにもっと誇りを持つべきだ。

雰囲気だけで安易に横文字を使ってしまう政治家たちは本当におめでたい。それに乗っかって「マニフェスト」というわけのわからない横文字を垂れ流すメディアもおめでたい。

めでた過ぎて、盆と正月が一緒に来て、ヘソが茶を沸かしてしまう。



03/10/18

ちょっと前の話になるが、日本産最後のトキである「キン」が死んでしまった。

日本人として淋しいのはもちろんだが、佐渡を故郷に持つ人間として、佐渡人のアイデンティティがまた一つ減ってしまったことも淋しい。金山も閉山になって久しいし、この上トキもいなくなってしまっては、佐渡人として何にアイデンティティを求めればいいのか。あとは佐渡おけさくらいしかない。自分は踊りは苦手だが、今更ながらおけさを練習しようかと思ったりもする。

キンの享年は推定36歳だそうだ。そうか、自分と同級生だったのか。人間の年齢に換算すると、優に100歳を超えている年齢だそうだ。凄いな。「キン」という名前は、人間も鳥も長生きできる名前のようだ。自分も長寿を祈って「新吾」から「金吾」に改名しようか。「永橋金吾」。なんだか時代がかった名前だな。あんまりモテそうにない名前だ。還暦を過ぎたら考えることにしよう。

キンの死因はてっきり老齢による衰弱死だと思っていたのだが、実のところ、飛び立とうとして頭を打ったために死んだらしい。たとえいくら年老いても、籠の中で自由を奪われたとしても、やはり鳥は鳥なんだな。最期くらいは大空に向かって飛び立ちたかったんだろうな。なんとも泣かせるじゃないか。いい歳をして何をおセンチなことを言ってるんだと笑われそうだけど、ちょっとだけグッと来た。「死ぬときにはたとえドブの中でも前のめりに死にたい」という名台詞を思い出してしまった。

でも、自分は前のめりに死ぬのは嫌だな。石ころにつまずいて頭を打って死んでしまったみたいな感じで、はなはだカッコ悪い。まあこれが仰向けだったとしても、バナナの皮に足を滑らせて頭を打って死んでしまったみたいな感じで、カッコ悪いことには変わりないが、最期に見た景色が地面というのはやっぱり淋しい。地面から這い出してくるミミズやモグラを見ながら死んでいくのはたまらなく淋しい。せめて死ぬときくらいは、空を仰いで安らかに逝きたい。

息を引き取る最期の瞬間に、キンは空を見ることが出来たのだろうか。籠の中からいつも見上げていた大きな空を。



03/10/11

残業大嫌い人間の自分は、毎日きっちりと17:30に仕事を終えて帰途につく。毎日同じ電車に乗ることになるので、自然といつも顔を会わせるメンバーができてくる。その中の一人に、駅のホームを杖で探りながら歩く、目の不自由なおじさんがいる。歩くスピードこそ多少遅いものの、なかなか器用に歩く姿を見ながら、今日も一日お疲れさまでした、と心の中で声をかけるのが日課となっている。

ホームを歩くほとんどの人は、自分と同じようにおじさんの邪魔にならないようにさり気なく追い越していくのだが、中には「大丈夫ですか?」なんて声をかけながら手を貸そうとするおせっかいな人もいる。声をかけるだけならばまだしも、いきなり背後から腰を抱きかかえるようにして声をかける人もいたりする。

まったく、大丈夫に決まってるじゃないか。大丈夫だからこそ一人で歩いているのだ。いきなり腰を抱きかかえられたりしたら、かえって危ないし迷惑だろう。少なくとも、自分がおじさんの立場だったら迷惑に思うだろう。こういう人たちは、純粋に親切のつもりで声をかけているのだろうが、ちょっと間違ってるんじゃないだろうか。そう思うのは自分だけだろうか。

病院でお年寄りに「おじいちゃん、大丈夫ですか?」なんて、まるで小さな子供に対するような口調で話しかける若い看護士さんにも、同じような無意識の偽善を感じる。自分の何倍もの人生経験を積んでいる大先輩に対して、こんな口の利き方はないだろう。失礼以外の何者でもない。

もちろん、こういう人たちには全く悪気はないのだろう。しかし、身障者やお年寄りを社会的弱者と見なして、無意識のうちに相手を見下ろしている部分がないとは言えないと思う。身障者には身障者のプライドがあるし、お年寄りにはお年寄りのプライドがある。人間、どんな場合でもプライドをなくしたらおしまいだ。そのプライドを奪うような接し方をするのは、たとえ親切心からとは言え、見ていてあまり快いものではない。

なんつって。ちょっと偉そうなことを書いてしまった。人のふり見て我がふりも直さなければいかん、という自戒の意味を込めて書いてみた。

それにしても、すっかり秋だねえ。人恋しい季節だ。



03/10/05

作者取材のため、今週の覚書は休載します。ご了承ください。

なんつって。今週末は色々とあってネタを作るヒマがなかっただけのことなんだけど。来週からはちゃんと書きます。すまん。

このサイトも開設以来ちょうど3年が経ち、アクセス数も10万件を超えました。開設当初はこんなに続くとは思っていなかったし、こんなにアクセスしてもらえるとも思っていませんでした。これもみなさんのおかげです。多謝。

これからもよろしくお願いします。



03/09/28

散歩中に通りかかった工事現場に、こんな看板がたっていた。

「5S運動実施中。整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」

いきなり「しつけ」ときた。あまりのいきなり加減に思わず足を止めてしまった。
この現場では作業員に、「お手」だの「お座り」だの「ちんちん」だのをさせるんだろうか。いい歳をして「ちんちん」は嫌だな。こんなちんちんな現場では絶対に働きたくない。

大体、この5Sのセンスがいまいちだ。整理と整頓はどこがどう違うのかよくわからないし、清掃と清潔も微妙にかぶっている。この4つは全て漢字で「せ」で始まるのに、オチがいきなり「しつけ」ではあまりにも唐突だ。もっといただけないのが、何のストーリー性もないところだ。読む人の心に深く染み入るような、強烈なストーリーが欲しい。自分なら「さしすせそ」で攻めるな。

「5S運動実施中。さりげなく・しずかに・すずしげに・せつなげに・そしてだれもいなくなる」

さりげなく出勤して静かに涼しげに作業をする。ときおり切なげに空を見上げて、故郷の両親を思いながら深いため息をつく。そしてひっそりと現場を後にし、気づいたときには誰もいない。なんとも素敵な現場だ。こんなに素敵な現場だったら、自分も働きたい。

料理の基本はさしすせそ。
工事の基本もさしすせそ。

今年の秋は、さりげなく静かに涼しげに、そしていくらか切なげに過ごしたい。



03/09/21

台風15号が関東地方に接近中だ。ちょっと油断しているうちにもう15号か。松井のホームランとほぼ同じペースだ。頑張れ松井。台風なんかに負けるな。

海の向こうの国では、台風に人の名前を付けるのがブームらしい。いや、ブームってわけじゃないのだろうが、それしてもちょっとだけ楽しそうだ。そこで自分も、こんな名前の台風だったら楽しいかも、と思えるような名前をいくつか考えてみた。

台風カメイ
地方のインフラを集中的に攻めて、政府の財政出動を強引に引き出す台風。「景気回復には公共事業への財政支出が不可欠です」と叫びながら日本列島を破壊する。
時代遅れマッチポンプ型台風。

台風フジイ
いつ上陸したのか、いつ抜けたのか、誰にも気づかれない淋しい台風。
「お前だれだよ?」型台風。

台風コイズミ
新幹線や高速道路の建設予定地をピンポイントで攻撃する台風。もうこれ以上道路族議員の勝手は許さない。
構造改革断行型台風。

台風イシハラ
日本列島に上陸するかと思いきや、一直線に北朝鮮を目指す台風。
「思想は思い切り右寄りだけど進路はわき目もふらず一直線」型台風。

総裁選は小泉氏の圧勝で終わった。小泉ファンの自分としては素直に嬉しい。政治や経済の難しい話なんかさっぱりわからないが、政治家は見た目も重要だ。下品な顔の亀井氏が総裁になるよりは、カッコ良い小泉氏が総裁でいてくれる方が嬉しい。亀井氏が日本のリーダーだったら、日本人としてちょっと恥ずかしい。

ミーハーな意見ですまん。



03/09/13

世界陸上が終わった今、世界柔道が熱い。柔道経験者の自分は、毎日テレビの前で熱い声援を送っている。

それにしても、井上康生は強い。本当に強い。その圧倒的な強さは、国民栄誉賞の山下泰裕以来ではないだろうか。もしかしたら、自分より強いかもしれない。このたった2行の文章の中で5回も「強い」と書いてしまうくらいに強い。

