18/10/14

リーガル案件の翻訳は面倒な割に報われない件について

自分はIT翻訳という分野で仕事をしているわけだけれど、IT翻訳と言ってもその内容はけっこう幅広い。とりあえずは、オペレーションマニュアルやヘルプ画面の翻訳がメインになるけれど、そのほかにも、製品をアピールするためのマーケティング素材の翻訳、動画の字幕翻訳、トレーニング資料の翻訳、契約書やプライバシーポリシーなどの翻訳がある。

こうした案件のうち、一番簡単なのがマニュアルやヘルプ画面の翻訳だ。「このファイルをインポートするには、目的のファイルを選択して「インポート」」をクリックします」みたいに、簡単な操作手順を説明する文章が多いので、特に何も考えなくても、サクサクと作業が進んでいく。それに比べると、マーケティング案件は凝った表現が多く、それなりに技術が必要になるので、当然ながら時間もかかる。

それよりも大変なのが、契約書やプライバシーポリシーなどのリーガル案件の翻訳だ。契約書などを読んだことがあればわかると思うが、こういう書類の文章というのはわざと難しく書かれていて、すんなりと意味が理解できない場合が多い。はっきり言って、悪文の見本市みたいなもので、これは英語の場合も変わらない。とにかく、文章の構造を理解するのに時間がかかる。

たとえば、以下のようにものすごく長い文章がゴロゴロと出てくる。これでも、かなり短く編集してあるくらいだ。

By submitting, posting, or displaying your content on the XYZ Platform, you grant XYZ and its affiliated companies a nonexclusive, royalty free, fully paid up, transferable, license to use, copy, reproduce, process, adapt, modify, create derivative works from, publish, transmit, store, display and distribute, and otherwise use your content in connection with the operation or use of the XYZ Platform or the promotion, advertising or marketing thereof, in any and all media or distribution methods.

一見しただけで読む気がなくなるような長い文章で、文章の構造がどうなっているのかすらよくわからない。そんな感じで、あまりの難解さに考えることを放棄し、文章の構造がわからないまま、頭から機械的に訳していくと、以下のような、まさに機械翻訳のような訳文になる。まったく文章になっていなくて、いくら原文が難しいといっても、プロの翻訳者がこれでは、あまりにも情けない。

XYZ プラットフォーム上でコンテンツの提出、投稿または表示により、ユーザーは XYZ 社およびその関連会社に、どのすべてのメディアや配布方法でも、非独占的、ロイヤリティフリー、全額払込み、譲渡可能、使用、コピー、複製、処理、改変、修正、派生作品の作成、発行、送信、保管、表示、配布、XYZ プラットフォームの操作または使用、プロモーション、広告、マーケティングに関連するコンテンツの使用を許可するものとします。

こんな念仏みたいな訳文を読ませられる読者は災難だ。「どのすべてのメディア」なんて、あまりにもバカ丸出しの表現で、笑うしかない。こういう訳文を書いて平気でいられるというのは、自分には理解できない。こういう訳文しか書けない人は、翻訳なんて仕事はいますぐやめた方がいい。その方が自分のためだし、まじめに仕事をしているその他大勢の翻訳者のためでもある。正しい意味は、以下のようになる。

XYZ プラットフォーム上でコンテンツの送信、投稿、表示を行うと、そのコンテンツの使用、コピー、複製、処理、引用、変更、派生物の作成、発行、転送、保管、表示、配信を行うための権限、XYZ プラットフォームの運用に関連して上記のコンテンツを使用する権限、すべてのメディアや配信方法において、プロモーション、宣伝、マーケティングを行う目的で上記コンテンツを使用する権限を、XYZ 社とその関連企業に対して与えることに同意したことになります。これらの権限は、非独占的な全額払込み済みの権限で、著作権使用料は発生しません。

この文章を訳す場合のキモは 2 つあって、1 つは、"nonexclusive"、"royalty free"、"fully paid up"、"transferable" がすべて "license" に係っているということを見抜けるかどうかということ、もう 1 つは、"copy"、"reproduce"、"process" などの動詞の目的語を正しく理解できるかどうかということだ。この 2 つを正しく判断できれば、文章全体の構造が見えてくる。

などと言いながら、自分もこの文章の全体的な構造を理解するのに 10 分くらいかかった。"transferable" と "license to use" の間に カンマが挿入されているため、何度読んでも "transferable" が "license" に係っているということが見えない。それに、ズラズラと並んでいる動詞の目的語もよくわからない。本当にあれこれ考えてなんとか正解にたどり着いたけれど、はっきり言って、これは原文がよくない。

こういうリーガル文書というのは、なぜこれほど面倒な文章で書く必要があるのかがわからない。こういう文書こそ、解釈の誤解からくるトラブルを避けるために、だれが読んでもすんなりと意味が理解できるような平易な文章で書くべきだろう。こんなにわかりにくい文章を書いて、いったいだれが得をするのだろうか。こんな悪文を読まされる読者や、苦労して翻訳する自分たち翻訳者の身にもなってほしい。

これほど苦労して翻訳しても、ほとんどのユーザーはこうした文書を読まないというのが悲しい。まあ、これは自分だって同じことで、新しいアプリーケーションをインストールしたときに表示される長ったらしい利用規約なんてまったく読まずに、速攻で「同意」をクリックする。しかし、翻訳でお金をもらっている以上は、だれも読まないとわかっていても、クソみたいな誤訳を放置しておくわけにはいかない。



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