21/05/16

減量の思い出(続き)

前回は、それまで試合で一度も勝ったことがない自分が、学業優秀で女子にもモテモテという理由だけで柔道部の部長に選ばれたというところまで書いた。今回は、前回書けなかった減量の思い出について書いてみたい。当時の高校柔道には55キロ以下という最軽量級が存在していて、身体が小さかった自分は、当然ながら個人戦はその最軽量クラスで出場していた。



しかし、高校2年の秋になると、ようやく人並みくらいの体格になってきて、体重は58キロとか59キロくらいはあったと思う。54歳のいまも体重は59キロくらいなので、自分の体格は高校2年の秋くらいに完成したと考えてもいいと思う。それはともかく、58キロならば60キロ以下の軽量級にエントリーすれば、減量なんてせずに済むわけだけれど、少しでもいい成績を残したいと考えるのであれば、軽い階級にエントリーしたほうが有利なのは間違いない。

55キロ以下の軽々量級の場合、まだ身体ができていない柔道初心者が多いので、それだけ勝つチャンスも増えるわけだ。これが60キロ以下の軽量級になると、とたんに勝利へのハードルが上がってしまう。中には、65キロくらいから無理やり減量して軽量級にエントリーするようなヤツもいるから、普通なら一回りくらい体格が違う相手と戦わなくてはならない可能性だってあるわけだ。

自分はそれまで、量級でさえ一度も勝ったことがないのに、その上の軽量級にエントリーして勝てるとは思えない。どうしても試合で勝ちたかったので、2年の秋の大会には、減量して量級にエントリーすることにした。減量の方法としては、当然ながら「食事量を減らして運動量を増やす」以外にはない。ただ、当時は賄い付きの下宿生活だったので、朝と夜の食事は出されたものを食べなくてはいけない。ということで、減らすのは必然的に昼食ということになる。

高校の頃の昼食には、学食、パン、弁当という3つのパターンがあった。学食については、和洋中なんでも揃っているようなものではなく、メニューは日替わりの一種類だけで、月単位での事前の登録が必要だった。パンについては、昼休みになると近くのパン屋さんがパンを売りに来て、それを買って食べるというシステムだった。そのどちらも利用しない場合は、弁当を持参して食べるという感じだった。

自分は、学食とパンを交互に利用していたような記憶がある。どちらにしても、ちょっと出遅れると行列は必至だったので、昼休みを知らせるチャイムが鳴ると、みんな必死になって廊下をダッシュしていた。正月になると「福男レース」の映像をよく目にするけれど、まさにあんな感じだった。いまの高校生も、お昼になると一斉に福男レースでしのぎを削っているのだろうか。

昼休みの教室は、パンを買って食べている人や、弁当を広げて食べている人ばかりなので、そういう場所で自分だけ何も食べずに手ぶらで過ごすというのもちょっとおかしな感じだし、お腹が空いているのに自分だけ何も食べないというのも辛いので、減量中は昼休みになると、一人で体育館に行ってバスケのシュート練習なんかをしていたような記憶がある。

放課後になると、部室にある汗臭いジャージを着込んで練習をした。このジャージは、これまで減量に苦しんできた先輩たちが使っていたジャージだ。大会前になると、体重をオーバーしている先輩が、柔道着の下にこのジャージを着込んで汗を流していたのだ。自分が入部したばかりの頃は少しでも体を大きくしたかったので、そんな先輩たちの姿を見ながら、なんだか大変そうだな、みたいな感じでまるで他人ごとだった。まさか自分が減量することになるなんて、そのときは想像もしていなかった。

当時は正しい減量の知識なんてなかったから、とにかく激しい練習をして汗を流せばなんとかなると思っていた。なので、部活の練習が終わってからジャージを着込んだままグラウンドを走ったり、部室にあったバーベルを歯を食いしばりながら上げていたような気がする。いまから考えると、いろいろと間違った方法で減量に励んでいたのだろうけれど、当時の自分としては真剣だった。

そんな感じで大会当日を迎えたわけだけれど、朝食を摂った後にヘルスメーターに乗ってみたところ、無情にも針は57キロ付近を指しているではないか。あんなに頑張ったのに、ほとんど体重が落ちていないのだ。しかし、肝心の個人戦は午後からだったので、午前中の団体戦で体力を使えば1キロくらいは落ちるだろうと思った。個人戦の計量は団体戦の直後で、軽量後は自由に昼食を食べられるから、そこで体力も回復できる。

いやいや、57キロから1キロ減ったとしても、まだ56キロあるから、55キロ以下の軽量級にはエントリーできないよね?と思ったそこのあなた、たしかにそのとおりです。もちろん普通なら失格だけれど、当時は56キロ未満であれば、「まあ大目に見てやるか」くらいのアバウトさがあったのです。56キロを少し超えているような場合は、「グラウンドを2〜3周走ってこい」みたいなペナルティが課されることもあったけれど、なにしろ田舎の大会なので、かなりのアバウトさがあったのです。

ということで、自分の場合も計量時に55キロを下回っているというのはまず不可能だろうと思っていたけれど、午前の団体戦で4試合する予定になっていたから、そこで1キロくらいは減るだろうという計算があった。この時点で団体戦よりも個人戦を優先しているわけなので、部長としてはどうなんだろという気もするけれど、なにしろ自分史上初めての勝利がかかっているのでしかたない。

ということで、人生初の減量は、成功したわけでもなければ失敗したわけでもないという、なんとも微妙な感じになってしまった。ただ、当時の自分は成長期真っ盛りだったということを考えれば、まずまず頑張った方なのかなという気もする。そんな感じで、自分なりに減量を頑張ったわけだけれど、いったいその成果はどうだったのかということについては、また次回。



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