しかし、メイン司会の加藤晴彦は要らんなあ。世界陸上のときの織田裕二も要らんと思ったが、あのテンションの高さと妙な存在感には、それなりに見るべきものがあった。それに比べて加藤晴彦の影の薄さはいかんともしがたい。喋りも下手だし、外見も軟弱だしで最悪だ。加藤君が画面に映るたびに、それまで高まっていたテンションが一気に下がる。なぜこんな素人をメインに据えたのか、フジテレビの意図が理解できない。

ついでに言えば、藤原紀香も要らない。彼女は格闘技が大好きらしく、K-1の中継でもすっかりおなじみになっているが、そもそも格闘技に女子は要らない。殺伐とした格闘技には安っぽいショーアップなど邪魔なだけだ。格闘技の世界は誰が何と言おうと、選び抜かれた屈強な男たちだけの世界なのだ。じゃあ女子柔道はどうなのさ、という突っ込みが入りそうだが、女子柔道は健全なスポーツだ。決して、それ以上でもそれ以下でもない。

そういう意味において、大相撲は偉い。神聖な土俵に女子は決して上げない、という頑迷さは正しい。この姿勢はこれからも絶対に崩してはいけない。

トップレベルの格闘家は、我々一般ピープルとはまったく異なる人種なのだ。そういう選ばれた人たちの価値を、安っぽい演出で下げてはいけない。格闘技素人の芸能人を無神経に出演させるテレビ局には、必殺の背負い投げをお見舞いしたい。



03/09/07

ファミリーレストランで日替わりランチを食べていたときのこと。

自分の隣のテーブルに家族連れが座ってメニューを開いた。小学1〜2年生くらいの男の子が、「ボクはね、おこさまランチ!」と言うのを聞いて、激しく違和感を覚えた。子供が「おこさまランチ」って言うのはどうなのよ? これを自分に置き換えた場合、「俺はね、俺様ランチ!」ってことになるわけだ。小心者の自分としては、ちょっと恥ずかしくて頼めないな。こんなもの、「こどもランチ」で充分だ。

その後、近所の西友で買い物をしていたら、迷子を知らせるアナウンスが店内に流れた。
「白のTシャツに紺の半ズボンをお召しになられた、○○くんとおっしゃる5歳のおぼっちゃまが迷子になっておられます」
どうよ、これ? こういうのを「バカ丁寧」と言うのだ。西友で迷子になる男の子なんて、おぼっちゃまどころか、どうせ青っ洟を垂らしたやんちゃ坊主に決まってる。大体、おぼっちゃまは行徳の西友なんかに来てはいけない。せめて銀座の松坂屋あたりで迷子になってくれ。こんなもの、「小汚い格好をして青っ洟を垂らした、頭の悪そうな男の子」で充分だ。

「おこさま」にしろ「おぼっちゃま」にしろ、いくら大事なお客さまとは言え、そこまで子供に媚びる必要はない。誰が何と言おうと、大人の方が子供よりも絶対に偉いのだ。

親に媚びる必要もさらさらない。
自分の子供が、「おこさま」や「おぼっちゃま」だと信じているようなイタイ親は、そもそもファミリーレストランやスーパーなんかに来てはいけないのだ。と言うか、そういう場所で自分の子供を「おこさま」とか「おぼっちゃま」と呼ばれる親の方こそ、恥ずかしくていたたまれないだろう。

なんでもかんでもバカ丁寧な言葉遣いをすれば良いと勘違いしている店の方こそ、よっぽどイタイ。



03/08/30

末続慎吾がやってくれた。

朝(というより夜中か)目を覚ましてテレビをつけると、ちょうど200m競技が始まるところだったので、リアルタイムで見ることができた。織田裕二と中井美穂の勘違いコンビの司会ぶりには閉口したが、末続の走りには感動した。

高野進が400mのファイナルに進出した91年の世界陸上と翌年のバルセロナ五輪のときも感動したが、今回はただのファイナル進出とはわけがちがう。世界のトップを相手に堂々のメダルだ。全盛期を過ぎたとは言え、ビッグネームのフランキー・フレデリクスをちぎっての走りは圧巻だった。フランキー堺ではない、フランキー・フレデリクスだ。本当に凄い。どれくらい凄いかと言うと、世界選手権の200m競技で日本人選手が銅メダルを獲るのと同じくらいに凄いことだ。

何を隠そう、自分は陸上競技にはちとうるさい。今まで誰にも話したことがなかったが、高校生のときに体育の授業で2種目を制覇したことがあるのだ。世界選手権の銅メダルに比べたらなんともしょぼいが、素人としたらなかなかのものだと思う。当時の授業は2クラス合同で行われたのだが、見事に400mと1500mのタイムトライアルで2種目とも完全制覇したのだ。いまだにちょっとだけ自慢だ。

タイムは、400mが80秒フラット、1500mが6分を大きくオーバーするという堂々の記録だった。

すまん、2種目とも思い切りビリでした。走るのは今も昔も大の苦手だ。だってさ、疲れるじゃん。

良く頑張った、末続慎吾。
もちっと頑張れ、永橋新吾。



8がつ 23にち はれ

火星が6万年ぶりに地きゅうに大せっきんするそうです。

6万年まえ、ぼくはなにをしていたのかなあとかんがえてみましたが、思いだせませんでした。それくらいむかしのことなんだと思います。けんたくんは、火星には8本あしの火星人がいるんだと言っていますが、2年生にもなってまだそんなことをしんじているなんて、ほんとうにこまりものです。力はつよいけど、あたまのほうはいまいちです。でも、火星人なんていないと言うといじめられるので、ほんとうのことは言えません。

それにしても、ひこ星さまとおりひめさまだって1年に1回しか会えないのに、火星と地きゅうは6万年に1回しか会えません。すごくしんぼうづよいと思います。きのうのばんごはんのときにぼくがそう言うと、おもしろいことをかんがえるんだなあ、と言ってお父さんがわらいました。お母さんも、へんなことをかんがえる子ねえ、と言ってわらいました。

なんだかぼくはくやしくなって、どうしてお父さんとお母さんはまいにち会えるのになかがわるいの? ひこ星さまや火星さんがかわいそうだと思わないの? とききました。そうしたら、お父さんもお母さんもだまってしまいました。

よなかにトイレにおきると、お父さんとお母さんがリビングでなにかはなしをしていました。なにをはなしていたのかはわからなかったけど、けさおきたら、お父さんとお母さんがわらいながらはなしをしていました。ようやくなかなおりをしたみたいで、ぼくはうれしくなりました。どうしてなかなおりをしたのか、ぼくにはよくわからないけど、きっと火星さんのおかげだと思います。火星さん、どうもありがとう。

もうすぐ2がっきがはじまります。
こんどけんたくんに会ったら、火星人なんていないんだよと、ゆう気をだして言うつもりです。もしいじめられても、こんどはぜったいにお金はあげません。

ぼくはつよくなります。



8がつ 17にち 雨

きょうもまた雨でした。

さいきん雨ばかりでいやになります。せっかくのなつ休みなのに、さむくてプールにもいけません。きたじまこうすけせんしゅをめざして平およぎのれんしゅうをはじめたばかりなのに、まだ犬かきしかできません。いきなりぴんちです。でも、外こくではあつい日がつづいて、死んでしまう人もたくさんいるそうです。ことしは世界てきにいじょうきしょうだとテレビでいっていました。

どうしていじょうきしょうなの? とお父さんにきくと、えるにーにょのせいだよ、とおしえてくれました。えるにーにょってなに? とぼくがきくと、うーんといったきり、お父さんはだまってしまいました。お父さんはもの知りなようで、あまりもの知りではありません。だからしゅっせしないんだと、このまえお母さんがいっていました。お母さんのどくぜつにもまいります。

お母さんにきくと、えるにーにょっていうのは、とっても大きくてつよくてこわいものなんだとおしえてくれました。えるにーにょのきぶんしだいで、ずっと雨をふらせることもできるし、人が死んでしまうくらいにあつくすることもできるんだそうです。ぼくは、えるにーにょってすごくこわいなあとおもいました。おなじクラスのけんたくんもこわいけど、お金をあげればいじめられないのでまだましです。

お父さんとお母さんはずっとなかがわるいまんまです。ぼくのおこづかいもけんたくんにあげてしまって、アイスもかえません。それもこれも、きっとえるにーにょのせいなんだとおもいます。えるにーにょなんてだいきらいです。

