18/05/27

登山家・栗城史多さんの死について思うこと

登山家の栗城さんがエベレストで亡くなったことを知ったのは、月曜日の夕方のことだった。退社する前にYahoo!ニュースをチェックしたところ、栗城さんの訃報がトップに掲載されていて、思わず「え?」と声を出してしまった。以前の覚書で書いたように、自分は2012年から栗城さんのことをずっとウォッチしてきたので、このニュースを見て何とも言えない気分になった。

まったく実力が伴っていないのに、大風呂敷を広げて困難なチャレンジを続ける栗城さんに夢中になった自分は、当然今回のエベレストチャレンジもウォッチしていた。栗城さんは、2016年までは条件の厳しい秋季のエベレスト登山に挑んでいたが、さすがに秋はいろんな条件が厳しすぎるということで、去年からは春のエベレストに切り替えてチャレンジを続けていた。

しかし、去年のチャレンジも失敗して、今年は実に8回目のチャレンジということになった。これまで、連続して7回も失敗しているわけだ。なぜ、気象条件に恵まれた春のチャレンジでも失敗したのかといえば、ノーマルルートと呼ばれる難易度の低いルートではなく、バリエーションルートと呼ばれる難易度の高いルートにあえて挑戦したからだ。

ノーマルルートとは、山の稜線を登っていくルートで、傾斜が緩やかな分、山頂までの距離は長くなるが、稜線を登っていくわけだから雪崩に遭うリスクは低く、安全で確実なルートだ。それに対してバリエーションルートというのは、傾斜がきつくて難易度の高いルートのことを指す。難易度が高いということは、当然ながら事故に遭うリスクも格段に高くなる。

現在までのエベレスト登頂者の人数は延べ数千人にもなっていて、以前のようにエベレストに登頂すること自体がステータスになるという時代ではなくなった。名声を求める先鋭的な登山家は、登山方法に自ら制約を課すことにより、その価値を高めようとする。たとえば、酸素ボンベを使わずに登ったり、シェルパのサポートを一切受けずに登ったり、難易度の高いバリエーションルートを登ったりする。

さらには、こうした制約をすべて組み合わせて、「単独無酸素」で「バリエーションルート」を登るという選択肢もある。栗城さんの登山スタイルがまさにそれで、普通に酸素ボンベを背負ってノーマルルートを登れば登頂できないこともないだろうに、かたくななまでにその登山スタイルを変えようとはしなかった。これは、「春のエベレストなら登れる」と豪語してしまったことが大きな理由だろう。なんでこういうことを軽々しく言っちゃうかね。

そういう感じで偉そうに言ってしまった手前、やっぱり登れませんでしたというわけにはいかない。「なんだか登れない気もするから、あえて難易度の高いバリエーションルートにチャレンジすればどうだろうか。それなら、もし失敗しても言い訳ができる。だって、一流の登山家でも難しい一流のルートなんだから」 おそらくはこんな考えだったのだろう。

今回のチャレンジではどのルートで登頂するのか、なかなか発表されなかったが、アタックの直前になって南西壁にチャレンジすると発表された。このルートには、登山のド素人である自分もさすがに驚いた。エベレスト南西壁というのは、最も難易度の高いルートで、これまでに単独無酸素で南西壁からの登頂に成功した登山家は世界中に一人もいない。

それほどまでに難しいルートなのに、凍傷で9本の指を失ってピッケルも満足に握れない栗城さんが(ついでに言うと、ホノルルマラソンで6時間38分もかかった、同年代の男子よりも大幅に体力の劣る栗城さんが)、エベレスト南西壁なんていう最難関のルートでエベレストに登頂できるわけがない。フルマラソンで6時間38分というのは、国内のマラソンなら足切りにひっかかるくらいのレベルだ。

ネットでは、今回の無謀なチャレンジを、最初から死を覚悟したチャレンジだったのではないかと見ている人も少なからずいるようだが、おそらくそれはないと思う。なぜならば、下山の途中で亡くなっているからだ。最初から自殺するつもりならば、山頂に向かっていく過程で亡くなっていただろう。下山の途中で命を落とすよりも、山頂に向かって命を落とす方がカッコいいに決まっている。

亡くなった人のことを悪く言うのはもちろんよくないけれど、だからと言って、すべて美談で片付けていいということにはならない。栗城さんのFacebookでは、「感動しました」とか「勇気をもらいました」とか「わたしも頑張ります」とか、栗城さんを称賛する声であふれているけれど、無責任に感動を垂れ流すのはよくないと思う。

そもそも今回の栗城さんのチャンレンジというのは(今回に限った話ではないけれど)、たまたま参加した草野球で、「うまいですね」などとおだてられた男子が、「おれ、メジャーリーグに挑戦するっす!」と宣言していきなり渡米するくらいに無謀なことだ。このたとえは大げさではなくて、エベレスト南西壁はそれほど難しいルートだし、栗城さんの実力は草野球レベルだということだ(ド素人の自分が言うことではないけれど)。

栗城さんの登山の実力については、今回のチャレンジの時点では草野球レベルだったけれど、凍傷で指を失う前は、本気で甲子園を目指す高校球児くらいの実力はあったと思う。実際に、チョ・オユーやダウラギリといった8,000メートル峰にも登っている。しかし、指を失ってからというもの、実力は明らかに落ちているのに難易度は上がっていく一方で、その乖離があまりにも大きくなりすぎた。とにかく無謀なチャレンジばかりだった。

そういう無謀な男子が自分の知り合いだったら、あなたならどうしますか? 当然、「無理だからやめておけ」と言うだろう。あまりにもはっきりと否定するのがはばかられる場合は、「もっと練習して実力をつけてからでも遅くはないよね」と助言するかもしれない。ただ、間違っても、「いいね、応援するよ!」なんて無責任なことは言わないだろう。あえてキツイことを言うのも思いやりというものだ。

今回の栗城さんの死を美化してしまったら、どんなに無謀なチャレンジでも正当化されてしまうことになる。「感動しました」なんてことを言っている人たちは、登山に関する知識がないのだろう。もっと登山のことを勉強すれば、今回の件で「バカだな」と思うことはあっても、絶対に感動なんかしないはずだ。「いろいろなことを検討した結果のリスク」と、「勢いにまかせて突っ込んだ場合のリスク」というものは、分けて考える必要がある。

なにしろ6年間も栗城さんのことをウォッチしてきたので、書きたいことはまだまだ山のようにあるけれど、あまり長くなるとだれも読まないだろうから、これくらいにしておこう。結論としては、今回のことはすべて栗城さんの責任であって、無責任に応援したフォロワーのせいでもなく、面白おかしく叩いていたアンチのせいでもない。登山家であれば、常に死ぬ覚悟はできていたはずだ。そう思いたい。



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