21/03/28

柔道について語ってみる

古賀稔彦さんが亡くなったというニュースを知ったときには驚いた。古賀さんは自分よりも1つ年下の53歳だから、まだまだ若い。がんで亡くなったということだけれど、若いとがんの進行も速いから、がんが見つかったときにはすでに手遅れ、みたいな状態だったのかもしれない。自分の友人もおととしにがんで亡くなったけれど、これくらいの歳になるとがんの恐怖が現実的なものになってくる。



自分は高校生のときに柔道部だったから、古賀さんは自分にとってヒーローみたいな存在だった。というか、まぎれもなくヒーローだった。古賀さんは高校生のときから注目されていて、自身の倍くらいはありそうな巨漢の対戦相手を豪快な背負い投げで次々に倒していく姿がなんとも言えずにカッコよかった。直前に大きなケガをしながら金メダルを勝ち取ったバルセロナオリンピックの決勝戦も感動した。旗判定の瞬間は、本当にドキドキしながらテレビの前で見守っていたことを覚えている。

ということで、柔道について語る前に、とりあえず自分のスポーツ遍歴を紹介しておくと、中学生の頃は野球部だった。もちろん、まったくうまくなかった。とりあえず、2年生のときにレギュラーになれたけれど、それは単純に人数が足りなかっただけのことだ。3年生にはキャプテンになったけれど、それも実力が評価されたということではなくて、ほかに適当な人材がいなかったというだけのことだ。

田舎の学校だから、そもそも生徒の絶対数が少ない上に、野球というスポーツは最低でも9人が必要になるから、頭数を揃えるだけでもけっこう大変だ。自分が野球部に入部したときには、3年生が10人以上いて、2年生が8人、1年生が自分を含めて4人いたと思う。自分の学年は丙午(ひのえうま)にあたるので、ほかの学年に比べて生徒数が少なかった。おまけに男女比も女子の方が高かったので、1年生だけ部員数が極端に少なかったのだと思う。

3年生が引退すると、残った2年生と1年生でチームを作るわけだけれど、2年生は8人しかいないので、1年生から少なくとも一人はレギュラーに選ばれることになる。1年生は自分を含めて4人いたけれど、その中では明らかにK君の実力が抜けていたので、K君がレギュラーに選ばれるのはまず間違いなかった。それはおそらく野球部全員が思っていたことだっただろうから別にいいのだけれど、問題なのはそのK君のお兄さんだった。

K君のお兄さんは1つ上の2年生で、顔こそK君にそっくりだけれど、運動神経については雲泥の差があり、スポーツ万能なK君と本当に兄弟なのかと思うくらいにダメダメな感じだった。自分とK君は、小学校は別で、中学になってから知り合ったのだけれど、まだ140センチくらいしかない自分とは違い、K君は中学1年生ですでに160センチを余裕で超えていたと思う。もちろんすでに声変わりしていて、ちょっとしたオッサンという雰囲気さえあった。

そんな感じで、K君と自分は体格的には大人と子供という感じだったけれど、なぜか最初から気が合って、お互いに一番の仲良しになった。どんなシチュエーションだったのか、いまとなっては思い出せないけれど、新チームのレギュラーの話になったときに、「おれは、兄貴よりは新吾の方が上手いと思う」とK君に言われたことがあった。その言葉を聞いたときには、ものすごくうれしかった。なにしろ、K君のお兄さんとレギュラーを争っているのは、ほかでもない自分だったからだ。

レギュラーを決めるときには、すべての部員が部室に集まって互選方式でレギュラーを選んでいくのが当時のルールだった。たとえば、「ピッチャーはA君がいいと思います」とだれかが発言したら、他のメンバーの「異議なし」という賛同で決まっていくという感じだ。K君は順当にレギュラーを獲得し、残るはライトのポジションだけになった。ここまで、K君のお兄さんの名前も自分の名前も呼ばれていない。

自分の名前が呼ばれることを期待しながらドキドキしていたのだけれど、結局は2年生部員の「ライトはK君のお兄さんがいいと思います」という発言により、自分のレギュラー獲得はなくなった。もしかしたらK君が椅子から立ち上がって、「兄貴よりも新吾の方が実力は上だ!」という熱いを発言するかもしれないと期待したけれど、もちろんそんなドラマチックな展開になるはずもなく、悔しい思いだけが残る結果になった。

そんなこんなで、新チームのレギュラーになることはできなかったけれど、2年生になる直前にK君が新潟市に引越してしまったので、レギュラーポジションが一気に2つ空くことになり、そのどさくさにまぎれて2年生からレギュラーになったというわけだ。こうして書いてみると、なんとも言えない感じがする。なにしろ、心の中で「ぷぷ、ヘタクソだな」と思っていた人にレギュラー争いで負けてしまうくらいに、自分はヘタクソだったわけだから。

今回は柔道について語ってみるつもりだったのに、気付いたら野球の思い出について長々と語ってしまった。というか、こうして書いてみると、こんなに何十年も前のことをよく覚えているものだと自分ながらに感心する。これを書きながら、当時の野球部のメンバーの顔が鮮明に浮かんできて、自分でも驚いている。最近では、人の名前がすぐに浮かんでこなくなった一方で、名前は忘れたけれど顔は浮かんでくるというパターンが増えてきた。これって、どういう原理なのだろうか。それはともかく、次回は柔道について語ってみます。



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