あ、よびすてにするからよけいにおこるのかな。

えるにーにょさん、ごめんなさい。でも、だいきらいです。



8がつ とおか はれ

きょうはとてもあつい一日でした。

たい風一家のつぎの日はあつくなることが多いと、テレビで言っていました。たい風にも家ぞくがいるなんて知りませんでした。ぼくはまだまだ子供なので、知らないことがたくさんあります。

でも、どうしてたい風はきゅうにまがるのかとてもふしぎです。そのまままっすぐにすすんで、日本にじょうりくなんてしなければいいのにと、いつも思います。テレビの天気ずを見ていたら、このまえお父さんにゴルフのれんしゅう場につれていってもらったことを思い出しました。お父さんのうったボールは大きく右にまがってばかりで、天気ずのたい風とおんなじでした。

ぼくが、わざとまげてるの? ときくと、はなをふくらませながら、あたりまえじゃないか、とお父さんはいいました。でもぼくはうそだと思いました。お父さんがうそをつくときには、はながふくらむんだとお母さんがいっていたからです。

このまえお父さんのワイシャツにくちべにがついていたとき、これはどうしたの? とお母さんがきくと、でんしゃの中でつけられたんだよ、というお父さんのはながふくらんでいたそうです。そういうお母さんはとてもおこっていました。ぼくはまだまだ子供なので、どうしてお母さんがおこるのか、よくわかりませんでした。

きっとたい風一家のお父さんも、ゴルフがすきなんだと思います。でも、ぼくのお父さんとおなじようにあまりうまくないので、ときどき大きくまがってしまうんだと思います。

たい風一家のお父さん、いっしょうけんめいにれんしゅうして、まっすぐにすすめるようにがんばってください。たい風一家のお母さんともなかよくしてください。

ぼくのお父さんとお母さんもなかよくなりますように。



03/08/03

ようやく暑くなったと思ったら、暑中お見舞い申し上げる暇もなく、いきなり残暑お見舞い申し上げる時期になってしまったざんしょ。

夏と言えば何はともあれビールざんしょ。自分の場合は夏と言わず冬と言わず一年中ビールなのだが、やっぱり暑い時期のビールは格別だ。つまみは枝豆や冷奴あたりが定番だが、ほんのひと手間かけてオリジナルのつまみで一杯やるのもオツなものだ。今回は、自分の膨大なレシピの中から、手軽に出来る夏向きのつまみをいくつか紹介してみたい。

その壱 カブの酢漬け
葉付きのカブを適当にザク切りにしてタッパーに入れ、上から酢と醤油を適当にかけて、一晩冷蔵庫で寝かす。これだけ。酸味が利いてビールに良く合う。一週間以上は優にもつので、作りおきしてもオッケー。

その弐 カイワレ大根の辛子明太子和え
カイワレ大根の根元を切り落とし2等分に切って、ほぐした辛子明太子を和える。これだけ。カイワレの辛味と明太子の辛味とが微妙にマッチして美味い。明太子の代わりに海苔の佃煮を和えても美味い。

その参 油揚げのシラス詰め焼き
熱湯で油抜きをした油揚げに、シラス干しと長ネギを小口切りにしたものを詰めて、コンロで焦げ目がつくくらいに軽く炙る。これだけ。油揚げのサクサク感とネギのシャキシャキ感に、シラスの塩味が絡んで美味い。中身を色々とアレンジしてみるのも一興。

あと、ビールにレモン果汁を数滴たらすと、清涼感が増してこれまた美味い。ポッカレモンよりもサンキストレモンの方がビールには合う。是非お試しあれ。



03/07/27

今年の夏はいきなり涼しい。
考えてみたら、今年はまだ一度も部屋の冷房を入れていない。

ようやく梅雨は明けたようだが、この不順な天候はちょうど10年前の夏を思い出させる。気象庁が一度は梅雨明けを宣言しておきながら、後から「梅雨明け時期は特定できず」と撤回した93年の夏のことだ。この年は米が大不作で、タイ米やらカリフォルニア米などの外米が大量に輸入された年だった。このときは改めて国産米の美味さを実感したものだ。果たして今年は大丈夫なんだろうか。

この世において、揺るがせにできない法則というものは確実に存在する。
夏は暑く、冬は寒くあるべきだ。父親は厳しく、母親は優しくあるべきだ。そして、ノリ弁の調味料はソースではなく醤油であるべきだ。いや、突然で申し訳ない。昼に食べたノリ弁にソースしか入っていなかったので、ちょっとばかり機嫌が悪いのだ。

なんだかやけに粘り気のある醤油だなあ、と思ったときにはもう遅かった。慌てていつも携帯している弁当用醤油差しでソースの上から醤油をかけて食べたのだが、見事に奇妙な味になってしまった。まったく、ノリ弁にソースを入れる人間の味覚を自分は疑う。あんたらは味付け海苔にもソースをつけて食べるんかい、と。「いや、それは白身魚のフライ用のソースであって、決して海苔のためのソースでは」なんていう言い訳は却下だ。海苔にソースという構図だけで、それはもう海苔に対する冒涜なのだ。

「ノリ弁にはソースが一番でごわす」とか、「ノリ弁に醤油って、なんか変だしー」とか言っている味覚オンチの人たちとは断固として闘っていきたい。誰がなんと言おうと、夏は暑く、父親は厳しく、そしてノリ弁は醤油であるべきなのだ。オラァ、文句のあるヤツはかかってこんかい!

いや、冗談だからね。本気にしてかかってこないでね。



03/07/19

地元の西友でレジの行列に並んでいると、自分の前に立ったおばさんが財布から二枚の二千円札を取り出して精算した。おお、幻の二千円札。

はっきり言って、その瞬間まで二千円札がこの世に存在することすら忘れていた。それくらい久しぶりの遭遇だ。たしか以前に二千円札をネタにして覚書を書いたことがあったはず、と思って探してみると、01/01/20の覚書がそれだった。ってことは、実に二年半ぶりの遭遇ということになる。しかも「手にした」のではなく、「目にした」だけである。いかに二千円札が流通していないか、この事実だけでも容易にわかろうってもんだ。あなたが一番最近二千円札に遭遇したのはいつですか?

二千円札を使えるハードが圧倒的に少ないことが一番の要因だろうが、使い勝手が良くないことも大きな要因だろう。千円札と五千円札があれば、わざわざ二千円札なんて使う必要はない。もしも自分が新札を発行するとしたら、もっと使い勝手の良いお札を発行するだろう。とりあえずは以下の3種類の新札を発行したい。

その壱 280円札
吉野家で並を食べるときに便利。お札の肖像画はもちろん牛。

その弐 451円札
ほっかほっか亭のから揚げ弁当を買うときに便利。肖像画はもちろん鶏。

その参 680円札
近所のトンカツ屋「しのざき」でヒレカツ定食を食べるときに便利。肖像画はもちろん豚。

って、自分の貧しい食生活を暴露してどうする。
でも、行徳駅前通りにあるトンカツ専門店「「しのざき」は、安くてボリュームもあって美味いっす。



03/07/12

阿部美穂子が結婚するらしい。
実は密かにファンだったりする。あの、のほほんとした笑顔が何とも言えず素敵だ。

相手は韓国のサッカー選手だということだ。なんでもNHKの「ハングル語講座」で阿部ちゃんがその選手にインタビューをしたことがきっかけらしい。なるほど、モテモテのキーワードは、「サッカー」と「ハングル語」ってことだな。今からサッカーを始めるのは体力的に無理があるが、ハングル語だったら何とかなるかも知れない。「モテモテになりますように」なんて書いた短冊を笹の葉に吊るすだけじゃダメだ。何事も受身ではいけない。自ら積極的にアクションを起こしてこそ、モテモテへの道も拓かれる。ということで、早速近所の書店でハングル語のテキストを開いてみたムニダ。

難しい。さっぱりわからん。何よりも視覚的に拒否反応を起こしてしまう。あの、釘の折れ曲がったような独特の書体にはどうしてもなじめない。なじめなさに関しては、アラビア語と良い勝負だ。こんなに難しい文字を読み書きできるなんて凄いな。モテモテなのも当たり前か。適当に「ムニダ」を語尾につければ良いのかと思っていた自分が甘かったムニダ。

仕方ない。老骨にムチ打ってサッカーを始めるか。でもまずは何から始めれば良いんだろう?やっぱりリフティングから?それともいきなりバナナシュートから?

