21/01/10

ニートについて考えてみる

新年最初の覚書では、ニートについて考えてみたい。ニートの定義としては、「15〜34歳までの非労働力人口のうち、修学も就労もせず、職業訓練も受けていない人」ということになるらしい。ちらみに「非労働力人口」とは、「15 歳以上の人口のうち、就業者と完全失業者を除く人」という定義になるらしい。要するにニートというのは、働く意思さえないクズみいたいなヤツということだ。



などと、最初から強烈にディスってみたけれど、それぞれの事情があるということもわからないでもない。学校を卒業してから一度も社会に出て仕事をしたことがないというヤツならば本当にクズみたいな存在だと思うけれど、おそらくそうした「純粋培養」的なニートというのは、それほど多くないだろう。多くの場合、いくつか仕事をしてみたけれど、仕事内容や対人関係で悩みを抱えて、いつの間にか引きこもってしまったという感じなんだろう。

実は自分も、こういう人たちに近いメンタリティを持っているので、気持ちはなんとなく理解できる。こういう人たちは、コミュニケーション能力に問題がある場合が多いのだと思う。どんな仕事でも、自分一人だけで完結する仕事なんて絶対になくて、いろんな人たちとコミュニケーションを取りながら仕事を進めていかなければならない。コミュニケーション能力が低い人は、これが苦痛でたまらないのだ。

自分自身がそうだからよくわかる。単純作業の繰り返しだったら、つまらなくはあるけれど、自分にとってはそれほど苦痛ではない。自分のような人間にとって一番の苦痛は、ほかの人たちとかかわりあいながら仕事を進めていかなければいけないということなのだ。上からの指示に従って仕事をする場合はまだマシだけれど、自分が指示を出す立場になると、苦痛を超えて拷問のような感じになる。

なので、この覚書でも何度か書いているけれど、システムエンジニアとして仕事をしているときは毎日が本当に苦痛だった。下っ端のプログラマーとして仕事をしているときは、指示に従ってプログラムを書くだけだからよかったけれど、システムエンジニアとして客先に出向いたり外注さんと打ち合わせをしたりするようになると、どんどんと苦痛が大きくなっていった。

そうした苦痛から逃れるために翻訳という仕事に就いたわけだけれど、この仕事に出会うことができて本当によかったと思っている。自分は文章を書くことが大好きだから、毎日文章を書いてお金をもらえるというのはラッキーなことだし、なにより、翻訳という仕事は最低限のやり取りで作業を進めることができるというのが、自分のようなコミュニケーション能力が低い人間にとっては本当にありがたい。

もしも翻訳という仕事に就いていなかったら、いまごろはどうなっていたかわからない。実家暮らしではないから、さすがに高齢ニートにはなっていないだろうけれど、充実した生活とは程遠い生活を送っているであろうことは間違いない。あのままシステムエンジニアを続けていくという選択肢は自分の中にはなかったので、だれにでもできる薄給の単純作業に甘んじている可能性が高いと思う。

そうした職場に集まる人たちのレベルなんてたかが知れている。休憩時間に交わされる会話のテーマは、ギャンブルと風俗というのが相場だ。そうしたレベルの低い会話を聞きながら、なんてレベルの低いヤツらなんだと心の中でバカにするけれど、周囲から見た場合は自分も同じようにレベルの低い人間として見られているということもわかっているから、ものすごく卑屈な心境になることは間違いない。

自分のことはともかく、一度引きこもってしまうと、外に出て働くのが恐くなってしまい、その期間が長くなるほど恐怖心も大きくなっていくという心理はよく理解できる。ただ、いまはネット環境さえあればだれでも仕事ができる時代だ。だれとも直接顔を合わせることなく仕事ができるわけだから、ニートにとってはまさに夢のような環境ではないだろうか。この環境を活かして、一人でも多くのニートが自立できるといいなと思う。



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