21/07/11

昇段試験の思い出

今回は昇段試験について書いてみたい。自分が高校生の頃は、夏と冬に昇段試験が実施されていた。仕組みとしては、ランダムに5人ずつのグループに振り分けられ、そのグループ内で総当たり戦で試合をする。一人あたり4試合を戦うことになるけれど、3勝以上すれば初段になれる。2勝だった場合は、次回の昇段試験で2勝以上すれば初段になれるけれど、1勝以下の場合は何の特典もない。

柔道部に入部したばかりの春の大会では、自分は裏方仕事をさせられて試合には出してもらえなかったので、1年生のときの夏の昇段試験が初めての公式戦ということになった。新入部員は自分を含めて7人いたけれど、そのうちの2人は別の部に転部するという理由ですぐに辞めて、もう一人は柔道部どころか高校自体を辞めてしまったので、夏の昇段試験を受けたのは自分を含めて4人だった。

最軽量級の自分、自分と同じく最軽量級のM君、1つ上の階級のW君、2つ上の階級のY君という布陣だった。柔道部に入部した時点では全員が柔道未経験だったけれど、3か月くらい練習を積むと、はっきりと差が出てくる。4人の中で一番強かったのはW君だった。ものすごく筋肉質で、本人いわく「農民の筋肉」と言っていたけれど、入部した当初からボディビルダーみたいなムキムキの体をしていた。

自分と同じ最軽量級のM君は、とにかく運動神経抜群で、ものすごくきれいなバク転を何度も続けてできるという特技があった。もちろんバク宙もものすごくきれいだった。身体は自分よりも小さいくらいだったけれど、とにかく運動神経がよかったので、すぐに強くなった。新入部員の中では一番身体が大きかったY君は、運動神経がイマイチだったので、身体の割にはあまり強くなかった。

そんな感じの4人が夏の昇段試験に臨んだわけだ。グループ分けでは、4人とも別々のグループに振り分けられたので、自分としてはなんとなくホッとした。もちろん、4人の中では自分が一番弱いという自覚はあったけれど、公式戦で直接対決して負けると、問答無用で実力の差を認めざるを得なくなるから、できれば別のグループになりたいなと思っていたわけだ。

昇段試験に臨む際の心境としては、「間違っても黒帯になんてなれないだろうけど、できれば1勝くらいはしたい」と思っていた。自分と同じように高校生になってから柔道を始めた1年生はたくさんいるだろうし、その中には自分と同じくらいに貧弱な体格のヤツもいるはずだ。運よくそういうヤツと同じ組になれば、もしかしたら勝てるかもしれない。

しかし、そんな自分勝手な希望がかなうはずもなく、総当たり戦の相手には、自分のように貧弱な体格のヤツは一人もいなかった。対戦相手や試合内容についてはまったく覚えていないけれど、すべての試合であっという間に一本負けしたことだけは覚えている。ある程度予想していたことではあるけれど、どの試合もあまりにもあっさりと負けてしまったので、さすがにちょっとだけショックだった。

自分の試合が終わったので、ほかの試合を見に行ったところ、ちょうどM君が試合をしているところだった。M君は、かなり大きな相手と戦っていたけれど、きれいな背負い投げでポイントを獲って見事に勝った。何もできずに4連敗した自分とは違い、身体の大きな相手に鮮やかに勝ったM君を見て、「カッコいい」と思うと同時に、全敗だった自分がなんとも情けなかった。同じくらいの体格なのに、この差はどこからくるのだろうか。

昇段試験の結果としては、「農民の筋肉」を誇るW君が3勝を挙げて見事に昇段し、運動神経抜群のM君は惜しくも2勝どまりで昇段は次回に持ち越しということになった。Y君については、自分と同じく1勝もできなかった。Y君のこの結果については、なんとなく安心したことを覚えている。1勝もできなかったのが自分だけではなかったという、なんともいやしい安堵感だ。しかし、このいやしい安堵感を覚えた自分は、その後ですぐに報いを受けることになる。

それから秋になり、自分を含めた白帯三人衆の間で「裏口入学」的な方法で黒帯獲得を目指そうじゃないかという話になった。裏口入学というのは、新潟市で秋に実施される昇段試験を受けるということだ。新潟市では、佐渡とは違うタイミングで昇段試験が実施されるので、そこで黒帯になろうじゃないかという作戦だった。これがなぜ「裏口入学」なのかについては、また次回。



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