サッカーの得意なそこのあなた、是非とも自分にサッカーを教えてくださいムニダ。



03/07/05

季節は巡る。今年も七夕がやってきた。

駅の改札に笹の葉が飾られていた。色とりどりの短冊に書かれた願いごとを見るのが楽しい。下手な字で書かれた子供たちの願いごとを見るのが特に楽しい。なにしろ子供だから嘘がない。思ったことをそのまま書いているのが良い。しかし、自分勝手な願い事が思い通りに叶うほど世の中は甘くない。ここはひとつ、彦星さまに代わって子供たちの無邪気な願いごとに厳しい突っ込みを入れてみたい。

「レギュラーのじつりょくをもった準レギュラーになりたい」
まわりくどいことを言わずに、素直にレギュラーを目指しなさい。

「ヒーローになりたい」
無理だと思うぞ。

「天使になりたい」
よけいに無理だと思うぞ。

「おとうととなかよくなれますように  さとうたくや」
そう、兄弟は仲良くなければいかん。

「おにいちゃんとなかよくなれますように  さとうとしや」
そうそう、兄弟は仲良くなければいかん、って、こんなことを短冊に書く暇があったら、兄弟同士で話し合わんかい!

しかし、一方的に突っ込んでばかりでは「そう言うあんたはどうなのさ」と逆に突っ込まれてしまいそうだ。子供たちに見本を示すべく、自分も何十年かぶりで短冊に願い事を書いて笹の葉に吊るしてみた。

「モテモテになりますように」

子供たちよ、願いごとはかくあるべきだ。



03/06/28

各駅停車の先頭車両に乗って快速電車の通過待ちをしていると、ホームに下りた運転手さんが何やら体を動かしているのが目に入った。指差し確認でもしているのかと思って良く見てみると、剣道の素振りをしていた。もちろん竹刀は持っていなかったから、素振りというよりは「シャドー素振り」と言った方が正確かもしれない。それにしても素敵だ。駅のホームで素振りをするのは、何もゴルフクラブに見立てた傘だけじゃないってことだ。

こういう動作は、自分でも意識しないうちに出てしまうものなのだろう。自分も高校時代に柔道をやっていたからよくわかる。いまだに電車の吊り革をつかむと思わず右自然体に構えてしまうし、正座をするときには左足から座り右足から立ち上がるという「左座右起」のルールを守ってしまうし、夏はノーパンで過ごしてしまう。

いや、最後のノーパンで過ごすというのはもちろん冗談だが、現役の頃は本当にノーパンで練習していた。これには蒸れるのを防ぐという衛生上の目的の他に、男子の大事な部分を守るという安全上の目的もあるのだ。

パンツを穿いていると、内股をかけられたときにパンツによって固定された大事な部分が逃げ場を失って、相手の脚に直撃されてしまう危険性があるのだ。これがノーパンならば、解き放たれた大事な部分が自由に動き回り、内股をかけられても遠心力が働いてうまい具合に直撃を避けることができるというわけだ。大事な部分にキズでもつけられたらたまったもんじゃない。しかし、いくら汗臭い野郎同士で練習するとは言え、高校時代というのは何かと多感な時期だ。パンツを脱いで練習するというのがわけもなく恥ずかしかった。

心身を鍛える上で、柔道は素晴らしいスポーツだと思う。しかし、このノーパンというのが玉にキズである。

ぷ。我ながらうまいな。座布団3枚くれ。



03/06/22

料理番組を見るのが好きだ。
別にそれを見て自分の料理のレパートリーを増やそうというわけではなく、単純に料理ができていく過程を見るのが楽しい。しかし、以前からずっと気になっていることがある。

「肉を漬け汁に漬け込んで冷蔵庫で1時間ほど寝かせます」と言ったあとすぐに、「こちらが1時間寝かせたお肉です」と言って新たな肉を取り出したり、「材料を入れて弱火で30分ほど煮込みます」と言ったあとすぐに、「こちらが30分煮込んだものです」と言って新たな鍋を取り出したりする、いわゆる「タイムマシン処理」である。(命名 by 永橋)

これをやられると、あの肉は冷蔵庫の中で忘れ去られたままになるんじゃないのか、とか、あの鍋は生煮えのまま放置されるんじゃないのか、などと気になって仕方ない。きっと番組スタッフのお腹の中できちんと消化されるのだとは思うが、やはり気になる。貧乏人の悲しい性だ。こうした過程を2時間くらいの番組枠を取ってノーカットで放送する勇気ある放送局はないものか。

とは言っても、「梅干の作り方」なんていうのは当然ノーカットでは放送できない。そういう場合には、ビデオやDVDなどのメディアで発売したらどうだろう。「NHK今日の料理特別編集 ”美味しい梅干の漬け方” ディレクターズカット版 DVD全10巻」てな具合に。塩にまぶされた梅が静かに着実に漬かっていく様子を克明に記録したドキュメンタリーだ。日本全国一気に梅干ブームが到来すること間違いなしである。ひょっとしたら、「美味しい梅干の漬け方 ザ・ムービー」(監督:大島渚 主演:小林カツ代)なんてことになるかも知れない。

いや、そんな映画なんて観たくはないが。



03/06/15

パソコンを新しく買い換えた。

3年3ヶ月前に買った富士通のFMVは最初からトラブル続きで、電源が入らなかったり、キーボードが利かなくなったりで、これまでに4回修理に出している。最近は電源を落としてもまともに切れてくれなくなり、そろそろディスクをフォーマットし直さないといかんな、と思っていた矢先にディスプレイが壊れてしまった。画面がちらついてディスプレイの用を成さなくなったのだ。
もうこれ以上できの悪いパソコンに金を使うのも業腹なので、思い切って買い換えたというわけだ。ちくしょー、まだ減価償却し切ってないのにな。

と言うことで、IBMのThinkPadを買った。
いやあ、良い。画面はきれいだし、スピードは速いし、音は静かだしで快適この上ない。ナマクラ包丁を切れ味鋭い包丁に買い換えたような感じだ。ホントにスパスパ切れる。さすがはIBM。片手間にパソコンを作っているような電機メーカーとはわけが違う。ノートPCはThinkPadに限る。ついでに言うなら、ノートはコクヨに限る。

ThinkPadでの初めての覚書と言うことで、いつもの5割増しのスピードで書いてみた。ついでに内容も5割増しで軽くしてみた。やっぱり今の世の中は何よりもスピードが大事だ。って言うか、パソコンのセットアップやらデータの引越しやらで忙しくて、ネタを作りこむヒマがなくて、つい手抜きをしただけの話なんだけどね。すまん。

ThinkPadのように、来週からは切れ味鋭い覚書にしていくつもりである。
おっと、不用意に近づくんじゃない。ケガするぜ。



03/06/08

本格的に暑くなってきた。薄着の季節だ。
道行く女子たちの肌の露出が多くなり、ちょっとだけ嬉しい。しかし、ただ露出すれば良いってもんでもない。中には「そんなもの見せるんじゃない」と言いたくなるような女子もいる。

例えばヘソを出している女子。
意図的に出してるんじゃなくて、収まり切らないから出てるんだろ? と言いたくなるような貫禄たっぷりの下っ腹を誇示するのは勘弁願いたい。ヘソを出す前に、その美味しそうな霜降りの肉をなんとかしてほしい。カテキンが良いらしいよ。

女子高生のミニスカートも困り者だ。
手の甲でお尻のあたりを押さえながら駅の階段を登るのはやめてもらいたい。育ち盛りのパンパンに張ったたくましい太ももなんて別に見たくない。ましてやその奥の白い布切れなんかには何の興味もない。

大体自分はヘソや太ももなんかには興味がない。そんなものを露出されても困る。
胸元が大きくあいた服を着た女子が目の前でかがんだときに胸の谷間がちらりと目に入ったりすると、良いものを見せていただきましたと思わず心の中で手を合わせる、自分はそんな人間なのだ。これだけで軽くドンブリ飯3杯はいける。男子としては極めて健全な反応だと思うのだが、どうだろうか。

女子のみなさん、今年の夏はこういった方向性でひとつよろしく。



03/05/31

りそな銀行が2兆円もの公的資金注入を受けるらしい。
単純に日本国民を1億人として計算すると、一人あたりなんと2万円もの負担になる。2万円あったら、あんなこともこんなこともできちゃうじゃないか。なぜこんな腐れ銀行のために2万円もの大金を持って行かれなければならんのか。

大体、大手都銀と言っても結局は金貸し商売である。安い金利で預かった金を高い金利で貸し付けてその利ざやで儲けている、何ともやくざな商売だ。自分で物を作ってそれを売る、という健全な商売とは程遠い胡散臭さがつきまとう。

今回の資金注入を受けるにあたって、役員の数を減らしたり行員の給料を3割カットするなどの再建策が銀行側から提案されたが、若い行員からすれば、なぜバブル期の放漫経営のツケを何の関係もない自分たちが払わなければいけないのだ、と思っていることだろう。確かに理屈はその通りだ。しかし、彼らに同情する気にはなれない。「銀行憎し」の感情はもう理屈じゃないのだ。

なぜに土曜日のATMからの引出しが有料なのだ。平日に自分の口座のある銀行に寄ることのできない人間はどうすればいいのだ。自分の預金をおろすのに手数料を払うなんて、こんなに理不尽な話はない。ここまでやくざなことをしておきながら、この上2兆円もの血税を借りるなんて厚顔無恥にもほどがある。

ここはひとつ、全行員が頭を丸めるくらいの誠意は見せてほしい。ただ丸めるだけじゃつまらないから、後頭部に「りそな」の文字を残すのだ。名付けて「りそなカット」。給料カットなんてしなくても良いから「りそなカット」をしてくれ。注入を受けた公的資金をきれいに返済するまでは、この髪型で通してもらいたい。

ここまでしなけりゃ許してやらん。



03/05/25

「プチ断食」なるものが静かなブームらしい。

2〜3日間断食の真似事をして、ちょっと痩せてちょっと健康的に、というのがその趣旨のようだ。「断食」という過酷な言葉を「プチ」というわけのわからない表現でオブラートにくるんで、さも楽チンそうに演出しているところに何とも言えない偽善を感じる。とは言え、今の世の中は偽善だらけだ。こういう曖昧な表現こそが、この時代の空気に一番ふさわしいのかも知れない。

そこで、自分もいくつか「プチ」な表現を考えてみた。現在の閉塞感漂う状況を優しく嘘っぽくオブラートに包んで、目の前の苦境から逃避してみたい。

「プチリストラ」
50代の後のないベテランがリストラされるのではなく、20代、30代の若手がリストラされたときに使う言葉。「この前プチリストラされちゃってさあ。でも次のあてはあるから大丈夫」のように使う。自転車で職安に通う疲れたオヤジではなく、車でハローワークに乗り付ける威勢の良い若者の姿が浮かんできて、ちょっと素敵だ。

「プチボーナス」
月給の3ヶ月分なんていう金額ではなく、1ヶ月分、0.5ヶ月分という淋しい金額のボーナスを支給されたときに使う言葉。「今度もまたプチボーナスだよ」のように使う。最初から期待しなければ、実際の金額を目にしたときもさほどのショックは受けない。支給されるだけでもありがたい。

「プチ切れ」
カルシウムの足りない若者が突然切れるのではなく、良識ある大人がつつましく遠慮勝ちに切れるときに使う言葉。「昨日部長に寿司をおごってもらったんだけど、回転寿司だったんだよ。もうプチ切れ」のように使う。日頃の鬱憤を「プチ切れ」のフレーズに乗せて発散させてみよう。

気に入ったフレーズがあったら、ぜひ「プチ」な気分で職場や家庭で使ってもらいたい。
目指せ流行語大賞!



03/05/16

プロの作家を目指すにあたって、まずは己を知ることが大事だと思い、ネットで見つけた「小説書きに100の質問」に答えてみた。

結果はこちら

うーん、普通だな。改めて読み返してみても、大した個性が感じられない。こんなんじゃダメだな。嘘でも良いからもっと破天荒なキャラクターを演出しないといけない。

でも、まあ良いか。自分は何事においても大器晩成型なのだ。ゆっくりじっくりやっていくさ。



03/05/10

下手な小説を書くのが最近の静かなマイブームだ。

小説のネタを考えるのは、当然のごとく散歩中である(小説に限らず、この覚書やエッセイなどもすべて散歩中に考えるのだが)。歩きながら頭の中で、ストーリー展開や各人物のキャラクター設定などを考えるのがこの上なく楽しい。あまりにも楽しいので、そのうち、食事や入浴や睡眠もすべて散歩をしながら済ませてしまいそうな自分が怖い。

もしプロの作家になれたら、ネタを考えるという名目で毎日散歩できるなあ、とふと思った。毎日好きな散歩をしながら暮らせちゃうのである。これ以上贅沢な生活はない。で、またふと思った。これってつまりは「散歩のプロ」として生きるってことではないか、と。
なるほどそうか、これまで「自称」散歩のプロとして生きてきたが、プロの作家になれば自ずと「散歩のプロ」の肩書きもついてくるってことだ。

将来売れっ子作家になって、「作家を目指した動機は?」なんてインタビューされたらこう答えるのだ。
「いや、散歩のプロになりたかったので」
これって、ちょっとカッコ良くないか?

英語の勉強を始めてから9年かかって、英語の仕事に就くことができた。今から本格的に小説の勉強を始めれば、今すぐには無理でも、9年くらいの時間をかければ何とかなるんじゃないのか。ってことで、次の「カブ年」の45歳を目標に作家デビューを目指すことにした。なんだか楽しくなってきたぞ。

ってかね、こんな夢みたいな目標でも持たないと人生やってらんない。そうは思いませんか?



03/05/04

散歩のプロたる者、当然地球環境にも心を砕いている。

自分が仕事帰りにいつも立ち寄る西友では、「マイバック運動」を展開している。レジで「袋はいりません」と告げると、シートにスタンプを押してくれる。スタンプが20個貯まると100円がキャッシュバックされるというシステムだ。地球環境に気を使う自分も当然この運動に参加している。断っておくが、別に100円ごときのはした金が欲しくてやっているわけじゃない。

しかし、マイバックを持ち歩くというのがどうにも気恥ずかしい。
周りの主婦から、「あら、マメな人ね」とか、「男のくせに100円欲しさにマイバックを持ち歩くなんて、ケチな人ね」などと思われたくない。本当のところはともかく、外見だけでもクールでワイルドな男に見られたい。実際に、歌舞伎町で夜通し散財する豪快な一面も持ち合わせているのだ。間違ってもケチな男だなどと思われたくない。

と言うことで、リュックの中にはいつも西友のレジ袋を忍ばせている。買い物カゴから取り出した品物をレジ袋に移して手に提げれば、あーら不思議、マメでケチな男から一転、クールでワイルドな男に変身だ。

まったく、さりげなく地球環境に配慮するのも楽じゃない。重ねて断っておくが、決して100円が欲しいわけじゃない。あくまでも純粋に地球環境を憂慮しているだけである。

あとスタンプ3つでゴールか。まあ、くれるってものを無理に断る理由はないわな。



03/04/27

玉川上水を歩いた。
ちょうど去年のこの時期、多摩川を歩いた時に見かけて以来、ずっと歩きたかったのがこの玉川上水だ。流れに沿って土の遊歩道が整備されたこのコースは、とにかく緑が深くて気持良い。激しく気に入った。この先もしも間違って結婚するようなことでもあったら、新婚旅行は玉川上水にしようと思う。

この名前の由来は、江戸の昔、上水道を引く工事を指揮した玉川兄弟から来ているものだと思っていた。実際には、この兄弟の功績を称えて幕府が「玉川」の名字を与えたということのようだ。そりゃそうだよな。良く考えてみれば、こんなに都合の良い名字の人間がそうそういるわけはない。一つ勉強になった。

散歩のプロたる者、ただ漫然と歩いているわけじゃない。こういう知識もしっかりと学んでいるのだ。

昼飯時になり腹が減ってきた。このまま歩いても飲食店は見つかりそうにもない。仕方なく流れを離れて駅の方へと歩いていった。ところが見事に駅前には1軒の店もない。空腹を抱えてさらに歩くと、ようやく何軒かの飲食店が並んだ通りに出た。小奇麗なラーメン屋に入って窓から外を眺めると、店のすぐ脇を走る玉川上水の流れが見えた。

何もわざわざ歩きまわる必要なんてなかったってことか。何だかこれまでの自分の人生にそっくりだ。近道をしたつもりが、結局は遠回りになってしまったことが、これまでに何度あったことか。信じた道をそのまま真っ直ぐに進むのが大事だってことだ。
「迷わず行けよ。行けばわかるさ!」(by アントニオ猪木)

散歩のプロたる者、ただ漫然と歩いているわけじゃない。こういう教訓もしっかりと学んでいるのだ。



03/04/20

モーニング娘の辻ちゃんと加護ちゃんの区別がつかない。あなたは区別できますか?

自分には二人とも同じに見えてしまう。いや、もちろん双子じゃないんだから、違うことはわかるのだが、二人を明確に区別できるほどの違いは見つけられない。若いアイドルの区別がつかなくなったら、それはもう立派なオヤジへの階段を登り始めているってことかも知れない。

"spontaneous (自発的な)" と "simultaneous (同時の)" との区別がつかない。
これらの単語に出くわすと、とりあえず2つの意味をそれぞれ当てはめてみて、どちらがどちらなのかを判断する。その度にしっかりと覚え込んだつもりになるのに、次に出くわした時には同じようにまた迷ってしまう。単語の暗記に苦労し始めたら、それはもうすでに脳の老化現象が進行しているってことかも知れない。

善と悪の区別がつかない。
フセインの像を引き倒し、アメリカ兵を熱狂的に歓迎するイラク国民がいるかと思えば、空爆の被害に遭い命を落とすイラク国民もいる。
独裁者の暴虐から国民を解放するという名目で、罪のない人間を犠牲にしてしまうのは果たして善なのか。だからと言って、独裁者の暴虐を見て見ぬふりをするのは悪ではないのか。善と悪の区別に悩み始めたら、それはもう哲学者への道を歩み始めたってことかも知れない。

なんつって。そんな難しいことを真剣に考えるほど自分の頭は高尚には出来ちゃいない。
辻ちゃんと加護ちゃんを見分ける良い方法があったら教えてください。



03/04/12

翻訳において英語力・日本語力が何よりも重要なことは今さら言うまでもないが、検索力もそれらと同じくらいに重要である。

何しろ訳すべき文章は専門用語満載なので、その方面の知識が皆無な自分は、まさに辞書と首っ引きである。会社には何冊もの技術用語辞典が揃っているが、いちいち紙の辞書を引くなんて悠長なことはしていられない。インターネットで使えそうな辞書サイトを探し当て、3セッションくらい同時に開いて用語を調べる。辞書に載っていない略語なんかも頻出するので、そういう場合にはGoogleなどのサイトから検索したり、海外のサイトを調べることになる。ネットなしには翻訳など出来ないと言っても過言ではない。まさにインターネット様々である。

初仕事として、40頁ほどの操作マニュアルを翻訳した。何しろ初仕事であるから、それなりに気合を入れて訳した。3日間で一通り訳したのだが、残業大嫌い人間の自分が、この3日間で合計1時間も残業したのだから、相当な気合の入りようである。

前任者とはちょうど入れ替わりで入社したので、前任者のそのまた前任者が引継ぎ作業のヘルプとしてサポートしてくれているのだが(70代半ばの大ベテランである)、出来あがったマニュアルをその人にチェックしてもらったところ、「あんた上手いねえ。前の人よりずっと上手いよ」とのお褒めの言葉を頂いた。

自分なりにある程度の自信があったからこそ、思い切って転職したのであるが、やはりこれまでに実務経験はゼロだったので、当然不安もあった。見る人が見たら話にもならないくらいに稚拙な英文しか書けないのではないかと少なからず思っていたから、褒められた時には素直に嬉しかった。

これで何とかやっていけそうだ。



03/04/05

こそっと転職なんかをしてみた。

これまでに「転社」をした経験はあるが、「転職」したのは今回が初めてである。
大学を卒業してからこれまでずっとソフトウエア開発のシステムエンジニアとしてやってきたが、好い加減にSE稼業にも飽きた。ってことで、埼玉にある小さな町工場に就職してみた。工場で作っている工作機械の仕様書や取扱説明書などを英文に翻訳する仕事である。

で、退職手続きであるが、社員証やら保険証などと一緒に、社章も返さなければいけないらしい。入社当日にちゃちな社章を受け取った覚えがあるが、そんなもの、その日のうちに速攻でごみ箱に捨ててしまった。不要なものはすぐに捨てるのが自分のポリシーだ。世間に知られていない会社の社章なんて、ガリガリに痩せた男子の胸毛以上に不必要なものだ。たくましい胸毛は、たくましい大胸筋にこそふさわしい。光り輝く社章は光り輝く大企業にこそふさわしい。

「胸毛の代わりに社章をなくしちゃいました、えへ♪」と担当者に告げると「紛失届」なるものを書かされ、「この分は実費で500円が来月の給与から引かれるのよ、おバカさん♪」との説明を受けた。

これっておかしくないか? 社章を受け取った時点で、その社章は自分のものだろ? 自分のものをどうしようと自分の勝手だろ? 大体、自分から頼んで社章をもらったわけじゃない。会社から無理矢理押し付けられたものを、今さら返せなんて、どう考えても理屈が通らないと思うんだが。

もしかしたら、これは踏絵みたいなものなのかも知れない。入社時に渡された社章を退職時まで保管しているかどうかにより、会社に対する忠誠心を試しているのだろう。社章を捨ててしまう不届き者には、退職時に500円分の制裁を加えるということか。

500円分の忠誠心と、500円分の制裁。

今や個人と会社の関係なんて、500円玉一枚で清算できてしまうくらいに薄っぺらいものなんだろう。



03/03/30

春だ、桜だ、牛乳だ。

何と言っても、牛乳はビン入り牛乳に限る。紙パック牛乳なんて牛乳であって牛乳ではない。しかし、ビンに入っていれば何でも良いかと言うと、そうではない。まず、何回も使い回されてすっかり曇りガラス状態になった厚手のガラスビンでなければならない。更には、青いセロファンが蓋に被さっているものでなければならない。ちょっとなで肩のビンならば言うことなしである。早い話が、小学校の給食に出てきたビン牛乳だ。

このビンで飲む牛乳は抜群に美味い。紙パック牛乳の約10倍美味い(当社比)。
駅のミルクスタンドでこの由緒正しき牛乳を見かけると、どうしても素通りできない。暑かろうが寒かろうが、満腹だろうが空腹だろうが、買わずにいられない。飲まずにいられない。その強烈な吸引力は、酒を飲んだ後の屋台ラーメンすら足元にも及ばない。

この由緒正しき牛乳を飲むには、当然由緒正しき姿勢で臨まなければならない。右手に牛乳を持ち、肘から直角に曲げた左手をしっかりと腰に当て、最初の1ストロークで半分の100ccを一気に飲む。一息入れて牛乳が胃の腑に染み渡るのを確認した後、残りの100ccを味わいながら飲む。所要時間約10秒。こうして飲むと、同じビン牛乳でも約3割増しの美味が味わえる(当社比)。

しかし、最近この由緒正しき牛乳がめっきり減ってしまった。
この素晴らしいビン入り牛乳を絶やしてはいけない。そのためには、これからもビン入り牛乳をずっと飲み続けていかなければならない。たとえ飲み過ぎてお腹がゴロゴロになっても。きれいな桜を見上げて紙パック入りの牛乳をストローでチューチューと啜りながら、そんなことを思った。

春だ、桜だ、ビン牛乳だ。



03/03/21

宇多田ヒカルが自分のホームページで戦争反対のメッセージを書き込んだとテレビで放送していた。
ホームページの書き込みがニュースになるなんて凄いな。さすがはヒッキー。彼女によると、「戦争に賛成の人も無関心な人も同罪」だそうだ。ということで、一応自分も無関心ではないというところを見せておこう。いや、別にヒッキーのファンってわけじゃないんだが。

はっきり言って、日本の政治家はダメダメである。野党の議員はここぞとばかりに「戦争反対!」なんて与党を攻撃しているが、何を言ってるんだか。現実問題として北朝鮮の核兵器の脅威があるんだから、自前の軍隊を持たない日本としては、アメリカを頼るしかないじゃないか。「イラク攻撃には反対だけど、北朝鮮はちゃんと押さえ込んでよ」なんて言うのは、同盟国として虫が良すぎる。

政治家たるもの、戦争反対を声高に叫ぶのであれば、アメリカを頼らなくてもキッチリと北朝鮮を封じ込めることができるだけの、具体的かつ現実的な方策を示すべきだろう。それをしないで「戦争反対」と叫ぶだけなんてのは無責任極まりない。政治家失格だ。ただ「戦争反対」というお題目を唱えるだけであれば、青っ洟をたらした幼稚園児にだってできる。

「これじゃ日本はアメリカの言いなりだ!」なんて国会で叫んでいる野党党首も、「今さら何言ってんの」って感じだ。日米安保条約を締結した時から、すでに日本はアメリカの属国だ。もっと遡れば、戦争に負けてアメリカの肝入りで平和憲法を制定した時から、すでに日本はアメリカの言いなりなのだ。そういう今さらなことを議論してどうする。アメリカの言いなりにならないような国造りをすることこそが、政治家の仕事だろうに。

好い加減に憲法改正の議論を真剣にするべきだろう。今の自衛隊を国際的に軍隊として認知させ、深夜のコンビニにたむろしている若い衆なんかを根こそぎ引っ張ってきて兵役に就かせれば良い。そうすれば、少なくとも今みたいな情けない状態からは脱することができるはずだ。

自分だってもちろん戦争には反対だ。特に今回の戦争は愚の極みだと思う。アメリカの傲慢な一国主義にもうんざりだ。でも、こうなってしまった以上は、あれこれ言ったところで仕方がない。この状況下での次善の策を模索すべきだろう。

なんて、自分なんかがいくら熱くなったところで、何もならないことが悲しい。やっぱり、多くの人に自分の意見を聞いてもらおうとするなら、有名にならなきゃ話にもならんってことだな。目指せヒッキー!ってか。



03/03/15

散歩の途中で見かけた「水の科学館」を見学した。

何気なく見て回っていると、係りのお姉さんから「今から真空実験をやりますから、ご覧になってください」と声をかけられた。
ビーカーに入った水が真空状態であっという間に沸騰して、次の瞬間に凍るという実験だ。いや、実験なんてどうでも良い。「これは真空状態で沸点が下がり、気化熱が奪われたことにより...」なんて説明をするお姉さんの笑顔に、一瞬館内が真空状態になったかのような胸苦しさを覚えた。

しまった、胸キュンだ。

科学館を後にしながら、一体どうしたら笑顔の素敵なお姉さんとお友達になれるかを真剣に考えてみた。やっぱり、足繁く科学館に通って顔なじみになるのが一番の近道だろう。でもなあ、夜のお店に通うのなら話はわかるが、科学館に通って常連になるっていうのもどうかと思う。毎週科学館に通う36歳男子って、怪しくないか?もしも顔なじみになることができたとしても、次のステップはどうすれば良いんだろう。

「この後、お食事でもいかがですか?」なんて誘えば良いんだろうか? いや、突然そんな事を言われて「はい、オッケーです」なんて了解する気の良いお姉さんがこの世にいるとは思えない。だったら、そっと手紙を渡したらどうだろう?「お暇な時にでも読んでください」なんて言いながら。いや、これもダメだな。恥ずかしすぎる。同僚のお姉さんたちにその手紙を回し読みされたりしたら最悪だ。

うーん、一体どうしたらいいんだろう。
「オイラはこうして科学館のお姉さんとお友達になったぜ」という経験をお持ちの貴方。「私はこんな風にお客さんに声をかけられてオッケーしちゃいました」という経験をお持ちのお姉さん。是非とも迷える子羊の自分に良きアドバイスを。



03/03/08

大和銀行とあさひ銀行が合併して「りそな銀行」になったらしい。何だろう「りそな」って?

一昔前までは覚えきれないほどあった大手都市銀行が、これで「りそな」「みずほ」「UFJ」「東京三菱」「三井住友」の5行にまとまったことになる。市町村合併の議論も盛んだし、今や日本全国まとまるのがブームになっているようだ。まとまらないのは国会審議だけかも知れない。

それにしても、世界有数の大銀行が「りそな」や「みずほ」では軽すぎはしないだろうか。債権回収業務にも支障をきたしそうで心配だ。
大和銀行や第一勧業銀行だったら、債務者も「何とか返さないといけない」というプレッシャーを感じたかも知れないが、りそなやみずほになった途端に「まあいいか、踏み倒しちゃおうっと。るん♪」なんて思わないとも限らない。

UFJなんていう横文字もいただけない。キッチリと七三に分けた銀行員が突然金髪に染めたみたいな感じで笑える。

と言うことで、大手都銀ダービーの勝者は東京三菱と三井住友の2行に絞られた。どちらも甲乙つけがたいネーミングだが、財閥の名前をそのまま並べただけの三井住友銀行の頑固さを評価したい。いまさら財閥にこだわっている場合か、と思わんでもないが。

ってことで、三井住友銀行に3000点。



03/03/02

電車の中で若い女子の二人連れが話をしていた。

最初は会社の同僚の噂話だったのだが、帰宅時に乗り合わせた酔っ払いの話になると、俄然会話がヒートアップしてきた。最初は聞くともなしに聞いていたのだが、これが非常に面白い。文庫本を読んでいるフリをして、耳はしっかりダンボ状態だ。会話の内容をすべて紹介したいくらいだが、その面白さを文字で表現する自信がないのでやめておく。以下は女子が語るその酔っ払いの様子を要約したものである。

自称30歳のエリートサラリーマン。デブ。とにかく気持ち悪い外見。後輩を横に座らせて雑誌で顔を叩いたりしてイジめている。自称年収1500万円。

以上の背景を踏まえて、以下の会話をご賞味頂きたい。

「でさあ、その男が”オレなんて彼女のプレゼントはいつもエルメスだからさあ”なんて自慢してんのよー」
「えー、彼女いるの?」
「でしょ、でしょ、そう思うでしょー」
「それってさあ、きっとキャバクラ嬢かなんかに勝手に勘違いして入れ込んでるだけだよ」
「そうそう、アタシも絶対そう思う。だって、ホントに気持ち悪いんだもん」

さすがに友達同士の会話は遠慮がなくていい。彼女たちに気付かれないように腹の中で爆笑した。

でもまあ、金で愛を買っても良いじゃないか。それも男の甲斐性ってもんだ。たとえそれが偽りの愛だったとしても、男にとっては金をかけた分だけ愛の純度も上がるのだ。暖かい目で見てやんなさい。



03/02/23

留守電にメッセージを残すのがこの上なく苦手だ。
返事のこない受話器に向かって話すのがわけもなく恥ずかしい。いつも「ただいま留守にしております」という音声を聞いた瞬間に切ってしまう。

どうしてもメッセージを残さなければいけないときには、言うべきことをあらかじめ整理して、何回か事前に練習してから受話器を取り上げる。それでもカミカミになって、しどろもどろになってしまう。もう本当に留守電に関しては丸出ダメ夫だ。

ドラマの中で、役者が何の澱みもなく普段の会話のトーンそのまんまに「あー、オレだけど。どうしたんだ早く来いよー、みんな待ってるぞー」なんてメッセージを入れるシーンを見るたびにうらやましくなる。どうしたらそんなに自然に話せるんだ。

図書館からの「永橋新吾様のお名前でご予約された本が1冊入っております。何月何日までに図書館カウンターまでお越しください・・・」なんて、淡々と棒読みされたメッセージを聴くたびに感心する。どうしたらそんなに冷静に話せるんだ。

どうやら自分には、役者はおろか図書館職員になる素質さえ無いらしい。



03/02/15

仕事で客先に行くために小田急線に乗ったときのこと。

自分の斜め向かいに外国人が座っていて、その隣の空席に腰を下ろした日本人の男性がいきなり "Can I talk to you?" と声をかけて、デカイ声で話し始めた。以下の会話はすべて英語で行われたのだが、お世辞にも上手な英語とは言えないので、文字にするのがためらわれる。ということで、思い切り乱暴に意訳して書いてみる。

「オレは仕事で世界中飛び回ってるから、結構英語は得意なんだ」「妹はニューヨークに住んでて、オレよりもよっぽど英語が上手いんだよね」「姉はシンガポールに住んでて、学校の先生をしてるんだ」「二人とも結婚して子供もいるんだけど、オレはまだ独身なんだ」「オレもいつかは結婚して幸せな家庭を持ちたいね」「でも彼女はいないんだけどさ」

車両中に響くデカイ声でそんなプライベートなことをバラしてどうする。周囲の冷たい視線も、相手の迷惑そうな表情も気にせず話しまくるこの男。とにかくうるさい。

「あんたは結婚してるの?」「子供はいるの?」「家族も日本に住んでるの?」「仕事は楽しい?」「充実してる?」

自分勝手に喋る分には良いけど、初対面の相手にあまりプライベートなことを訊くのは失礼だと思うぞ。こんな調子で新宿から下北沢までマシンガントークを披露して、その男は満足そうに電車を降りていった。まったく、少しは周りの迷惑や相手の迷惑を考えたらどうなんだ。自分が相手の立場だったら、ということを考えたことはないのか。

ニューヨークの電車に乗っていて、いきなり「チョトイイデスカ?」と声をかけられて、「ワタシノイモウト トウキョウニスンデマス」「アネハ シンガポールデ センセイシテマス」「ワタシ ドクシンデス」なんて一方的に話をされたらどんな気分かね。

って、良く考えると、そんなに嫌な気分じゃないかも。外国人に自分の母国語で話し掛けられるのって、ちょっと良い気分かも。周りの迷惑にならないくらいの声量で話しかけられる分にはオッケーかも知れない。

ということで、電車の中で金髪の外国人を見かけたら、臆することなく "Can I talk to you?" と話し掛けてみよう。いきなりドイツ語で "Bitte?" と返事をされても責任は持たないが。



03/02/09

困ったな、誕生日だ。
誰も祝ってくれないから一人で祝ってみるか。
誕生日おめでとう、自分。ありがとう、自分。

ということで36才になった。
今年は特別な年になりそうな予感がする。年男だからというわけではない。「カブ年」だからだ。「オイチョカブ」というゲームは誰でも知っているだろう。親と子がそれぞれの手札の合計点を争うゲームだ。最低が「0」でブタ、最高が「9」でカブと言う。つまり36才の今年は 3+6 = 9 で「カブ年」というわけだ。

これまでのカブ年を振り返ってみると、それぞれに大きな転機になった年だったことがわかる。

9才の時。
赤ちゃんはコウノトリが運んでくるのではないという衝撃の事実を知る。揚げパンとミルメークの美味さに感動する。

18才の時。
大学入学のために上京し、イカしたシティー・ボーイに変身する。学生ローンにハマる。

27才の時。
翻訳家を目指して英語の勉強を始める。それまで7年間付き合ってきた彼女に振られる。

さて今回のカブ年は一体何が起きるのか。驚天動地の展開を期待したい。



03/02/02

美容室で髪を切った。

自分は美容室が好きではない。と言うよりは嫌いだ。何が嫌いと言って、カットの最中であれこれと話しかけられるのがどうにも苦手だ。
「お近くにお住まいなんですか?」「お仕事は何をされてるんですか?」「お休みの日は何をなさってるんですか?」
初対面の人間にそんなこと聞いてどうしようってんだ。そんなに自分のことが知りたいのか。ひょっとして一目惚れか?話したい気分の時には自分から話しかけるから、それ以外の時には頼むから放っておいてくれ。

カットの前後にシャンプー台で髪を流される時がまたうっとうしい。
「苦しくありませんか?」「お湯は熱くないですか?」「力加減はどうですか?」
いちいちそんなことを訊かなければいけないほど、自分の仕事に自信がないのか。過去に、危うく窒息させそうになったり、熱湯でヤケドさせたり、力一杯かきむしって頭皮を血だらけにしたことがあるのか。何かしてもらいたいことがあったら自分からそう言うから、それ以外の時は頼むから放っておいてくれ。

「ご希望のヘアスタイルがありましたらお選び下さい」と言って、ヘアカタログを差し出すのもやめてくれ。「そうだなあ、この福山雅治みたいなスタイルにしてもらおうかな。ちょっとオシャレな感じで♪」なんて真顔で言えるほど、自分は厚顔無恥な人間じゃない。

黙って座ればピタリと決まる、どこかにそんな美容室はないものか。



03/01/25

出かける時、靴を履いてから忘れ物に気付くことが良くある。

これがタッセルやローファーなんかのすぐに脱げるタイプの靴なら何の問題もないのだが、自分の靴は足首までホールドする編み上げタイプなので、一度脱いでまた履き直すというのが面倒だ。ということで、つい靴を履いたまま四つん這いの姿勢で部屋を進んで忘れ物をゲットし、そのままフィルムを逆回転するかのごとく後ずさりをしてしまう。

しかし、この姿勢で進むのはやたらと膝が痛い。自分の部屋はフローリングなのでなおさらだ。
その点、嬉々としてハイハイをする赤ちゃんは偉い。彼らは痛くないんだろうか?ハイハイが辛くて引きこもりになる赤ちゃんはいないのだろうか?もし、丸一日ずっとハイハイで生活しろなんて言われたら、間違いなく自分はグレルね。床を眺めてビールを飲んでタバコをふかしながら、「ち、やってらんねえ」なんて言っちゃうね。

しかし、たまには赤ちゃんの目線で世の中を見つめ直すのも大事なことだ。それまで見えてこなかったものが見えてくる。床の表面にうっすらとたまったホコリなんかが。

そろそろ掃除しないといかんな。



03/01/19

午後から雪が降るという天気予報を見て、傘を持って図書館に出かけた。入り口に置かれている傘立てに傘を差し込み、100円玉を入れて鍵を抜き取る。

まずは立原正秋の短編集「渚通り」を読む。
こういう短編集はたとえ10編のうち9編までがつまらなくても、1編でも心に響くものがあればそれで満足できるのだが、この短編集はイマイチだった。ほのぼのした作品からサスペンスタッチの作品まで、様々な色合いの作品が詰まっているのだが、どれも自分の好みではない。

次に花村萬月の「ゲルマニウムの夜」を読む。
芥川賞を受賞したこの作品は、暴力とエロスと神をテーマにした作品で、何とも読み応えがある。こういった刺激的なテーマを描いた作品は自分の好みではないので、これまでずっと敬遠してきたのだが、思わず自分の食わず嫌いを反省してしまうくらいにパワーのある作品だ。

今日も良い読書ができたと思いながら傘立ての前に立ち、ポケットの鍵を探るのだが、見つからない。どうやらどこかに落としてしまったらしい。カウンターで「すみません、傘立ての鍵を無くしたんですが」と告げると、ほどなく工具箱を抱えた職員がやってきた。どうするのかと思って見ていると、いきなりペンチで鍵を壊し始めた。

「どうもすみません」と恐縮しながら傘を受け取って帰ろうとすると、「あ、ちょっと待って下さい、お金をお返しします」と声をかけられて、100円玉を差し出された。申し訳ないやら有難いやらで、思い切り小さくなって頭を下げた。

荒々しくペンチで鍵をねじ切る姿に暴力を感じ、無惨にねじ切られた鍵の断面に無機質なエロスを感じ、手の平に乗った100円玉に神を感じた。

何ともゲルマニウムな一日だった。



03/01/11

新年早々風邪を引いてしまった。
いつもは喉から来るのだが、今回は何故か歯茎から来た。左奥の歯茎が腫れてしまい、それに伴って熱が出た。まったく風邪のヤツ、どこから来るかわかったもんじゃない。

熱でダルい身体にムチ打ちながら、靖国神社へかなり遅目の初詣に出かけた。今年こそは大吉を、の願いもむなしく、100円を投じて引き当てたお御籤は「吉」。まあ去年は「末吉」だったから、一応は進歩しているのかも知れない。無理にでもそう思うことにしよう。

ということで、今年も昨年に引き続き「靖国神社で見かけたナイスな絵馬大賞」なんかを書いてみよう。この企画は自分でネタを考える必要がないので楽だ。熱のせいで頭が上手く回らない今の自分にとってはまさに持ってけドロボー、じゃなくてもってこいのネタだ。

「できれば宝くじが当りますように。(1000万円)」
いきなり「できれば」という謙虚さが泣かせる。1000万円という、何とも現実的な金額が更に泣かせる。嘘でもいいから、「おかげさまで昨年は1億円当りました。今年は3億円当りますように」くらいのことは書いて欲しい。
「もっと大胆にいきま賞」を授与。

「家族4人健康で幸せになれますように。事故が1回も起こりませんように。みんな長生きしますように。兄弟みんなに幸運が訪れて、素敵な結婚相手に巡り会えますように。仕事もプライベートも充実して、毎日幸せに暮らせますように。(中略) 誰よりも早く幸せになりますように。(中略) 幸せなことが次々に起こりますように。(中略) すべてうまく行きますように。(後略)」
「欲張りすぎで賞」を授与。

「素敵なメンズに出会えますように」
「メン」だけで充分に複数形なんだが。複数形に更に複数形を被せたいほど、数多くの男子に出会いたいってことなのか。もし良ければ、自分もその中の一人に加えてはもらえないだろうか。
「有楽町で会いま賞」を授与。

「楽しくお金がたまり、楽しく楽チンに自分の思うままにくらせますように。要は自分らしく」
何ともなめ切った願い事だ。言うに事欠いて「要は自分らしく」とは何事か。でもよく考えると、いつも自分が心の奥で密かに願っていることだったりする。ちょっとばかり痛い。まあ新年だから、大目に見てやるか。
「正直で良いで賞」を授与。

「まともな人間になれますように」
これには参った。いまだかつて、これほどまでに自分の心の琴線に触れた絵馬を見たことがない。志望校に合格したいだとか、もっと金が欲しいだとか、きれいな彼女が欲しいだとか、そんなことはどうでも良い。この世に生を与えられた自分たち人間が成すべきことは、すべからく「まともな人間」になるべく努力することではないのか。「まともな人間」になるべく奮闘を積み重ねてきたご先祖様のおかげで、今の自分たちがあるのではないか。何が言いたいのか自分でも良くわからんが、とりあえず深い。
「あんたが大賞!」を授与。


今回は年頭の覚書にふさわしく、青・赤・黒の3色で書いてみた。しかし客観的に見てみると、あんまり読み易いもんじゃないな。ちょっとばかり目が痛い。

来週からは通常モードに戻すので、ご心配なく。



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